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サーペンタインギャラリープロジェクト(アレクサンダー・クルーゲ監督)
日本にいてたまにメジャーな新聞に詳しく紹介されていて、おもしろそうだなとか、えらい流行っているらしいから話のネタに見ておくか、くらいの感じで映画をみる程度の観客にとって、ドイツ映画というのはほとんど記憶にないくらい縁遠くて、日本映画、アメリカはハリウッド製の映画、あとはあんまりおもしろくないけど・・・という印象を若いころからずっと持っていた(笑)フランス映画にイタリア映画、きまじめなイギリス映画、それにやたら面白いとおもった一時期の香港映画(笑)、忘れているのがあるかもしれませんが、大体そんなところで、若いころは日本映画もほとんどみなかったので、圧倒的にアメリカ映画が多いのではないかという印象です。
ドイツ映画というと「橋」くらいまで遡るのでは?(笑)
あれは、封切館で見たので覚えていますが、未成年の少年兵たちが、敵に遭遇するとは予想されていなかった橋のたもとに配置されて、まぁ適当に兵隊ごっこの真似をさせて遊ばせておけばいいくらいに考えていた指導教官が、半ば冗談で「橋を死守せよ」と命じて、ちょっと部署を離れて何か買いに行ってゲシュタポに見つかって逃げたものだから撃ち殺されて帰ってこず、そうこうするうち敵の戦車隊がやってきて、少年たちが死に物狂いで橋を守るために戦って次々死んでいく、という相当悲惨な戦争映画、反戦映画というのか厭戦映画というのか、あれは中学生くらいのころに見たのかな・・・そうすると60年近く前か・・(笑)
いやまさか…覚えていないだけかもしれませんが、とにかくパッと出てくるのが一つもないくらい、ドイツ映画というのはなじみが薄くて、今のドイツでは代表的な映画監督の一人らしいこのアレクサンダー・クルーゲ監督という人も知らないし、作品ももちろん見たことがありませんでした。
なぜきょう出町座ヘ観にいったかといえば、実はイギリスでケンジントン公園の中にある「サーペンタインギャラリー」(Serpentine Gallery)というのは行ったことがあって、文化施設には以前の仕事柄、関心があったので、これはちゃんとした名前のある映画監督の特集の中で上映される文化施設映画(笑)だから、ひょっとするとソクーロフのすばらしい映画「エルミタージュ幻想」とか、そこまではいかないまでも、「パリ・ルーヴル美術館の秘密」のようなドキュメンタリーではないか、と思ったからでした。もちろんそもそも監督を知らない無知による、とんでもなく滑稽な誤解ですが、出町座のスケジュール表にタイトルが単に「サーペンタイン・ギャラリー」となっていたので、あのギャラリーの歴史や建築や運営についての映画だろうと早とちりした次第。(案内パンフにはちゃんと「プログラム」までありました!そっちは見落としていました。)
映画が始まるとすぐに当てが外れたことが分かりましたが、おかげでめったに見ることがないような面白い映像を見ることができました。
これはどうやら、テレビ番組用の短編をサーペンタインギャラリーのイベント用に編集したものらしく、サーペンタインギャラリー・プロジェクトという名のもとに次のような作品がつづけて上映されました。
一分映画 Minuten filme, 1998
柔軟な起業家 Der flexible Unternehmer, 2003
愛を遮る冷たい死 Balladenmagazin Nr.9: "Die Liebestoert der kalte Tod" , 2003
希望を抱く者は歌いながら死ぬ」Wer immer hofft stirbt singend, 1999
火山のような女性 Eine Frau wie ein Vulkan, 2003
士官として哲学者として Als Offizier und Philosoph, 2005
オペラ・「パルジファル」の舞台を1分で早回ししてみせるのやら、防毒マスクを顔にはりつけたようなすごい恰好の起業家にインタビューしたり、人間のすさまじい死を実写フィルムで次々に見せるような映像と、現実に起きた社会現象を、当時の実写映像、写真と言葉(文字列)などを駆使して、批評的に取り上げるような映像と言えばいいんでしょうか。
私がいいな、と思ったのは、ベッリーニのオペラ・ノルマで嫉妬に狂う巫女ノルマと彼女の憎しみの対象アダルジーザ、それに心変わりした総督ポリオ―ネの舞台でノルマの胸中の「火山」が噴火寸前という場面をデュッセルドルフの指揮者ジョン・フィオーレがピアノを弾き、歌いながら、3人が一緒に歌えるようにしているんだ、とか言いつつ編曲しているところを撮っている「火山のような女性」。
これは本物のオペラ歌手(Alexandra von der Werth)がすごい美声で、迫力満点のコワイ顔して歌っているし、ピアノを弾きながらこうやるんだ、みたいに自分で歌う指揮者のおじさんもちょっとユーモラスな感じのおじさんだし、聴かせるし、面白く見せてくれました。
「士官としての哲学者」はフランスの堅固な要塞を攻め落としたドイツ軍だけれど東側(だったか)はフランス軍が攻めてくるドイツ軍を撃退するため堅固に作っているけれど、西側はお粗末で、それを占拠したドイツ軍にとって、西側から奪還にくるフランス軍への備えにはならず、物置きとしてしか使えない代物。その戦いを指揮している士官が同時にニーチェの専門家で、その彼にマイクを向けて戦況とニーチェの超人の思想をからめてインタビューしているという趣向で、背後にはモノクロの実際の激しい戦闘場面がずっと映し出されていて、その前でこの士官が一人こちらを向いて質問に答えているという滑稽な構図。
その中身もニーチェの超人にかこつけた他愛のない屁理屈の類で嗤えるけれども、この士官は前の戦争はカントの思想に準じて戦って勝てたので、今回はニーチェで勝とうとしている(笑)のだけれど、実際に現場にいたらどっちがどっちか方角さえ分からなくなって身一つ守るので精一杯、右往左往しているだけというのが実情。
まぁ滑稽でなくはないけれども、いかにも学者が考えそうな理屈っぽい滑稽味だな、と思っていたら、きょう帰宅して監督名でネットを調べてみると、案の定大学教授で、しかもあの観念的なフランクフルト学派につらなるようなおじさんらしい。どうりで社会批判もあれば理屈っぽくもあるわ、と納得した次第。
でも映画のほうでは、ニュー・ジャーマンシネマとかいうドイツ映画の革新に貢献した元祖みたいに尊敬されているかたのようです。そんな映画史の知識なんか知ったこっちゃないけど(笑)。
それでもこういう映像というのは、ドラマでもなくドキュメンタリーでもなく、現実の場面をとらえた実写映像を自在に使いながら、そこへ現在的な批評意識から、さまざまな手法でツッコミを入れて、その「事実」の意味を変容させながら鋭く観客に問いかける、というふうな批評的な映像といえばいいのでしょうか。
実際、オペラ劇場を透視する電子模型みたいなもので〇時間の上演を1分で早回ししてみせるなんて伝統文化をおちょくっていません?(笑)とか、本当に人間が死ぬ場面の実写フィルムに、現在的な言葉や資料を挿入してその意味を変容させてしまうとか、伝統的なオペラシーンを、現在の指揮者が自在に即興的に目の前で歌ったり演奏したりしながら変えていったり、実際の戦闘場面の実写にフェイクの士官にして哲学者?を登場させて記者のインタビューでツッコミを入れて滑稽化し、戦争やその中での人の死の意味を変えて取り出してみせたり・・・
まぁこういう頭のいいひとが、頭で作る作品というのはそう楽しいわけでもないし、そんなに好きじゃないけれど、そういう言い方をしていいなら、感性を刺激するよりも、知性を刺激する作品なのかも。こちとらは知性が乏しいせいか、あんまりおもしろいとは思えないですが(笑)。
でもあらためてネットのこの監督と作品についての記述を読んでいたら、どうも「秋のドイツ」という作品は、あのドイツ赤軍派がベンツの社長シュライヤーを誘拐して、ハイジャック事件を引き起こして失敗したあと、救出するはずだった獄中の幹部たちが次々自殺して、結局ドイツ政府が頑として要求に応じなかったために人質のシュライヤーを殺した、という衝撃的な事件を契機に制作された、というような記事をみかけたので、それは一度見ておきたかったな、と思いました。
別にテロに関心があるわけではまったくないけれど、日本でも学園闘争が全国に巻き起こって、それとの関連で過激化していたセクトの政治闘争も70年代に入るとすぐに潰されていって、追い詰められた組織は内閉化して内ゲバやテロルに走り、大衆的基盤をまったく失って、シラケの時代になってしまった70年代のことで、日本でもハイジャック事件とかいろいろ起きた時期ですから、世界的に共通する空気がたしかにあったので、遠いよその国で起きていること、というふうには感じられなかったのです。
ドイツの優れた監督だというこの人があの時代をどう描いているのか、どうもちまえの批評精神で斬り込んでいるかは、この人をまったく知らなかった私でも多少は関心があります。
残念ながら今回は、この監督の特集は今日が2サイクルの一番最終日だったようで、出町座ではもう観ることができないようです。スタイルが好きなわけじゃないけれど、「ドイツの秋」ってのだけは、いずれまた機会があればぜひ見てみたいと思いました。
blog 2018-10-19