『満点ママ』のコメンテーター平木久恵さんが編集長を務める『Grandeひろしま』に「アーサーの言の葉」というエッセイを連載しているアーサー・ビナードさんが「ルイサイトのルイスさんにも出会える島の旅」と題して大久野島を紹介してくれているので抜粋しよう。
「今年の正月休み、東京の親友が広島へ遊びにきてくれた。前もってこっちから面白スポットをいろいろリストアップ。ついでにフェリーで大久野島へ渡るコースも提案した。『今は国民休暇村になって兎がいっぱいいるけど、1945年まで四半世紀にわたり日本政府は島全体を毒ガスの製造拠点にしていた。地図から消して秘密のベールに包み、歴史からも消そうとした』―そんな知った風な解説を付け加えたが、実をいうとその時点でぼくはまだ大久野島に足を踏み入れたことがなかった。いつも対岸の忠海の港や砂浜から眺めたりして、わかっているつもりになっていただけだ。
『大久野島の歴史は学校でまったく教わらなかったし、ぜひ行ってみたい』と友人がいったので、年明け早々フェリーに乗って渡島、ウジャウジャピョンピョンいる兎の合間を縫って散策した。『毒ガス島』はインパクトの強い言葉だが、製造の現場に立ってみれば、毒ガスの矛盾に満ちたカラクリが残酷なまでに迫ってくる。たとえば『ルイサイト』という有機ヒ素化合物を量産するということは、現場作業員がその猛毒に触れるということ。防護服をまとっても必ずどこからか染み入り、微量でも人体をじりし破壊するので、労働者はみんな終わりのない後遺症を背負う。
いったいぜんたい、なぜこんな有害な施設が竹原の地に押し付けられたのだろう?疑問に思い『毒ガス資料館』のスタッフに尋ねると、『実は地元が積極的に誘致して、中央行政と折衝を重ね、来てもらったんです。もちろん経済効果を期待してのことだった』という。原子力発電所の地元とそっくり同じではないか。しかも事故の連続、隠蔽の連続、現場労働者の犠牲までも共通している。
資料館を巡るうちに、ぼくは『ルイサイト』のネーミングが気になり調べてみた。ウィンフォード・ルイスという男が、ぼくの母国アメリカのカトリック大学で百年ばかり前、この化学兵器の研究を進め、自分の名前をつけた。そして米政府が何万トンも製造した。兵器として使用したのち、残ったルイサイトの在庫をこっそりメキシコ湾にドッボーンと捨てたという。
日本政府も大量にルイサイトを作って使って、中国大陸に在庫を放置して、それから瀬戸内海にもドッボーンと捨てた…。
日米の共通点の多さにも驚愕して、資料館から外へ出ると、夕日を浴びて兎たちはピョンピョンと集まってきた。しゃがんで彼らと向き合い、彼らと同じ視線で山と海を見まわし、大久野島がよけい美しく、とても広く感じられた。
ほかの生き物にとっては、人間の有害公共事業は、経済効果という画餅すらない。そもそも島をごっそりのっとり『毒ガス製造』に差し出すことは、加害と被害を超えてしまう犯罪だ。」(『Grandeひろしま』2015年夏号P8~9)