ジョンファンの告白恋のスケッチ~応答せよ1988~第37回
きょうは「恋のスケッチ?応答せよ1988」第37回。
老々介護で義母の家に行って放映時間に1回、夜帰宅してから2回、先日You Tubeで先取りした分も入れると計4回繰り返し見たことになります。それでも飽きない(笑)。
先週は、4人が高校を出てから、1年、また一年と経過し、その間をはしょっていく展開なので、もうドラマも終りに近づいたのかとハラハラしましたが、きょうの再会のドラマはこのシリーズのハイライトでした。脚本が素晴らしい。そして適材適役の役者の演技が素晴らしい。
高校時代にずっと熱い想いを抱きながら、無器用にその思いを一人で抱えたまま士官学校へ行ったジョンファンが、士官学校で卒業時に、早く良い人を見つけろよ、と励ますかのようにくれる「フィアンセ・リング」を小道具に、長く秘めた愛を告白するシーン。二人の演技が素晴らしかった。
ジョンファンはこのシーンでは演じている役者がジョンファンそのものになりきっていて、役柄としてのドクソンではなく、同じドラマを演じる仕事を共にしてきて生身の男性として深く惹かれところとなった女優ヘリに、ひとりで温めてきたほんとうの想いを告白するように、真に迫った告白でした。(いま現実にジョンファンを演じた男優さんはヘリとおつきあいしているそうだから、そのころから本当に惹かれていたのでしょう。)
ヘリは一言も発することなく、ジョンファンをじっと見つめて、ときに瞬きし、ときにかすかな笑みを浮かべるだけですが、ジョンファンの重くずっしりと胸の奥深く届いてこたえるような告白を、まっすぐに受け止めていました。「そんな!、やめてよ」、という姿勢でもなく、また女性としてポジティブに受け止める姿勢でもなく、共に過ごしてきた長い、良き日々を懐かしむように、過ぎた恋が炎のように熱く眩しいもののようにではなく、自分に注がれる温かく懐かしい人の声のように、心の奥深くでずっしりと重い彼の告白をただ受け止めていました。
この告白をジョンファンはフィクションとして無化してしまい、その場に立ち会っていたソヌもドンリョンも、「なんだ冗談かよ、すっかり騙されたぜ」と彼の「真に迫った」告白を虚構として笑いの中に解消してしまいます。
でも、もちろんドクソンにはわかっていて、真実の告白がずっしり胸にこたえていて、一言も発することができず、いつものドクソンらしさが影をひそめています。
そして、カフェの店の戸が開くたびに聞こえるチリリンという音に、振り返るドクソンの表情のアップ。もちろん遅れてくるはずのテクでは・・・と無意識に振り返っている。そして、そんな彼女の心を敏感に感じるジョンファンの表情のアップ。ジョンファンの気持ちに同化して切なくなるシーン。このあたりの演出は心憎い。
ドクソンが一緒にライブに行くはずだった男にドタキャンされて、行きがかり上、一人で出かけ、雨に打たれて女友達に着替えを持ってくるように電話で頼んで劇場の前で寒さに震えている。ドンリョンと二人で映画館に入っていたジョンファンは、ロビーでドクソンが一緒に行くはずだった男が恋人と一緒にいるのを見かけてドクソンの状況に気付、映画館を飛び出して車を飛ばしてドクソンの居る劇場へ。二度も赤信号にとめられて焦れば焦るほど早く行きつけない。一方、テクは9段の囲碁師範として対局に出かけていたけれど、会場でトイレに入っているとき、ドクソンにライブにいくはずだった男を紹介した女性職員と世話役の男との会話を聞いてドクソンの状況を知ります。ただ、この会話が彼に聞こえていた、ということは映像では一切出てきません。廊下でテクを待つ男女二人が会話していて、その奥でトイレから出てきたテクが例のポーカーフェイスでなにごともなかったようにこちらへ歩いてくる、そういうシーンがあるだけです。
でもドクソンが震えながら立っている劇場の前に最初に駆け付けるのは、プロになって初めて対局を棄権して息せき切って駆け付けたテクなのです。二人を捉えたカメラが手前へ引くと、二人に背を向けてこちらへ歩いてくる、タッチの差で遅れたジョンファンの姿がとらえられます。
ジョンファンは雨に打たれる車にもどって、車内にとじこもり、赤信号がひとつでも青だったら・・・と思い、人生はタイミングだ、俺はいつもタイミングに邪魔されてきた、なんて間が悪い男なんだ、とつぶやく。でも、そのあと、テクがプロになって初めて対局を棄権してきたことをラジオのニュースで聴いて、赤信号のせいなんかじゃない、タイミングのせいじゃない、あいつの勇気のほうが俺の優柔不断な気持ちに勝ったからなんだ、と納得します。自分の気持ちに正直に、ただまっすぐに、ひたむきに突き進む、その勇気が運命を引き寄せたんだ、運命もまた人が選択して引き寄せるものなんだ、と気づくのです。
こういうシーンを見ると、この脚本家にほとほと感心します。
朝寝して眠っている息子や娘たちにそれぞれの親がからむ、それぞれの家庭の様子も、実にほほえましく、それぞれの家庭の特徴をきちっと描いていて感心します。とくにジョンファンと両親のシーンはこの芸達者な3人の表情がすばらしくて、ほっこりします。カメラも実にいい。
ドクソンの家庭でも、起きるなり姉と大声で喧嘩をはじめ、別の部屋で夫婦と息子の3人で朝食をとっているなかで父親が、久しぶりに賑やかさの戻ってきた空気を内心喜びながら、いい歳ををして喧嘩なんかして、と言うと、弟君が、ドクソン姉さんはわざと長姉を怒らせているんだよ、と言います。こういうセリフを聴くと、おう、やるなぁ、と思いますね。
きょうは活躍しなかったけれど、彼らの母親たちが最高で、それぞれほかのドラマでは癖のある重要な役がこなせる名優たちが、いつも主人公たちによりそっている重要な脇役として、それぞれ本名を役の上での名に使って、韓国の庶民的な家庭の普通のおばさんを実に個性的に演じています。なんでもない普通の庶民の暮らしのなかに、どんなにすごいドラマがあるか、どんなにすばらしい輝きがあるか、このドラマは本当にみごとに描いてみせてくれます。
先週なんか、例によってこの母親たちが寄っておしゃべりしている中で、ジョンファンの母親が、「息子が夜中に帰ってきて何か食べるものを作ってくれ、と言ったら喜んでなにか美味しいものを作ってやりたいと思うけれど、夫が夜中に帰ってきて何か作ってくれと言ったら、心の底から憎しみが沸き上がってきて、飛び蹴りしたくなる。」とジェスチュアたっぷり放言するところなんか、本当にリアルで(笑)パートナーと見ながら笑いこけました。
私はこのドラマ、パートナーに勧められて途中からしか見ていないので、いつか一番最初の回から全部通して、コマーシャルなしで見てみたい。なにせ夕方のこの韓流ドラマ、コマーシャルがやたら沢山はいりまくって興ざめなことこの上なく、しかもそのスポンサーというのが、例外なくいかがわしい(私はそう確信)保健食品やら保健薬やらの会社で、半分認知症気味の高齢者を騙して買わせるような宣伝をしているところばかりで、うんざりさせられます。
なんにもすることがなくなったら、こういうすぐれたテレビドラマのシリーズを全巻見なおしてみる、というのは確かにいいかもしれませんね。いまはレンタルビデオでそんなコーナーが大きくなっているけれど、これまではほとんど目をくれたこともなかったのですが、私もちゃんと後期高齢者の仲間入りをした、ってことでしょう。
いまもう一度見てもいいな、と思うドラマは、韓流では「冬のソナタ」(若いころのチェ・ジウが本当に綺麗でした)、「チャングムの誓い」(宮廷料理とその料理人の具体的な話が面白かった)、「ソドンヨ」(新しい技術を生み出す集団の話が出て来たり物語自体が面白かったし、悪役が良かった。お姫様役が素敵な女優さんだった)、そしてこの「恋のスケッチ?応答せよ1988」、日本のドラマでは「獅子の時代」(大原麗子が素敵でした。落ちぶれた菅原文太演じる主人公が人力車夫になって大原麗子を乗せるシーン・・)かな。
こんなドラマも、自分が生きてきた時代の様々な出来事や思いを喚起してくれて、懐かしく思い出します。
(blog 2017.9.20)