忠海郷土史研究会が平成3年(1991年)11月10日におこなった史跡踏査の際の忠海案内の記事のなかに次の一文がありました。
「まずロマンの香りで幕を開けることにします。若山牧水の初期の絶唱の数々は、明治40年(1907年)から43年(1910年)までの4年間にわたる園田小枝子との交情を歌ったものです。
若山牧水、忠海のひと園田小枝子をうたう。
わが小枝子 おもひいずれば ふくみたる
酒の匂いの さびしくあるかな
ここでは「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」の歌で有名な若山牧水を「われその傍らにありて夜も昼も絶えず歌ふ」心境にさせた女性・ 園田小枝子は忠海のひとと書かれています。そこで『サライ』という雑誌の今年の5月2日号の特集「若山牧水酒と旅の歌」に、牧水と小枝子について書かれて いますので抜粋します。
「牧水が友人の恋の使者として訪ねた神戸の女性の家にたまたま居合わせたのが須磨で病気療養中の園田小枝子でした。二人は恋におち、結婚歴のある彼女は婚 家先に戻らず、自活するために上京、牧水を訪ねます。こうして二人は房総の根本海岸へ出かけ、ますます情熱の高まりを持ち、明治40年(1907年)暮れ から翌年の正月にかけて二人で滞在したのです。
山を見よ 山に日は照る 海を見よ
海に日は照る いざ唇を君 わがうたふ
かなしき歌や きこえけむ ゆふべ渚に 君も出で来ぬ
などと76首も歌を作ったと言います。
牧水はこの時まだ24歳、ひとつ歳上で、家を出たとはいえ、まだ人妻の女性との恋愛は、当時の世相ではうまく行くはずもなく、牧水は大いに悩み、やがては 別れることになるのですが、そのことを題材とした歌集『別離』は、発売とともに熱狂的な歓迎を受け、再版重版を重ね大正時代になっても売れ続け、著者には 無断で発行する海賊版まで出たのです(『サライ』5月2日号「若山牧水酒と旅の歌」より抜粋)
牧水の歌の中で小枝子の名前が出て来るものに本文冒頭の歌とつぎの歌があります。
汝が弾ける 絲のしらべに さそわれて
ひたおもふなり 小枝子がことを
これは歌集『別離』以後に作った500首の歌をあつめて編んだ歌集『路上』に掲載されたもので、別れた後も小枝子を思う牧水の気持ちがあらわれています。
最後に、小枝子が忠海のひとであることを想起させる歌を一首紹介しましょう。この歌には「瀬戸にて」という題がうたれています。
戀人の うまれしといふ 安藝の国の
山の夕日を 見て海を過ぐ