残菊物語 溝口健二監督 1939
これは戦前の映画です。巨匠の芸道三部作と言われる、現存する唯一の作品で、ほぼ完全な形で残っている貴重な映像作品なんだそうで、ウィキペディアによれば、映像と音声をデジタル修復した版が制作されていて、2015年にカンヌ映画祭でプレミア上映され、好評を博したのだそうです。
ビデオ屋で借りて来たDVDはそのデジタル修復版ではないのか、映像自体は暗くてとても見にくかったけれど、中身はすばらしかった。143分(もとは146分で現存作品は146分だそうです)の長丁場ですが、ちっとも退屈はしませんでした。
話の内容は、江戸歌舞伎の五代目菊五郎の養子菊之助が、名跡を継ぐことが約束されているがゆえにその未熟さを誰もあからさまには指摘せずに陰口を叩いている。それを一番よく知るがゆえに孤独を抱える本人は、さりとて芸の修行に身を入れるでもなく、半ば捨て鉢な気持ちでふわふわ遊び歩いている。その菊之助に、下女のお徳だけが菊之助の芸の未熟をあからさまに指摘しながら、もっと修行をと励ます。
初めて本当のことを言ってくれたお徳に菊之助は心惹かれ、彼女の励ましに応えて修行に身を入れようと決意するのだが、その好意が仇となり、台所で二人一緒にスイカを切って食べていたところを帰ってきた母親や他の下女に見られ、あらぬ仲と疑われてお徳は里へ返されてしまう。(このスイカを食うシーンで、菊之助のスイカの種をお徳がかんざしを拭って、そいつでとってやる、あのシーンは素敵でした!)。
それを知った菊之助はお徳を追うが、お徳は身を引こうとし、菊之助は菊五郎や兄らに説得されて抗い、親元を飛び出して大阪の伯父を頼って行き、その一座に加わる。1年後にはお徳が訪ねて来て、貧しいながらも2人は2階の貸間でしばし夫婦生活を送り、菊之助は芸を磨いて親たちを見返すつもり。
ところが不運なことに突然面倒を見てくれていた伯父が亡くなり、菊之助は一座で無用の存在となって追い出されることになる。やむなくしがない旅芸人の一座に加わって夫婦ともども仲間の旅芸人たちと大部屋に雑魚寝しながら地方を回っていくような生活をしながら4年の歳月を過ごす。こんな旅芸人をしていて芸の修業ができようかと菊之助は嘆くが、お徳は、菊之助の芸が苦労ゆえに以前にはなかったものがみられる、と励ます。そのお徳の身体は長い無理がたたって蝕まれつつあった。
旅芸人一座も、名古屋で興行をうとうという直前になって、仕切っていた男が逃亡し、女相撲に会場を奪われて上演さえできず、解体せざるを得なくなる。万事休すと自暴自棄になる菊之助だったが、たまたま見たちらしに、彼の若き日の友であった中村福助の一座が巡業公演で名古屋に来ていることを知ったお徳は、最初からどうせだめだと諦めている菊之助を尻目に、単身福助を訪ねて子細を語り、菊之助を出演させてほしいと頼む。
福助の尽力で彼の代わりに大舞台に出演することとなり、菊之助はそれまでの修行の成果をすべてそこにぶつけて大成功をおさめる。そして、これを知った養父菊五郎たちも菊之助を許し、戻ってくるように言う。しかし菊之助を出演させるときに、お徳には、若し成功したら菊之助を東京の本家に返すこと、つまりお徳は菊之助と別れること、という約束をさせており、お徳もその覚悟で頼んだのだった。
こうしてお徳は一人で、大阪へ帰り、二人で住んでいたあの2階の借間へ戻る。どうして・・と尋ねるそこの娘に、お徳は、あんな男と一緒にいるのが面白くなくなったのさ、ときつい口調で云い捨て、お徳さんずいぶん変わってしまったのね、と言われる。
菊五郎の元へ帰った菊之助は役者として成功し、一座で大阪へ公演にやってきて見事な芸を披露する。そして、恒例の船乗り込みに赴く直前、お徳が危篤だという知らせが入る。菊之助は、このときはじめて菊五郎からもお徳が菊之助の今日あるのはお徳のおかげ、と夫婦として認められ、それを喜んで伝えようとお徳の伏す借間の2階へ駆けつける。
お徳はお許しが出てやっとこれで気兼ねなく、夫婦として、あなたと呼んでいいんですね、と喜ぶが、早く船乗り込みに行くように菊之助を促す。瀕死の床のお徳を残して彼は船乗り込みに赴き、船上で客にその晴れ姿を披露する。その囃子の音を耳にしながら、お徳は息絶える。
ざっとそういう話で、男の芸道を全うさせるために、身を犠牲にして支え、励まし、ひたすら尽くして生涯を終える女を描いた、古典的な芸道物語です。たしかにそこに描かれている歌舞伎界の人間関係は古めかしく、現代の観点からいえば、とんでもない身分差別や女性差別の世界なのですが、その中でひたすら男のために尽くすお徳の姿の一途な姿は、哀れを通り越して、やや凄みを帯びています。
映画評論家の佐藤忠男は、この作品が男に尽くした女の美談を描いたメロドラマだというのは表層的な見方で、これは女の意地を描いたものだ、と言っていたそうですが、さもありなん。
というのは、彼女のやってきたことというのは、単に男の意のまま欲するまま、それに従い沿って男を満足させてきた、というのとは違うのですね。あくまでも彼女なりの芸道についてのビジョンがあって、未熟で根性なしの跡取りのぼんぼんだけれど菊之助の資質の中にすぐれたものを認めて、修行さえ積めばいい役者になるのだ、と考え、その方向へ向かわせようとして、彼を叱咤激励し、支えていくわけで、たいていの場合は菊之助のほうが、もういいよ、もうわしはあかんよ、と自分に匙を投げている。それを、いやまだまだ、いま放り投げたらいままでやってきたことが無に帰してしまうよ、と渋る彼の尻をたたいて落ちぶれた身でも芸の修行に励みつづけるようにしてきたのは彼女のほう。これは愛情を前提とするものではあるけれども、彼女の意地というのが的を射た表現かもしれません。
この映画は歌舞伎界が舞台ですから、古い歌舞伎小屋の表も裏も見せてくれて、おまけにほんものの公演のシーンもかなり出て来て、しかも結構長時間見せてくれます。それが例えば菊之助の再起の決定的なきっかけになる名古屋公演だったり、親元へ戻って成功を博したことを象徴するような大阪公演だったり、物語とかみ合う形で、すばらしい華やぎを添えています。おまけに最後はお徳の悲痛な死を対照的に写される華やかな船乗り込みの船上での菊之助の晴れ姿。実にうまく本物の歌舞伎の舞台が使われています。衣笠貞之助の「雪之丞変化」なども歌舞伎小屋が舞台の復讐劇で、歌舞伎小屋が建築構造的にもうまく使われていますが、溝口の使い方は歌舞伎の華やかなイメージを生かした本格的で堂々たるものです。
主役の二代目菊之助を演じたのは花柳章太郎、福助が高田浩吉と、ここらは私でも知っていますが、お徳を演じた森赫子という女優さんは知りませんでしたが、みごとにお徳を演じています。
菊之助をとらえるカメラは正面から菊之助の表情をとらえていますが、お徳の表情がアップで正面からとらえられることはほとんどありません。だから彼女が主役のこの長い映画を全部見終わっても、彼女がどんな顔の女優さんだか、ほんとうのところよく分からない(笑)。ほとんどが横顔だったり、ちょっと俯き加減の表情で、いつも横向きか向こう向きになって菊之助に語り掛けているようなシーンなのですね、記憶の限りでは。ここまで徹底している(ように私には思えた)と、これは監督が意図的にカメラをそう使っているとしか思えません。
ワンシーン・ワンショットが特徴と言われる溝口ですから、けっこう長まわしをしているというのはこの作品でもよくわかるけれど、私はそれよりもお徳の捉え方に意図的なものを感じました。それが佐藤忠男さんのいう「女の意地」を貫いたお徳の捉え方にふさわしいカメラだったような気もしています。
(Blog 2018-8-10)
残菊物語 (溝口健二監督)再見 1939
前にビデオで見た感想を書いたのですが、今回京都文化博物館の30周年記念事業「映画にみる明治」の一環として上映された(12月20日)ので、スクリーンでもう一度ちゃんと見たいと思って観てきました。やっぱり素晴らしい作品で、溝口と言えば社会派的な「祇園の姉妹」などが代表作なのかもしれませんし、たしかにいい作品だと思うけれど、今まで見た中でどれが一番好きか、と言われたら、この「残菊物語」。
もうストーリーは判っているのに、遊郭みたいなところで陰口と表だっては歯の浮くような世辞しか言われず心折れて帰って来た菊之助に、子守をしていたお徳が、はじめて彼の芸の出来がよくない、と本当のことを言って親身に心配し、励ますシーンを見ていると、思わず泣いてしまいました。そのあとも、何度か泣かされてしまった。
なぜこんなにこの作品に惹かれるのか。何がひきつけるのか、と反芻しながら考えてみると、そのひとつの大きな要素は、お徳さんの声なんじゃないか、と気づきます。女優さんは森赫子さんという私にはなじみのない女優さんです。とくに美人女優というのではないし、彼女の表情は、前にも書いたように、この作品ではほとんど横顔か、うつむき加減の控えめな表情で、例えば小津の登場人物みたいに正面からアップでその表情がとらえられるような場面はまずなかったと思います。けれども、その常に影の中か、影を伴う表情から聴こえてくる、あの高くか細い、だけど芯のしっかりした声が、こちらの胸の底まで深く染み入るように響いてきます。
話は高名な役者の家門の身分制が厳然と生きているような場で跡取りの大根役者の傷ついた心を癒し、純粋な気持ちで励ましていた子守女が、そのことであらぬ疑いをかけられて排除されながら、生涯男の芸を信じ励まし、家を飛び出した男の暮らしを支え、最後は自分が身を引き別れることを条件に男をもとの家門の跡取りに返すという徹底した自己犠牲の上に立って男の大成のために尽くすという古風でけなげな女性の物語で、いま見ればいかにも古風な時代がかった物語ですが、そういう意味の古風さは描かれた時代や描かれた人物(歌舞伎の家元の跡取り)のものであって、作品の古さではない、という気がします。
(Blog 2018-12-22)