1976(昭和51)年に広島県内の中学校高等学校の教員を歴任された坂本正夫先生が、広島県内の山々を植物採集して歩いた記録をまとめた『広島県の植物を訪ねて』という本が刊行されており、竹原書院図書館にも収められている。
この本の扉を開くと、黒滝山のカラムラサキツツジの写真がカラーで掲載されている。そして、1972(昭和47)年7月19日に黒滝山を訪れた時の植物採集記録が記載されている。
「黒滝山は忠海駅の北東に位する高さ280・余りの山である。花崗岩質の山で、南側の中腹以上は、山肌があらわにあらわれて、大きな樹木も生えず峨々たる山容をなしている。頂上近くに岩端にお堂が建っているが、多分ここに観音が安置してあるものと思われる。
駅の前の東西の大通りを東へ進み、石油スタンドのところを左にまがり、少しして右に折れ、民家の路地を通り抜けると、浄土宗の誓念寺のところへ出る。そ の寺の前を右手に曲がる角のところに『黒滝山観音近道』と書いた石柱が立っている。そこを右手に折れて少しの間、とても急勾配の坂道を上ると、蜜柑畑の間 を通って山の麓のお堂のところへ一直線に舗装された道になる。お堂から少しの間の参道は大きなクロマツの枝が道の上におおいかぶさって日蔭になっているが やがて岩石の露出している岩道にさしかかる。間もないところの道端に花崗岩を掘り取って水たまりを造ったと思われる1.5・四方、深さ1・位の井戸があり きれいな水がたまっている。
そこには小さなバケツや杓が数個ずつ備えつけてあるが、これは観音様にお参りする人々がおまつりする水を汲んで上るのであろう。(中略) 道の勾配はゆ るやかになる。道端の石垣の上に阿弥陀三尊の石像が立っている。ここを過ぎると松林のある山の稜線に出る。(中略)観音堂の方向へ道は折れ、途中7月の豪 雨で土砂崩れがして、道が下の方へずり流れていてあぶないことになっている。観音堂のところで右に曲がると広場に出る。そこには天照皇太神がおまつりして ある。そこから左手に道をとると直ぐ頂上に達する。」(坂本正夫『広島県の植物を訪ねて』P97~98)
この一文には坂本先生が歩いた経路が実に細かに書かれていて、忠海に住む私たちもどの道を進んだか想像できる文となっている。そして何よりも圧巻は、この本に黒滝山の植物がきちんと列挙されていることである。
「黒滝山の植物(南面している岩肌の多い地域)
離弁花群
カバノキ科 ヤシャブシ
ブ ナ 科 コナラ、ウバメガシ、アベマキ
バ ラ 科 トウシモツケ、ウラジロノキ、フジイバラ、テリハノイバ ラ、カマツカ、ナワシロイチゴ、ヤマザクラ
マ メ 科 ヤマハギ、コマツナギ、ニセアカシア、メドハギ、ヤハズ ソウ、フサアカシア
ミ カ ン科 イヌザンショウ
トウダイグサ科 アカメガシワ
ウ ル シ科 ヤマウルシ、ヤマハゼ
ブ ド ウ科 ノブドウ、エビズル
ツ バ キ科 ヒサカキ
オトギリソウ科 オトギリソウ、ヒメオトギリ
ヤマゴボウ科 アメリカヤマゴボウ
ヒ ユ 科 イノコヅチ
タ デ 科 イヌタデ、イタドリ、ママコノシリヌグイ
ス ミ レ科 シハイスミレ
アリノトウグサ科 アリノトウグサ
ウ コ ギ科 タラノキ
ユキノシタ科 コバノガマズミ、ミヤマガマズミ
合弁花群
ツ ツ ジ科 コバノミツバツツジ、ヤマツツジ、ネジキ、シャシャンポ、 カラムラサキツツジ
サクラソウ科 オカトラノオ
モクセイ科 ネズミモチ
ア カ ネ科 ヘクソカズラ
スイカズラ科 コツクバネウツギ
シ ソ 科 ヤマハッカ
クマツヅラ科 クサギ
キキョウ科 キキョウ、ツリガネニンジン
キ ク 科 アキノキリンソウ、ヤクシソウ、ハハコグサモドキ、セイ タカトウコギ、アレチノギク、ヨモギ、イヌヨモギ、ツワ ブキ
単子葉群
イ ネ 科 ススキ、エノコログサ、トダシバ、ササクサ、ホソムギ、 アシボソ、チガヤ
カヤツリグサ科 イヌクグ、ナキリスゲ、ヒメホタルイ
ツユクサ科 ツユクサ
イ グ サ科 コウガイゼキショウ、スズメノヤリ
ユ リ 科 ノギラン、サルトリイバラ
裸子植物
ヒ ノ キ科 ネズ
マ ツ 科 アカマツ、クロマツ」(前掲書P99~100)