「ブレードランナー2049」の暗さ
昨日、やっと話題の新作を見てきました。
それにしても観客の少ないこと・・・平日の昼間だから仕方ないけれど、話題の映画でもこれだから映画館経営は大変だろうな、映画会社も大変だな、映画の作り手たちも大変だな・・・などと次々連想して、最後はわが家の監督さんもこれから大変だな、ひいてはわが家も大変だな(笑)・・・
今回は私の好きなリドリー・スコットは製作総指揮という位置で、監督はドゥニ・ビルヌーブ監督。たまたま先日レンタルビデオで彼の「ボーダーライン(Sicario)」という2015年度アメリカ映画を借りてきて観たばかりでした。
何も調べて行かなかったので、「ブレードランナー2049」の監督が彼だということも知らずに行って、彼が監督だと知って偶然に驚くと同時に、見終わった時、なるほどな、と思いました。この暗さ(笑)は確かに「ボーダーライン」そのままのビルヌーブ監督の暗さだなぁ、と思いました。
映像のエンターテイナー、リドリー・スコットの旧作も雨と靄に煙る猥雑で混沌としたアジア的未来都市の光景が全体として暗い雰囲気を作っていて、話もかつては地球外の植民星で人間に奉仕していたアンドロイドが反乱を起こして(映画の物語が始まる前史として)鎮圧され、逃げ延びて地球へ戻ってきたものたちがブレードランナーに追われて次々に抹殺されるという暗い話で、その中でアンドロイドの女性に恋をするというロマンスはあるものの、暗いことは暗かった。
でも旧作ではその物語の仕掛けの単純さとスピード感があまり重さを感じさせず、そのころには画期的だった映像の斬新さや、追われ、死んでいく宿命のアンドロイドに焦点をしぼって、シャープで美しいイメージを与えていることが新鮮で、決して希望に満ちた世界ではないけれど、何か新しい世界を見せてもらったというエンターテインメントとしての満足感がありました。
ビルヌーブの新作は、その都市の暗い光景はほとんどそのまま引き継いでいます。始終雨が降っている夜の世界。そういえば昼間のときってあったかな?(笑)と思うくらい圧倒的に夜の世界の比重が大きい。その雨も酸性雨か放射能雨のような雨なんでしょうね。確かにスコットの旧作の都市と同じように高層ビルが立ち並び、そのビルには雨や靄ににじむような色合いながら、明るい巨大な広告のネオンの光の描く像が見えます。旧作では2次元だった広告イメージが3次元になって、直接通行人に近寄り、語り掛けたりするところは映像技術の進化が、そのまま都市の描き方に反映されていて面白い。
でも基調は変わりません。日本のSFアニメがさんざん描いてきた、核戦争後の荒廃した都市の光景のように、巨大な石像が転がって居たり、建物が崩壊していたり、無人の薄汚れたビルが林立していたり、大型の産業廃棄物の山が連なっていたり、都市が幾つかのブロックに区画されて、異なるエリアに踏み込めばまるで光景が一変したり・・・
雨と靄の夜のビルの谷間や上空を、例のタクシーみたいな空中走行車で主人公たちは、猛スピードで疾走していきます。こういう都市の光景は、今回もとても素晴らしく、CG技術の最先端を見せてくれて、とても魅力的です。
ライアン・ゴズリング演じる主人公「K」(新型アンドロイド)が手足のごとく乗りこなしている車の天井の一部を外すと竹トンボのように垂直に空へ舞い上がって空中を旋回し、地上での指示に従い、監視や、カメラや、地中に埋められたものを探しだすことまで、様々な機能を果たします。こういう小道具も、007の次々繰り出される新型兵器がおもちゃみたいと笑って見ながらも楽しいのと同様、観客を楽しませてくれます。
そんな中ではKが家にいるとき、パートナーの役をつとめるヴァーチャルリアリティの彼女「ジョイ」は抜群に魅力的な女性です。アナ・デ・アルマスというキューバ出身の女優さんらしいけど、ネットで授賞式なんかに出ている写真や、たくさんのスチール写真のどれを見ても、どこにでもいそうな平凡な女優さんといった外見でしかないのですが、この作品に登場する彼女は見違えるように魅力的で、女優はやっぱり映画の画面の中でこそ輝くものだな、というのを強く感じさせられました。彼女が最終的に消されるシーンは残念でなりませんでした(笑)。
話を戻すと、そうした映像の暗さのほかに、この作品と「ボーダーライン」との共通点として、もうひとつ、物語の組み立ての複雑さと二転三転のどんでん返しというのが数えられでしょう。ネタバレになって、これから見る人の興を削ぐといけないので、これ以上は言いませんが、「ボーダーライン」でも、主人公であるFBIの麻薬捜査官ケイトは、主人公であり物語は彼女の目線で語られ、進行していくにもかかわらず、彼女自身が知らされていないことが多くて、こうだと思っていたことが裏切られ、二度、三度、どんでん返しのような節目があります。
例えば同僚と飲みに入った酒場で同僚の旧知の警官に出会い、酒とダンスで意気投合して男女の出会いになりかけて、男が外した腕輪?が犯罪組織の人間が使っていたものと同じであることに気づいて、彼も汚職警官であることを知り、抵抗して殺されそうになるところを、この作戦に同行している、名優ベニチオ・デル・トロ演じる正体不明のコロンビア人アレハンドロに救われのですが、実は彼等はその男が汚職警官であることを知っていて、彼女を囮にとして使っていたのだ、というような展開。
あるいはこの作戦自体が、彼女が当初聞かされていたようなものではなく、このアレハンドロの正体に関係のある別の意図があって、それをCIAも「もっと上」の組織も知った上で、彼女たちを利用したのだと最後にもう一つ大きなどんでん返しがある、という物語の構成。
こういう構成と、それを展開していく物語の語り手の視線が全体の構造を知らない主人公の目によってなされることで、観客も主人公と共にそのつど予想外のことに驚かされ、裏切られ、そこに一筋縄ではいかない「現実」の重みを思い知らされることになります。
そういうところが、この「ブレードランナー2049」もそっくりなのです。私たち観客は、主人公Kと共に何が起きるか分からない展開に緊張し、予想外の展開に裏切られ、どんでん返しに驚かされ、一筋縄でいかない「現実」にぶつかり、その重みをずしんと胸に受け止めることになります。
したがって、この映画が面白かったか?いい映画だったか?と訊かれたら、ふつう面白ければすぐに軽々と「うん、面白かったよ!」とか、「いい映画だったね!」とか応えられるのですが、帰宅してどうだった?と訊かれて、「う~ん・・・面白い、というか・・・いや、すごく見ごたえのある映画だったことは確かだけど・・・」と、まだ見終わったばかりで、言葉を選ぶのが難しい気がしたのでした。
前半、うまく断片的な物語が見ていてつながっていかず、展開が重く感じられるところもありました。軽快なスピード感、いい意味の単純さに欠ける印象が、ただ暗く、重い印象を与えていたのです。それは最後まで見終わると、ずっしりとした見ごたえのある作品という印象になりましたが・・・。
旧作では、主人公デッカードが、彼もアンドロイドではなかったのか、というマニアックな観客が噂したあの一角獣の夢やラストの拾い物の紙で織った一角獣など、暗示的な映像で人間とアンドロイドという二元性に疑問符を打っていたけれど、今回の新作は正面からこの問題に向き合ったということはできるかもしれません。
私は映画館を出てから、この作品の重要な前提になる設定のところにSFとは言え現実味を感じず、それさえ呑み込めば、あとはこういう都市の情景も、物語の展開も、種々の小道具的な設定も、いつか人間にとっては現実的であり得る世界なんじゃないか、という感じを持ちました。最初の設定のところについては、キリスト教国の人たちだからこういう発想はそう違和感がないのかな、なんてちょっと思ったりもしました。
しかし考えてみれば、作品の中でアンドロイドが言うように、人間の遺伝子は4つの文字でできているのね、私たちは2文字だけど・・・と考えれば、この2文字によっても、奇跡は可能だということになるんじゃないか、なんて思いなおしました。科学的にはどうか知りませんが(笑)。
一般1800円という通常の映画料金は高いと感じるけれど、シニアの私は1100円でした。いや、十分おつりがくるくらい楽しませてもらいました。
(blog 2017.11.8)