チチカット・フォーリーズ
(フレデリック・ワイズマン監督)
「チチカット・フォーリーズ」(フレデリック・ワイズマン監督)
先日の「ニューヨーク公共図書館」の監督フレデリック・ワイズマンの"Titicut Follies”(1967年/アメリカ/84分/モノクロ)を、京都みなみ会館で、一昨日見てきました。
これは上映館のHPの解説によれば、「マサチューセッツ州ブリッジウォーターにある精神異常犯罪者のための州立刑務所マサチューセッツ矯正院の日常を克明に描いた作品」で、「合衆国裁判所で一般上映が禁止された唯一の作品」だそうで、長年の裁判の末、91年に上映が許可されたのとか。なるほど結構きつい作品でした。
同じく解説にあるとおり、「収容者が、看守やソーシャル・ワーカー、心理学者たちにどのように取り扱われているかが様々な側面から記録され」た作品で、一言で言えば人間扱いされていないひどい状況を、カメラが冷徹にとらえているわけです。
カメラの前で衣類を下着まで全部脱がされて検査され、看守らのしばしば単に威嚇するための、あるいはからかいを含んだ恣意的な命令に服従して、何度でも同じことをさせられ、同じ返事を繰り返させられ、裸で独房へ返される姿を見ていると、ナチの収容所で裸にされて追い立てられていくユダヤ人たちの光景を連想するのはごく自然です。
食事をとらない囚人は裸であおむけに寝かされ、手足を拘束された状態で、鼻から胃に届く長いチューブを入れられ、他端に漏斗をつけた看守が楽しむように流動食を流し込みます。囚人は前にもあったから慣れているらしく、少し苦し気な表情はみせるものの、淡々と受け入れています。
パラノイアときめつけられている青年は、自分の精神は何ともない、と主張し、実際、きわめて論理的な主張をして、自分を矯正院から刑務所の方へ戻してくれ、と懇願するのですが、矯正院の医師は青年の主張に全く耳を貸しません。
審査をするらしい同僚のソーシャル・ワーカーらもほとんど最初から青年を精神の病と決めつけています。
青年は自分に向き合おうとしない医師らに苛立って、多少興奮し、早口でまくしたてはしますが、そのことをちゃんと自覚しており、自分は確かに今興奮しているけれど、精神を病んではいない、とごく当たり前の、納得できる主張をしていて、彼が語ることに支離滅裂なところはなく、きわめて論理的です。
青年は、この病院へきて、こういう環境の中に閉じ込められているほうがおかしくなる、と語り、むしろ医師が自分を病気にしている、と言います。医師が本に書いてあった病名を勝手に与えて決めつけ、青年に病名を与えた瞬間から、青年はその病の患者なのであり、医師がその固定観念をあらためないかぎり、その境遇から抜け出すことは不可能なのです。そのからくりが岡目八目で見ている私たち観客には一目瞭然です。
このやり取りを聞いていると、担当医師のほうこそ、どこか精神を病んでいるとしか思えません。医師の方が青年よりもよほど異常な気持ちの悪い顔つきで、粘着質で重度のパラノイアか何かに違いないという人物なのです。
ほかのソーシャル・ワーカーだったか専門家として青年に対する連中も、担当医師のように異常ではないとしても、当時の古臭い精神医療の固定観念にとらわれていて、最初から青年を自分たちが貼ったレッテルでしか見ていません。
そして、この担当医師は、青年に大量の精神安定剤を処方することを考えているらしいことを口にするのです。ほんとうにぞっとするような話です。
お子さんが発達障害だった友人が方々駆けずり回ってついに自分が信頼できると思った治療法にたどり着いて、アメリカまで出かけ、また自らの膨大な時間とエネルギーを費やして、とうとう完治するところまでこぎつけたのを見てきたのですが、その途上で、いい加減な医師が向精神薬を与えるのを彼は信用せず、自分で服用してみたと言ってたことがあります。そしたら頭がフラフラになって、とても運転などできるような状態ではなかった由。ああいう薬はそれくらい人体にひどい影響を及ぼすものらしい。
種類は違うけれども、いま私が服用しているステロイドのように、きっとめちゃくちゃな副作用があるのでしょう。ステロイドにはそれでも炎症を抑える効用だけはあって、直さなきゃいけない炎症のほうもいわば物的証拠がはっきりしているけれど、心の病のほうにはそういう「物的証拠」もなく、向精神薬なんてものの「効果」など明確にわかったものじゃないし、そもそもああいう医師が頭から患者はこうだと決めつけているだけですから、健常者の意識にでも過剰な強い作用を引き起こす薬を「大量に」飲ませるというとどうなるか、考えただけでも恐ろしいことです。
まぁざっとこういう滅茶苦茶なことが「治療」だの「矯正」だのという名のもとに公然と行われてきたわけで、この映画はそれを厳しく告発する作品であることは申すまでもありません。行政にとってはよほど衝撃的だったのか、上映禁止にされたらしく、解禁も、「ブリッジウォーターの矯正院の運営はその後改善された」という一文を映画に入れるようにという裁判所の条件つきだったらしいことが、映画の最後に示されていました。
これは60年代の映画ですから、もし当時学生だった私が見ていたら、刑務所や矯正院なんてところは、なんてひどいことをやっているんだ、と憤り、この映画監督はよくぞやってくれた、と単純に拍手しただろうと思います。
しかし、いまこの映画を見て感じるのは、それよりもむしろ、よくこんな映画が撮れたなぁ、ということです。つまり、よくもまぁ、こんなひどいことをやっている矯正院にカメラを入れることができたなぁ、いったいどうやればこんな現場にカメラを入れる許可が下りるんだ!という驚きです。
おそらく、今だったら、日本であれアメリカであれ、ぜったいにこういう施設がこんなカメラを入れることはないでしょう。必ずや門前払いにするに違いありません。入れるとすれば、よそいきのしつらえをしてからに違いありません。しかも、門前払いの口実は「囚人たちのプライバシーの侵害になる」「囚人たちの人権を侵すことになる」という理由ではないか、と思います。
こういうことを考えると、この半世紀ほどの間に、秩序の側、権力の側が、いかにずる賢くなったか、何をどう学んだか、ということが明らかになってくるような気がします。
かつては、ここに登場するような看守、ソーシャル・ワーカー、医師たち、心理学者たち、あるいは矯正院の院長みたいな幹部連中等々、秩序の側、管理する側、囚人に対して権力を持っている側は、自分たちのやっていることが悪いことだなんて少しも考えていなかったに違いないのです。
自分たちのやっていることが囚人の人権を侵すとかプライバシーを侵すとか、人間性に反するとか、そんなことは考えもしなかったでしょう。
だからこそ、カメラを入れたって、それが囚人の人権やプライバシーに触れるなんて考えもしなかったでしょう。そもそも囚人の人権やプライバシーという観念が彼らの頭の中にはなかっただろうし、そういうものを「守る」なんて、およそ彼らの想像を絶することだったでしょう。
従って、自分たちの「正当な」囚人の扱いがカメラにおさめられたからといって、非難されるなど、想像できなかったのでしょう。だから、抵抗もなく撮影を許可して、自分たちの蛮行を平気で撮影させたのでしょう。
これに対して現在では、その種の権力をふるう者たちも、多かれ少なかれ同様のことをやっているに違いないのですが、彼らはそのことがどうも今の世の中の大多数の持つ倫理観では容認されないらしい、ということには、少なくとも直感的には、漠然とであれ気づき、知っているでしょう。
従って、自分たちが、そういった態度をとり、そういった行為をやっているとすれば、それを世の中に知られてはまずい、自分たちが非難されかねない、とわかっているわけです。
だから、ドキュメンタリーであろうが何であろうが、そう簡単に内部をカメラの前にさらけ出すようなことはしません。やらせるとすれば、よそいきの時と場をしつらえてのことに違いないのです。
しかし、他方で、そうした公的性格を持つ施設の運営をオープンにせよ、というのも世の中の流れですから、彼らにはいつもそういうプレッシャーがかかります。
そこでオープンにしないための論理を編み出すわけです。それが、かつて彼らを非難した進歩派が使った論理を逆手にとることだったのでしょう。つまり、「人権を守れ」だとか「プライバシーを守れ」だとか、「差別するな」といった主張を、自分たちがその人権を侵害し、プライバシーを侵し、差別的な扱いをしてきた囚人たちの「人権を守るため」「プライバシーを守るため」「差別意識を助長しないため」に、内部を公開するわけにはいかない、というわけです。
これは矯正院だの刑務所だのという特定の施設に限ったことではありません。
実際、孫の通っていた小学校で、児童が教師の指導での授業中にプールで水死する事件があったとき、学校側は最初に保護者を集めて説明会をしたのはよいが、参加した人によれば、そこで校長らが言ったことは、「プライバシーの問題があるから」という理由を盾に、事故の詳細を語らず、曖昧な文言に終始し、保護者や児童がこの事件のことを互いに、あるいは学校外部の人間に語ることを押さえるような態度に終始していたのです。
その結果、実際に誰の責任で何が起きたのか、真相を知りたいというご両親の気持ちに打てば響くように応えてくれるものがいてくれるような状況から遠く、亡くなった児童の級友やごく近い児童、その保護者らの間でも、この事件について語ることを遠慮するような空気が生まれ、被害者である亡くなった児童の保護者が精神的に孤立を強いられるような状況が生まれてきたのです。
かなり時間がたってから、真相が知りたいという被害者のご両親のほうがむしろ精神的に追い詰められ、その要望に応えようとしない学校側の態度などを見ていて、これではおかしい、と亡くなった児童の級友の保護者らがようやく声を挙げはじめ、相互に連絡を取り合い、少しでも被害者の両親の気持ちを支えていくような行動をとっていこう、という動きが生まれてきたのでした。
こうした身近なケースを見ても、いかに管理する権力をもった組織というのが、ずる賢くなっているかがよく分かるのです。彼らはかつて自分たちが直截な指弾を受けた理念、論理を逆手にとり、こともあろうに加害者の一味である彼らが、被害者の人権やプライバシーを自分たちの盾にして、真相を知ろうとする被害者や被害者に寄り添う人たちを門前払いし、予め自分たちへの批判が生じる可能性を封じようとするのです。
近年では、真相を明らかにすると称して、組織の息のかかった人物をさりげなく加えた、全然客観性だの公平性、中立性など保証されない、名前ばかりの「第三者委員会」なるものを設けて、自分たちに都合の良い結果を導く手法も花盛りのありさまです。実際、さきの私の身内の通っていた小学校でも、第三者委員会なるものが設けられて「調査」を行いましたが、あろうことか学校側の態度に不信をいだかれた遺族が裁判に訴え、証拠提出を要請しても、その「調査」資料一式を廃棄したというのです!
まさに今回の安倍首相の花見の会の参加者名簿廃棄と同じ、証拠隠滅にほかならないですね。
こういうことが、いまでは地域の小中学校のようなところから、中央官庁、さらに総理大臣の姿勢にまで共通して起きているというのは、少し注意してみれば誰にでも容易に見えるのではないでしょうか。
首相のお花見会の件でも、国会議員が資料を要求したその日のうちに、それまでほうっておいた資料を慌ててシュレッダーにかけて証拠隠滅した官僚の言い訳は、大型シュレッダーの利用が混んでいて使えなかったのが空いたから、という後にウソであったことがはっきりしたことと同時に、なぜそんなに急いで消去したのかという問いに対して「大量の個人情報を預かって管理することはプライバシー保護の観点からリスクが大きいので、早急に処分すべきであるから」という趣旨のものでした。
いつごろから、権力者たちはこのようにずる賢く、自分たちを批判する「敵」の理念と論理を逆手にとり、むしろ自分たちが抑圧し、差別している被害者の人権やプライバシーを盾にとって、真実を隠蔽し、自分たちへの責任追及を門前払いするという、巧みな技(笑)を覚えたのでしょうか。
振り返ってみると、おそらくそれは、ちょうどこのワイズマンの映画がつくられた60年代末以降のことなんだろうな、と苦い気分とともに考えざるを得ません。
1967年にこの映画は撮られたわけですが、1968-69年といえば、年配の人なら、だれもがどんな時代だったか覚えているでしょう。いわゆる東大紛争で安田講堂攻防戦があったのは69年の1月です。
世界的な同時性を帯びた、あの「学生の反乱」の季節の後、私たちはちりぢりになって「しらけの季節」の70年代を過ごし、大学などとはもう縁もなくなったと思ってきたのですが、その大学に残った友人たちは口々に「教授たちがものすごく用心深く、悪賢くなった」と言っていたのを思い出します。
学生たちに突き上げられ、お前の学問はなんだ?お前の生き方はなんだ?と詰問されてうろたえたり、中には泣き出さんばかりだった教授たちも、あれこれ批判される過程で彼らなりに「学んだ」わけですね(笑)。その分、実にしたたかになったわけです。
いや、映画からだいぶ離れてしまいましたが、そういうことをあらためて思い出させてくれる作品でした。だから、描かれている矯正院の現状は、たしかに目を覆うような、めちゃくちゃひどいものですが、それにもかかわらず、こんな映画を撮らせて悪びれるところのなかった組織の権力者たちのありようを思うと、あの頃はまだ古く「良き」時代であったのだな、と思わずにいられなかったのです。
blog 2019年12月16日