中国新聞社が1988年に発行した千種義人写真集『瀬戸内の石仏を訪ねて』の中に忠海の石仏が紹介されている。その文章と写真を紹介してみよう。
「黒滝山の麓に地蔵院があって、ここには文殊大士と西国三十三番の碑が並んでいる。小さな地蔵を配し雰囲気をかもしている。すぐれた彫刻なので、大写しを ここに掲げる。文殊菩薩は両手で青蓮華を持ち一髻を結って、獅子に騎乗している。1.5メートル位ある。宝篋印塔と無縁仏も赴きがあった。…黒滝山の道沿 いに、西国三十三体の観音磨崖仏、幸福の鳥居、大勢至、阿弥陀如来像、十三仏などがある。この十三仏は自然石に彫られたもの、約1.5メートル。ふっくら した顔容でかわいらしい。手の位置が全部ちがう。施主生田ハル七十歳と刻まれていた。頂上近くに観音堂があり、堂内に鎌倉時代のものといわれる十一面観音 像が祀られている。この堂は天平年間(729年)僧行基の創建といわれ南麓にある地蔵院の奥の院になっている。…この堂横から岩山の頂上に登るのが恐ろし い。鎖を伝って50メートルも登らなければならない。同行の大槻智彦君が「先生やめましょうよ」という。しかしここまで来て山頂の観音を撮らなければ意味 がない。欲につられて夢中で登る。頂上は二つに分かれている。どちらに磨崖仏があるのか分からない。後ろは絶壁である。左へ登ったが、石仏はない。右へ 登ってようやく磨崖仏が見つかった。観音第二十九番、第三十番、および第三十二番がそれである。第二十九番は松尾寺の本尊馬頭観音を模刻したのである。第 三十二番とともに頂上突端にあり、足元は断崖絶壁、撮るのも危険であった。かくも危ない場所によくも磨崖仏を彫ったものだ。」(P65~66)
先日JR竹原駅で「大和十三仏めぐり」のパンフレットをみつけた。その中に十三仏についての解説が書かれていた。この解説を読むと黒滝山にある十三仏への思いが伝わるのでここに要約して紹介しよう。
十三仏は私たちにとってもっとも身近なご縁の深い仏様です。仏教では、人の命は死んだらそれでおしまいというのではなく、人間としての体は無くなってもそ の人の魂は永遠に生き続け六道を輪廻すると説かれています。六道輪廻とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六つの世界を指し、人が亡くなるとこの六つ の世界のいずれかに生まれかわり、六道輪廻から解脱できるのは悟りに到達した時だけで、六道の中でも再び人間界に生まれかわれたときにのみさらなる仏道修 行によって菩薩、仏の世界へと自らを高めていけると説かれています。十三仏は私たちが亡くなった場合によりよき人間として輪廻転生ためその魂を守護してく れる仏様です。人が死ぬと四十九日の間、中陰という世界を旅しなければなりません。この中陰の世界では七日ごとに裁判があって死者はそこで生前に行ってき た善行悪行に対して審問を受けなければなりません。その裁判を行うのが十三仏です。そこで死者の身内は七日ごとにすなわち裁判を受ける忌日ごとにお坊さん に来ていただいて十三の仏様に供養をお願いすることで身内が代わって善行を積むというのが追善供養の意味です。この守り本尊が初七日は不動明王、二十七日 は釈迦如来、三十七日は文殊菩薩、四十七日は普賢菩薩、五十七日は地蔵菩薩、六十七日は弥勒菩薩、そして中陰のあける七十七日は薬師如来で、この中陰明け を満中陰といいます。満中陰とは現世と来世の真ん中、中途半端な世界が終わりいよいよ輪廻転生の先が決まる時で阿弥陀如来光が射す世界に出れる日なので す。こうして輪廻転生先の人間界へと決まった魂は百ケ日の観音菩薩、一周忌の勢至菩薩、三回忌の阿弥陀如来、七回忌の阿閻如来、十三回忌の大日如来、三十 三回忌の虚空蔵菩薩が守護仏となって現れ極楽を経て更にもっと素晴らしい命として復活する導きをするというものです。私たちが行う法要にはこのような意味 が込められており、黒滝山の十三仏にもこのような思いが込められていることを知れば、黒滝山の石仏をみる眼も変わってくるのではないでしょうか。