スィートリトルライズ

(矢崎仁司監督)

スイートリトルライズ(矢崎仁司監督)2010



   周囲から仲のいいご夫婦ですね、と言われる結婚3年目のこどものない夫婦。とてもモダンでお洒落な、趣味の良さを感じさせるような小ぎれいなマンションに住み、妻は個展が開けるようなぬいぐるみの熊をつくる趣味を持ち、休日にはゆっく寝坊して、目覚めればサイフォンで優雅にコーヒーを入れて夫婦で飲む、人もうらやむような典型的な中産階級のゆとりのある何不自由なさそうな家庭・・・でも、どこか変。それをここを訪れる夫の妹がズバッと言います。


 「お兄ちゃんたち変だよね。家の中で携帯かけるなんて!部屋に鍵かけるなんて!」そう、家の中に居るお互いどうし、携帯電話で連絡し合う夫婦なのです。そして夫は部屋に鍵をかけ、一人でゲームを楽しんでいます。だからと言って、何か相互に不満をぶつけあったり、愚痴ったり、言い争うわけではありません。そういう「変な」生活を、ごく当たり前の自然な夫婦生活のように日々を送っているのです。妻は明るい新妻のような笑顔で夫を送り出し、迎え入れ、夫もまた笑顔で応じます。


 それでも、観客にはなにか二人の日々の中に不穏なものがあるのを感じ取ります。妻は編集者の若い女との会話で、母親が送ってきたじゃがいもをもらってくれない?と声をかけ、じゃがいもの芽には毒がある、と聴いて、「いざとなったら心中できるし・・・こっそり育てようかな」などとつぶやきます。

 

 その夫婦が外部からの些細なきっかけにゆさぶられる事態が徐々に進行していきます。夫のきっかけは、久しぶりに参加した同窓会で、後輩の女性から「また会えますか?会いたいんです」と言われて、戸惑いながらも「うん」と返事をするところ。後日、彼の職場に突然昼休みにその後輩が訪ねてきて、一緒に公園へいき、ベンチに坐って彼女の作った弁当を一緒に食べる。最初、夫は帰宅して妻に後輩に会ったことも、水族館のチケットを2枚もらったことも、事実を報告します。もちろん女が先輩に会いたいんです、と言ったとか、また会えますかと言ったとかいうようなことは伏せて・・・。


 妻のほうも夫の背広の匂いをかいで、いつもと違う匂いがする、と敏感に感じはしますが、まだ実際は何もないので、そのまま何事もなく日々が過ぎていきます。そして妻は趣味のぬいぐるみの熊の展示会の会場で、「彼女がどうしてもこれがほしいと言うので」と熱心に熊のナナを求めてきた若い男と、次にはDVD屋で出会って声をかけられ、顔見知りになります。男は非常に積極的に彼女に迫り、心に空虚なものをかかえた彼女は、ついに彼の胸に飛び込んでいきます。


 夫のほうも後輩の積極的なアプローチで、同窓会でダイビングに行くという口実で妻もつれていき、浜辺で読書という彼女を残して自分は後輩の女の待つ浜辺へかけつけ、ホテルへしけこみます。


 とまあ、そんな風に二人それぞれに、相手以外の異性から積極的なアプローチを受けて、家庭で満たされない空虚な心を満たそうとするように相手を抱き、欲望の炎を燃え上がらせるので、その少しずつ少しずつ深みにはまっていくプロセスが実にきめ細やかに、みごとに描かれていて、なるほどなぁ、と、そういうのに疎い私としては、ほとほと感じ入ってしまいました(笑)。


 夫も妻もそれぞれ相手の異性のところでの口癖が、「もう帰らなきゃ」なんですね(笑)。ほんとに深刻な事態なんだけれど、笑ってしまいます。また夫の相手をする後輩の女性の口癖が、「ちょっと言って見ただけです」なのですね。これは、女が彼にかまかけて、大胆に誘惑の言葉を投げかけてみせる。それに対して夫君はいちいち、ぎょっとなって、まだ辛うじて残っている抑制心と欲望との板挟みで何も言えずにきまじめな顔するものだから、誘ってみた女が、ちょっと言って見ただけですよ、本気であなたがそうしてくれるなんて期待していないわ、みたいに和らげて相手を安心させてやるときの口ぶりなわけです。こういう口癖なども使って、実に説得力のある誘惑の仕方、欲望への負け方(笑)が展開され、もう二人共相手の手の上をいいように転がされる感じで深みへはまっていきます。それはもう、私が40代でこの映画見てたら滅茶苦茶コワかったやろな、と思えるほどリアルです。いま40代の方は気を付けて(笑)。


 登場人物たちが名セリフを吐く場面がいくつもありますが、私が一番ハッとさせられたのは、妻が若い男との情事のあとで、男が自分がつきあっていたミヤコという彼女と別れた、と告げて、でもあなたにとっては関係ないかもしれないかもしれないけど・・・と言って、女(ルリコ)がそのとおりよ、と言うだろうか、あるいは嘘でもいいから関係ある、と言ってくれるかな、というようなことを言うのに対して、こう言う場面です。


 「関係あるわ。そしてそれは嘘じゃない。私はあなたに嘘つけない。知ってるでしょ?だってあなたも私に嘘ついてくれないもの。そしてね・・・」ここで一拍。男が「そして何?」と先を問うと、しばらく言おうとして唇は動くけれど言いよどんだ末に、「なぜ嘘をつけないか知ってる?人は守りたい者に嘘をつくの。あなたがミヤコさんに嘘つくように。私がサトシ(夫)に嘘つくように・・・でもあなたを愛しているわ」


 この最後の「でもあなたを愛しているわ」の抑揚のない冷たい言い方といったら・・・すごいですね。この場面、このセリフ。思わずハッとさせられました。そうか、人は自分が守りたい者に嘘をつくのか・・・だから情人には嘘なんかつかない、あなたは私に嘘をついてくれないでしょ、と。これってすごい人間認識ですよね。言われてみればそのとおりです。


 まぁあとはいいでしょう。いっぱい細部に見どころがあります。

 後輩の勤める水族館でスナメリか何かが泳ぐ水槽のガラスに開いた手をぴったりくっつけて見入っている男(さとし=夫)、その薬指に指輪・・・それが同じようにガラスに開いた手をぴったりくっつけているルリコ(妻)、その薬指にも指輪、そして水族館のガラスのほうのサトシの手に、女(後輩の三浦)の手が重なり、「休みをとった・・・」と言い、手を組み、職場でいいのか?と言われても、水族館はカップルが多いからかえって目立たないと言って平然と腕を組んで暗いトンネルへ入っていく女・・・このあたりの手の使い方、映像の切り替えも、おうおうやるなぁ、という感じで見ていました。


 それからルリコが男からの電話で、家にきていた義妹に留守を頼んで、いそぎ出かけるとき、義妹に「もしお兄ちゃんが帰ってきたらなんて言っとけばいい?」と訊かれて、ぎょっとして振り返り、顔見合わせて一瞬絶句するルリコに、「ルリコさん、綺麗・・・」と義妹が言う場面・・・いいなぁ。


 夫婦が和合しようとするときに「腕の中にはいる」儀式も面白い。ルリコが「腕の中に入れて」と夫に腕で輪を作ってルリコを抱く形にさせてその輪の中で、つかのま安らぐシーンもあれば、サトシのほうから、「腕の中に入るか?」と誘うときもあるけれど、これはなかなかいい小道具になっていました。


 ほかにも色々あるけれど、逆に唯一、どうかと思ったのは、ルリコがしゃがんで撫でては語りかけていた黒い犬が死んで、タケシが遺骸を埋める大きな穴を掘って、そこへ犬の死体を入れるのだけれど、それを抱いていたルリコも穴の底に横たわるシーン、それからその飼い主のおばさんがルリコに、庭に生えているトリカブトを示して、「私、むかしあれで夫を殺したのよ」と言う場面。ルリコが「なんで・・・」と訊くと「さびしかったからかな」と答え、「人間は生きているうちはお化けよ。でも死ぬと人間になるのよ」と言い、「砂糖入れる?」なんて聞く場面。

 ルリコは「今はさびしくないの?」と訊くとおばさんは「きまってるよ。さびしいよ。一人だろうと二人だろうとさびしいもんなんだよ。」と。

 ここまでは一切カットしていいんじゃないか。こんなエピソード、やりとり、セリフ、みんな余計だと思いました。


 でも、そのあとの「薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク ナニゴトノ不思議ナケレド」と北原白秋の詩を唱和する場面は、このおばさんと出なくてもいいけど、どこかで入っていてもいいな、とは思いました。「薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク ナニゴトノ不思議ナケレド 照リ極マレド木ヨリコボルル 光リコボルル」


 ラストの「ただいま」「お帰り」はやや凡庸ではあるけれど、格別悪くはありませんでした。が、そうやってハッピーエンドでいいのかな?とは思いました。それは一時のものでしかないかもしれないですから(笑)。

 白薔薇,赤薔薇の花びらが浴槽に浮かんでいたり、ラストに登場するのはあざといし、無用だとは思いましたし、仲良い2体の熊もう~んと思ったけれど、ここはがらんとした部屋で終わってもいいのではないかと思いました。そう簡単に「ただいま、おかえり」で片がつくとも思えません。がらんとしたマンションの部屋、向こうに外のマンション群が見えている、あの光景をもう一度見せることで、これからの二人のありようもペンディングでそのまま終わるというのでよかったんじゃないか、という気がしたのです。 


 中谷美紀、大森南朋、熱演でした。

                     blog 2018-11-16