青俳-『ラザロの島』 1972年10月26日 俳優座劇場
「劇団の俳優である穂高稔が3作目の戯曲をみずから初演出した。戦争中に毒ガス製造工場のあった瀬戸内海の小島の歴史については、小山祐士が『日本の幽 霊』でえがいている。穂高稔もこのアクチュアルな題材に正面から取り組みながら、その重みに負けて、告発の劇としてはいちじるしくリアリティーを欠く結果 に終った。
第1幕では、この島の苛酷な条件のもとで働かされていた工員たちの生活がつづられる。正工員の一郎(上林詢)は徴用工の逃亡を助けようとするが、看護婦す み(榊原史子)は恋人の身を案じる余り憲兵に密告してしまう。第2幕は戦後十数年たったころで、一郎をふくめて、毒ガス後遺症にむしばまれた元工員の苦し みと、表面化した毒ガス障害をめぐる学者の討論会とが交互に展開する。
ここまでを見ても戦争の深い傷痕をえぐるにしては説明的な弱さを感じたが、現在の時点である第3幕がひどく混乱していることのほうが大きい。作者は、一郎 の遺骨を抱いて島を訪れたすみの前に、軍国主義復活を夢みるかつての製造所長と技師、責任に口をぬぐう元教官、過去を偽る元徴用工などをつぎつぎに登場さ せる。しかし、それらの人物がすべて都合のいい道具立てにすぎず、すみにも贖罪意識が欠けているから、彼女の批判も訴えも詠嘆に流れ、その切実さが伝わっ てこないのである。第3幕を全面的に書き改めて上演すべきだった。10月20日-27日俳優座劇場。(森秀男『劇場へ 森秀男劇評集』P418)
大久野島を題材にした2つの戯曲が1965年と1972年に上演されていることは極めて興味深い。それは丁度毒ガス障害者救済運動が展開されるころで、作 者がそれらの運動の意義を広く社会に訴えるために大久野島の課題を戯曲化し上演したのではないだろうか。劇評は厳しく批評しているが、作者が当時の忠海で さまざまな角度から取材し戯曲化した営みのなかから、私たちは多くのことをまなぶことができると思う。
ちなみに『日本の幽霊』は『小山祐士戯曲全集』テアトロ社に収録されており、そのコピーが竹原書院図書館にある。また『ラザロの島』の上演台本は作者の穂高稔氏から贈っていただき、これもコピーが竹原書院図書館にある。興味のある方はぜひ一読してもらいたい。