噂の女(溝口健二監督)1954
遊郭島原の井筒屋を女手ひとつで切り盛りするおかみ馬淵初子(田中絹代)のところに、一人娘で東京の音楽学校でピアノをやっていて失恋で自殺未遂を起こした娘雪子(久我美子)が帰ってきます。井筒屋はおかみの初子や太夫以下の使用人たちもみな着物姿のところへ、パリパリの最新流行ファッションといった感じの洋装の雪子が入ってくると、それだけで異様な感じです。
実家が遊郭であることに嫌悪感をいだいている雪子は、なにかけがらわしいものでも見るように女たちが化粧したりくつろいだりしているところを通って自室に向かい、女たちは、なにさ人を見下したような目でにらみつけてさ、と陰口をたたきます。
けれども雪子は心の冷たい女性ではなくて、遊郭という女が身体を売り物にすることで成り立っている商売を嫌っているだけで、東京で彼女が婚約者と破断の憂き目にあってのも、実家の商売が知れたためだったのです。彼女は遊郭の一人一人の女たちを見下しているわけではなく、その境遇に同情を寄せていて、病気でつとめのできない女をいたわり、看病したり、貧しい娘がここに置いてくれ、とやってきたときは、こんなところに来てはいけない、と諭したりするのです。
その雪子の精神的な後遺症を心配する母初子は、自分がいい年をして恋人のように思い、いずれ一緒になりたいと、その病院の建設資金なども手当てしてやろうとしている若い医師的場謙二(大谷友右衛門)に相談役になってやってくれ、と頼みます。
的場は喜んで雪子に接し、雪子もまた的場に惹かれていきます。こうして母娘の間で一人の男をめぐる三角関係が生じることになり、すったもんだの末、初子は病院建設費を的場に渡して身を引こうとするけれど、的場に裏切られたショックで寝込んでしまいます。
一方雪子も、結局は金目当てで母とつきあっていた的場の卑しい心根を悟って彼にはついていかず、それまではけがらわしいと嫌っていた廓の仕事を母に代わってこなすようになり、けっこうたくましい若女将として立ち回りはじめるのです。
戦後もまだ少しの間は残っていた古い廓の世界を舞台に、いかにも古典的な三角関係とその破綻を契機にした、反発していた母と娘の和解を描いた作品で、見どころはそうした人間関係よりも、廓という今では失われたこのドラマの舞台そのものであるような気がします。
井筒屋の廓のたたずまい、そこにくつろぐ太夫たちのあるがままの姿、彼女たちの境遇、そしてこの店(置屋とお茶屋を兼ねる)を訪れる男たちの他愛のない姿、お初にしきりに言い寄る進藤英太郎・・・等々。それを宮川一夫のカメラは、あまり演じ手の表情に迫るようなアップなどみせずに、或る距離をおいた廓の風景の中に追っていきます。たぶんそれは溝口監督自身の想いを反映したカメラなのでしょう。
お初が医師の的場に病院の設立費用を出してやろうとしていたりするのは、お初が彼を若いツバメみたいに可愛がっているせいだとは思っていましたが、まさかもろに一緒になろうなんて、若い娘みたいな一途な思い入れをしているとは思っていなかったので、雪子と的場の接近に嫉妬して、もろに恋敵として娘とぶつかる場面には驚きました。
その意味ではとても面白いシーンがあって、三人で能舞台を見に行く場面があるのですが、その舞台で演じられる狂言が「老いらくの枕もの狂い」。老婆が橋掛かりで「六十路にかかる姿が」恋をして、と語る場面があり、老いらくの「はずかしい」恋が演じられる。観客はみんな笑っているけれど、お初だけは笑うことができず、途中でいたたまれなくなって席を立つのです。自分の娘雪子と若い的場の接近に嫉妬し、的場と結ばれることを夢見てきたお初には、実に残酷な場面です。
だから、この時期の田中絹代の年齢を考えても、お初と若い的場とが結ばれるなんてありえない、と思う観客の気持ちはもちろん監督よくよくわかっていて、こういう残酷な場面を用意したのでしょう。これが節目になって、一波乱あって、ようやく母と娘は和解できるのです。こういうところでの狂言見物というエピソードの使い方なんかほんとうにうまいなと思いました。
最後の場面は若女将として雪子が溌溂として客の「注文」を受けたりしているところへ、どっといつもの客たちが押し寄せ、雪子が接待しており、母子の和解と雪子が後継女将におさまって有能ぶりを発揮するだろうことを示唆していますが、ハッピーエンドというわけではありません。
そこへ亡くなった太夫の妹で、ここへ置いてくれ、と言うのを、こんな所へ来たらあかんよと諭して帰した千代子がまたやってきて、やっぱりここへ置いてください、と懇願します。太夫の一人は、やめとき、と忠告しますが、姉さんたちからもどうぞ頼んでください、と千代子は頭を下げます。その千代子をあとに店を出て客の待つお座敷へ出ていく二人の女。「わてらみたいなもん、いつんなったらのううなんのやろ・・・」とつぶやいて出ていく、二人の下駄の音がカラコロ路地に響きます。このラスト、素敵です。
Blog 2018-12-1