「グランド・フィナーレ」(阿部和重)
「シンセミア」を読んで結構読み応えがあったので、さかのぼって「グランド・フィナーレ」を読んだ。でもこちらは読んでいるうちに、そういえば前に読んでいたなぁ、と思い出した。
たぶん芥川賞を受けたときに読んだのだろう。短いせいかさっと読んで、あまり強い印象に残らなかったのか、まるで忘れていたけれど、ひょっとするとこのブログでも前に書いているかもしれない。
或いは矛盾することを書くかもしれないけど(笑)、少しゆったり読んでみると、なかなかいい作品だった。「シンセミア」でも、一人の人物に寄り添って描いていくところはとても良かったが、「グランド・フィナーレ」はロリコン男の「わたし」の心理と視線に沿って丁寧に一本の糸が辿られていくので、シンセミアでは多元的な方法の一つだったまさにその方法だけで貫かれているので、単線的ではあるが、読みやすくもあるし、作者の力量が存分に発揮されている。
サイテーのロリコン男が撮り貯めた少女たちの写真を妻に見つけられて離婚され、愛娘にも会えなくなって、それでもあきらめきれずにストーカーもどきのことを試みたり、周囲の友人たちにも知られて、いわばどうにでもなれといった脱力状態に陥って、郷里へ帰ってきて無為の生活を送るうち、小学校の教師になっていた同窓生に生徒の演劇の指導を頼まれ、一旦は断わったものの、熱心な二人の少女の懸命の事情を知って気がかわる。
この最後の救いのあるのがいい。サイテー男が他者としての二人の事情ある少女にこれまでと異なる関わりを自分の意志で持とうとし、彼女たちがネットで自殺サイトをみているのを偶然みて、心配する。ラストは二人の少女が演じる芝居の開演が告げられるところで物語が終わる。いいラストだ。
Blog 2008年04月18日