『鴨川ホルモー』(万城目学)
この作家の最新作『プリンセス・トヨトミ』がいま書店で大量に平積みされていて、長男の万年床の枕元にも転がっているので、読んでみようかなと思ったのですが、まだこの人の作品をどれも読んでないので、準備体操に文庫本で出ている処女作(だと思います)『鴨川ホルモー』をまずは読むことにしました。
読み終わった直後の感想をひとことで言えば、素直な青春小説という印象ですが、そう言ってしまうとこの作品の個性を全部消してしまうことになるので、京都を舞台に「ばかばかしくも」奇想天外な物語が繰り広げられる、と言っておかないとこの作品を語ることにはならないでしょう。
「ばかばかしい」というのは、文庫版の解説者金原瑞人が帯の推薦文を依頼されて書いた箇条書きの文案の「四つのうち三つに共通している言葉」ですが、彼の場合、この言葉は「ばかばかしいほどにおもしろく」とか「ばかばかしいくらいに青春的な」というふうに肯定的に使われています。
実際、京都の東西南北に位置する四大学の学生が鬼の軍勢を使って合戦するというような、「ばかばかしく」も奇妙奇天烈な話が純愛青春小説におっかぶされて展開していきます。
一語たりとも置き換えのきかない言葉を搾り出して作家の内面を書きつけるようなのばかりが文学と考えると、この作品は軽いおふざけでしつらえた青春ライトノヴェルのように見えるかもしれないけれど、「ロマネスク」を書いた初期の太宰(畏れ多い名を出してしまいましたが・・笑)のような語りの上手な作家が面白いホラ話をしていると考えれば、めくじらを立てずに、そのホラ話を楽しめるでしょう。
ここに登場する小鬼たちは、可愛らしくもあり、またちょっと不気味でもありますが、顔が「絞り」みたい、というので、ちょっと親近感に欠けるのは残念です。でも、その絞りがダメッジを受けると引っ込んだり、レーズンを補給すると回復したり、という奇想もなかなか面白い。黒鬼がびっしりとりついて炎に包まれるようになって絶叫のうちに消滅するシーンはコワイしね。
純情青春物語としての結構と、この奇妙奇天烈な鬼の合戦の話とがどこでどう骨がらみの関わりを持っているのだろうか、と生真面目に純文学評論風に考えると、自分の行動や気持ちさえ確かでなく、まして身近な友人や異性の気持ちもまるで見えておらず、いつもどこかちぐはぐで、ドジで、頓珍漢なことばかりしたり、考えたりして、自分をも他人をももてあましている青春真っ只中の若者の、しばしば自分でもコントロールできない自身の情念のさざめき、その奔流と激突、減衰と消沈等々と、あの小鬼たちの群れの振る舞いとが響きあうものとしてみることもできるのではないでしょうか。
でも、作者の見せたいのは絢爛豪華な衣裳のような奇想天外なホラ話で、そちらに語りのエンターテインメントとしての眼目があるので、純情青春物語の結構はその衣裳を見せるための衣紋掛け(衣桁)のようなものにすぎないんだから、素直に目の前に繰り広げられる奇妙奇天烈な鬼の合戦物語を楽しめばいいじゃないの、という読み方もあるのだと思います。
若い人は素直にそういう楽しみかたをしているのだと思うし、実際、そうして楽しめる作品だと思います。
blog 2009年03月26日