城西大学研究年報に小口千明氏が「日本における伝統的蒸気浴・熱気浴の具体像」という論文を発表している。その論文の中で忠海の石風呂についての研究が記載しているので紹介しよう。
今日、旅館と海水浴客用の休憩所を併設して営業を行っている忠海石風呂は現在地での創業は、昭和23年(1948年)である。現在の経営者、稲村喬司氏の父稲村芳太郎氏は、従前は漁師であったが、第二次大戦の終戦後は職を見つけねばならず、石風呂を始めた。今日浴室となっている横穴は船のための防空壕であったところで、対岸の大久野島の毒ガス製造所に向かう船を隠すことが目的であったと伝えられている。今日休憩所として使用している横穴すは、芳太郎氏の代に、三原市在住の大工職人の手によって掘削されたものである。
浴室は「あつい方」、「ぬるい方」とそれぞれ表示された2つの横穴からなる。燃料を焚くのは「あつい方」の浴室1カ所で、「ぬるい方」の浴室は「あつい方」から熱気が伝わって入浴できるようになる。「ぬるい方」と「あつい方」を結ぶ通気孔が設けられているからである。
燃料は松と雑木を用いる。1日1回、午前10時ころに焚く。1時間30分ほどで薪が燃え尽きると、灰のかき出しと、浴室内に濡れむしろやモバを敷く。この作業は、薪が燃え尽きた直後の高温の浴室内に入らなくては行えないうえ、鼻と口に布を巻くだけで裸姿出行うため最も重労働である。15分ほどでこの作業を終え、出入り口の扉を閉め、再び1時間30分ほどたてば入浴開始となる。ふつう、午後1時ころとなる。
忠海の石風呂では、モバを十分に敷くことを心掛けている。ここでは、入浴客は仰臥の姿勢で入浴する。したがって、仰臥浴のときに用いる木枕も10人分ほど備えつけられている。入浴客は、このモバに直接肌が触れることを好み、新しいモバに取り換えたあとには、入浴客から「モバがええのう」という声が出るほどである。
モバは和名をアマモといい、ヒルムシロ科の多年草である。海中にはえるので海藻の一種と思われやすいが、沈水性の植物である。泥状になった海底を好むので、小河川の流入がみられる入江に多く生える。長い竹竿を用いて近海で採取している。近年モバの成育が悪く、採取量が減っている。モバには魚類が卵を産みつけるので、モバが繁茂する海域は、沿岸漁業者にとっては漁場として重要視される。したがって、モバの採取をめぐって、石風呂を経営する立場と漁業者のあいだには、利害関係の不一致が生じることになる。
忠海石風呂においても、焚きあがり直後はドンザや厚布でからだを覆って入浴する。しかし、時間が経過すると、水着姿や肌着姿など、裸に近い姿での入浴客が増加する
石風呂への入浴客の中には、高温のときに入浴することを誇らしげに語ってくれる人も多い。しかし、なかには実際以上に高温かと感じていることもあると思われる。
浴室の温度は床からの高さによって著しく異なることがわかる。とくに、立ち上がったときの顔付近の高さは、きわめて高温である。しかし、入浴中の姿勢を考えると、ほとんどの入浴客は仰臥浴であり、同じ時点での温度であるにもかかわらず、かなり低温になる。座浴の場合であっても、顔は熱いが、胸から下は低温になる。石風呂に限らず、サウナに入浴した場合など、しばしば顔よりも高い位置に温度計が設置されている場合があるが、その時に示されている温度と実際に入浴している床から70㎝前後とでは、かなりの温度差があると考えてよいであろう。石風呂の場合、ドンザや厚布でからだを覆っても目の周囲だけは肌をさらすことになる場合が多い。したがって浴室内の温度を検討する場合、利用する人間との関わりからいえば、入浴時の目の高さ付近の温度が最も体感に影響を影響を及ぼすと考えられ、この高さを考慮にいれた温度の表示が実情に合ったものとなる。具体的には、床から25㎝および70㎝付近の温度計測が重要である。