厳島合戦は、大内氏と尼子氏の間に挟まれて呻吟していた毛利元就が中国地方を制覇する契機となった合戦で、大内氏に謀反を起こした陶晴賢の軍勢をあらゆる 知略を弄して厳島におびき寄せ、殲滅した合戦である。この厳島合戦での浦宗勝の活躍について最近、PHP研究所から野村敏雄著『小早川隆景』という本が出 版された。この本に浦宗勝の活躍が書かれている。
「隆景や熊谷信直がひきいる二軍は、村上海賊衆と連合し、百五十艘に千五百の将兵を分乗させ、乃美宗勝が先導となって時化の海へ漕ぎ出した。こっちは、厳 島の正面・大鳥居を指して南南西に進んだが、一軍が東へ迂回して、追い風をうけたのとは反対に、二軍は、沖へ出ると逆風を受けた。風雨が叩きつける甲板の 小間で、船の揺れに身体を合わせながら、『竜王様は御機嫌斜めです』宗勝が言って苦笑した。『どうする』隆景が訊いた。
『前へ進めなければ後ろへ進むまでです』安芸沿岸の海域や潮流を知りつくした宗勝は、かるくうなずくと、側にいる水夫頭に、船の進路を変えるように命じ た。小早川警固衆を束ねるこの男は、どんな場合も『退がる』とは絶対に言わない。つねに『進め』である。思い切りがよくて無理をしない良さがある。
『どこまで進むつもりだ』『大野の瀬戸まで行けば、あの辺りは風も波も静かになります。うまくすれば追い風に乗れるかもしれません』『上陸に間に合うのか』
大野瀬戸まで後退すると、厳島の3分の2くらい南下することになる。そこからまた引き返すのでは、かなり時間を食いそうだが、
『正面から進むのと時間は変わりません』
宗勝はのんびりした調子で応えた。船が大きく旋回をはじめた。岸へ向かっているらしい。闇の中では船の動きも判らない。やがて少しずつ左へ曲がり、沿岸づたいに南下する様子である。
船足が早くなったようだ。(中略)船団はここでまた大きく旋回し、こんどは厳島寄りに水路を取って北上をはじめた。速度も増したように思えるが、変則な追い風に乗ったらしい。
『宗家や吉川は、上陸したろうか』『多分、もう陸の上でしょう。宗家の軍勢は博奕尾の山越えがあります』『わしらは大内水軍と海戦を控えている』『そのことですが‥‥‥』
と宗勝がみを乗り出すようにして、『この闇と風は天の助けです。敵の警戒も緩んでおりましょう。
海戦に入る前に、敵の警戒網を欺き通る手はいかがでしょう』『無傷で敵中突破を図るというのか』『上陸地点の大鳥居の海浜は、敵の船でびっしりでしょう。 海戦になれば味方もそれなりに損傷を被ります。そこでわれらから敵に近づいて“筑前より陶方の助勢に参ったお味方でござる”と堂々と呼びかけ、敵船団の囲 みを罷り通るのです。万一しくじったら、そのときは合戦に及べばよい』『おもしろい。それはいけそうだ』
隆景が小さく膝をたたくと、『いけますとも。さっそく矢文をもって、その旨、後続の船に知らせましょう』宗勝が腰をあげた。」(野村敏雄『小早川隆景』)
浦宗勝の真骨頂がこの文章に表れている。NHK連続ドラマの『毛利元就』の厳島合戦の場面に浦宗勝がどのようなかたちで登場するかが期待されるところである。