神田三亀男著『広島民俗の研究』の「漁業」の項に、忠海の独特の漁法としてスナメリ漁と浮きダイ漁が紹介されている。
「スナメリ漁
竹原市忠海町だけに残るのがスナメリ漁である。地元の人は、スナメリクジラを「ゼコンド」と呼ぶ。ゼコンドのいるところはタイがよく釣れる。だからゼコンド網代ともいう。
スナメリの主な回游海面は、忠海や大乗海岸の沖合一帯で、漁場でいえば、南北に細長い阿波島と西側の生野島にはさまれた海域である。
島が多く潮流の早いところだ。春先になると水面近くを泳ぐイカナゴ・コイワシが潮に乗って集まる。スナメリ・タイにとってこれほどの好物はない。イカナ ゴ・コイワシは群游するスナメリに追われると海底に逃避する。底からタイ・スズキが好餌とばかり寄ってくる。そこを一本釣りする。
いまはスナメリが減少した。スナメリがいないくらいだからタイ・スズキもいない。漁にならなくなった。スナメリ漁をやっていた漁民たちは、観光釣り船の 船主に変わっている。」(神田三亀男『広島民俗の研究』P139~140)このスナメリ漁も観光釣り船もみな一本釣り漁である。この本には、一本釣り漁に ついて、次のような解説がある。
「一本釣り漁
潮流の激しい瀬戸内海は小魚の宝庫である。小島が多く島のあちこちに瀬がある。流れは不規則で、魚のエサになるプランクトンの繁殖にはもってこいの自然条件である。
激しい流れに育った魚は、肉がぴしっとしまっていて小味がきき、外海に育った魚では味わえぬ風味がある。魚の風味、持ち味をそこねないのが一本釣り漁法 だ。一本釣りはアタリがあってすぐ釣りあげるので、魚自身の苦労がなく、身やせしない。新鮮で味がいいわけだ。尾道名産デベラも一本釣りの生み出した海の 味、ふるさとの味である。鞆・尾道・三原・因島・豊島・生野島・安芸津・蒲刈海域などは、一本釣りの好漁場である。一本釣りは古くて新しい漁法である。零 細漁民にとっては、元手が少なくて、すぐにもやれる。分家してもすぐできるのが一本釣りである。
一本釣りは、10歳くらいの子どものときから経験とカンによって魚の習性を知り、網代を覚えていく。親も積極的に教えようとはしない。よく釣れる網代を 親の釣り具合によっておのずから感じとる。海底の状況、四季それぞれの魚の生活行動を手にとるように掴むには、親から教えられてわかるものではない。アビ 漁をやっている豊島の漁民は『一本釣りは理屈じゃない。体で覚えにゃ……。満潮でも七通りも八通りもあるんじゃから』といっている。
小船に乗って片手で船を漕ぎながら、片方で釣り糸を操る。船の漕ぎ役として子どもを使う地域もあった。安芸郡情島その他の子どもは、よく使われたものだ。家船のように夫婦で乗る船は女の人が船を漕ぐ。あるいは二人とも釣る。
アビ漁もゼコンド漁もみな一本釣りでタイ・スズキを釣る。タコ・アジ・メバル・サワラ・アブラメ・チヌ・ハゲ・カワハギ・ヒラメ・カレイなど多くの魚種が対象である。」(前掲書P145~146)
「浮きダイ漁
三原市幸崎町能地から竹原市忠海沖の海域は、春から初夏にかけて浮きダイ現象が見られる。毎年三月下旬から五月上旬、八十八夜までが漁期となる。大潮の 干潮から満潮までのおよそ三時間、サクラ色をした30センチから50センチの見事なマダイが海面に横たわり、ゆっくりと泳いでいる。これを小船を漕ぎ出し て手網ですくいとる。手網一本という気楽に漁法である。
浮きダイ現象は、外海から瀬戸内海に入ってくるマダイが幸崎沖にかかると、急流に体の自由を奪われ、深いところから急に浅瀬に押し流される。タイは浮袋のガスが膨張して海面に仰向けに浮き上がる。能地の浮きダイという。
浮きダイには一つの伝説がある。神功皇后が幸崎沖に船をすすめていた。すると船べり近くに多くのマダイが集まってきた。これは幸先がよいと喜ばれ、海面に酒をそそがれた。この酒に酔ってマダイは浮き上がった。これ以来浮きダイが見られるようになった。
たしかに浮きダイは、酒に酔った風情、失神状態で海面に浮く。菅茶山の狂歌に『水底の酒かめありと聞くからに、浮きタイよりはこちゃ沈みたい』ともじっている。
明治の末ごろまで、浮きダイ専門の漁民がいた。一漁期に300キロもの水揚げをしていた。いまは地元の漁民2~3尾浮いているのを見たという程度で幻の漁法となった。