現在の大相撲で、郷土出身力士と言えば、お隣の安芸津町出身の安芸乃島ですが、我が忠海町からも大関にまで昇進した力士がいたことをご存知ですか。
その名を時津風音右衛門と言い、現在の時津風部屋の祖にあたる人です。 『豊田郡誌』には時津風音右衛門について、次のように記してあります。
「国郡志下調書によれば、時津風初めは鯨波と言い、忠海二窓に生まる。幼より大力あり、角力を好み力士たらんとして広島に出で、時の角力乱獅子善四郎の弟 子となり勉励す。ある時師乱獅子多くの弟子を引き連れ上方に上る。 音右衛門は小兵にてとても相撲にはなれずとて、国に残して召し連れず、音右衛門口惜しきこと言わん方なく、ここに発奮、留守中衆に勝れて勉励せしかば、術 にわかに上達従って体格偉大となる。 師下りてその音右衛門たることを見忘れたりと言えば、如何に短時月の間に変わりたることを知るべし。力を角するにあたって多くの同僚は言うまでもなく、師 の乱獅子さえ更に勝つことあたわず、その上達に感じたりという。 音右衛門ここにおいて自信を得、奮発して東都に出で、ますます精励せしかばついに大関に昇り、その名声四方に高し。而うしてその性柔和にして傲慢の風更に なく、人に接するに親切にして、いまだかって他と喧嘩口論をなさず。珍しき力士よと賞賛を博したりいう。 けだし芸備の地よりかつて大関に進みたるものは山県郡の緋威力弥とこの時津風のみなり。」
この時津風音右衛門の墓は、地蔵院にありますので一度訪れてみてください。
その後忠海出身の力士としては、戦後になりますが、十両に昇進し、吉葉山や立浪の四天王とともに巡業で故郷に錦を飾った西中健四郎がいます。