ざくろの色
(セルゲイ・パラジャーノフ監督)
「ざくろの色」(セルゲイ・パラジャーノフ監督)1969
先日「火の馬」を見て、わかりやすくもあり、とても良かったので、同じ監督の「映像詩」と賞賛される「ざくろの色」もぜひ見ておきたいと思って、今回DVDを取り寄せて見たのですが、正直のところまだ「見た」とは言えないな、と自分で感じています。
たしかに色彩はとても美しく、これがグルジア(ジョージア)的な色彩であり文様であり装飾なのか、とそれ自体の美しさは感じ、また左右対称にいくらかこだわりのありそうな様式的でスタティックな映像美、さらにほとんどセリフがなく、ストーリー性も一見したのではまったく理解不能な、象徴的な映像のモンタージュ、そして登場人物たちに向けられるカメラがちょっと普通の劇映画を撮るような位置や動かし方とは基本的に異なるようで、真正面からカメラを向いていたり、真横の横顔だったりがやたら多いとか、もうふつうのこれまで見て来たような映画の観方ではまるで歯が立たない感じですから、全編見終わってもまだ見た、という感じが持てないのです。
自分なりに普通の観客として何か充実感があればそれでいいのですが、ある強い魅力のようなものがあるのに、その正体がまったく分からずに入口で門だけ見て引き返してしまったような感じと言えばいいでしょうか。
それで、これは何か手掛かりになるような情報が要るのかな、と思ってネットで検索していたら、ある人が「『ざくろの色』(サヤト・ノヴァ)のストーリー」という文章を書いているのを見つけ、そこに次のように第1章から第八章まで解き明かしてあるので、びっくりしてしまいました。この作品にもこんなストーリーがあったんだ!と(笑)。でもそれをこれだけきちんと解き明かして見せる人ってすごいなぁ、と思ってこれを書いた方にも感心しました。
それによれば、
第一章 詩人の幼年時代
第二章 詩人の青年時代
第三章 王の館
第四章 修道院
第五章 詩人の夢
第六章 詩人の老年時代
第七章 死の天使との出会い
第八章 詩人の死
・・・だそうで、それぞれについて簡潔な説明もありました。
たぶん私などは10回この映画を観ても、これは分からなかったでしょう。この作品が詩人サヤト・ノヴァの(「伝記」ではなくて)内面の歴史というのか、なにかそういうものを描いたものだというのは映画の冒頭に断り書きが出てくるので、そういうものなんだな、というのは分かっていましたが、それにしても何度見てもこういう分節のされ方と、それぞれの内容がこういうことの表象なんだ、ということは私には知り得なかったでしょう。
想像するに、映像の一コマ一コマに登場する文様や何かに、この民族固有のイコンみたいなものが実は描かれていて、そういうのを見れば知る人ぞ知るで常識としてパッと何を描いているかわかるんだとか、登場人物の衣装や装飾品、その動作、あるいは登場する様々な事物、道具類、空間等々にもこの民族の暮らしにあって当たり前のものが溢れていて、見る人が見れば、あれはこういうときに身につける衣装や装飾品だ、あぁいう動作はこういうときにするものだ、あの道具はこういうときこうやって用いるものだ、あの空間のしつらえはこういう場所に固有のものだ、というように、一目でわかるものだ、というようなものかもしれないな、と。
それ自体はだから極めてローカルなものかもしれないけれども、それさえわかれば、そこから立ち上がってくる物語にはとてつもない奥行きがあったり、そのローカルなものを語る語り方(映像の取り方)自体が非常に新鮮なものであったり、というところに作品としての価値が構成されているんだ、ということなんだろうか、と思ってみます。
もちろんその語り口の中に、あの独特の色彩やスタティックではあるけれど特異なカメラ位置から捉えられた人物のアップなんかも含まれるので、そういうものをまだよくよく見ないと見えないのかもしれないな、とは思いますが、単に色彩がどう、視角がどう、というテクニカルなことではなくて、それが作り手の表現意志の核とどうつながっているかが、少しでも垣間見えないと、観た、と言う気になれないのは仕方がありません。
従って、この映画は私にとっては当分のあいだまだ未見ということで、ここに書き留めておく次第です。ネット上の先の解読者の解説を手掛かりにあと何度か丁寧に見る機会がもてればと思っています。つまらない作品なら、こんなわけのわからないもの、自分には関係ないだけだ、とうっちゃっておくのですが、わけわからないけど、強烈な磁力は感じるので(笑)。
で、ネット上で、いいのかどうかわからないけれど、同じ監督の「スラム砦の伝説」(1984)という映画が全編公開されていたので、これも見ました。
残念ながら原語でしゃべるだけで字幕はなく、度々本編に挿入される原画の字幕もグルジア語なのかロシア語なのか知らないけれど翻訳なしの、もとの映像だけなので、もちろんストーリーはネット上で誰彼があらすじを説明している程度のことしかわかりません。
どうやら堅固な砦に、どうしても破られてしまう弱い部分が一カ所あって、何度つくりかえてもやっぱりだめだった。それを美しい若者が人柱になって、その場所に生きたまま埋められる(みずから埋まる)ことで、克服される、という人柱伝説を映画化したものなんだそうで、それを知った上で見れば大まかに、おぼろげにその太い筋は分かります。
なによりもこの映画では硬い石の砦とその背景になっている乾燥した荒地の風景がとても美しくとらえられているし、この砦の石窟みたいな穴ぐらに住まう人々の暮らしの光景や儀式的な風景も、絵画的な美しさを持っています。儀式的な場での正装なのか、朱の色が映える美しい女性の衣装とか、食卓に載っていたりそこらをうろちょろしている孔雀とか・・・
むしろを敷いただけのような粗末なしつらえだけれど、そこで民族衣装的な(そこではふつうの日常着かもしれないけど)衣装を着て踊るシーンとか、二人の男が、真ん中の男にザクロの実を放り投げさせたのを交互に刀でまっぷたつにして、中の乾燥したザクロの種がパラパラとこぼれるシーンとか、全体が分からなくても、個々にはとても楽しい面白い場面があります。素敵な馬が登場するほか、荷の運搬に使われるロバや二こぶラクダやラマ?も羊もふつうに登場します。
この作品でも登場人物がまっすぐにカメラに正対してセリフを言うような場面がけっこうあります。また真横を向いた顔をアップで撮ったりします。面白かったのはその横顔の女が頭巾をかぶって、まっすぐにカメラの方を向いて正対する同じ動作を3度繰り返す場面があります。あれは何だったんでしょうね。
それからたくさんの?が登場する場面がありますが、その水際でのシーンだったと思いますが、ちょっとミニアチュア的な船が宙に浮いている場面もありました。ワイヤーで吊ってあって、あれはワイヤーが見えていたけれど、わざと見せていたのか、あれはほんとは無いことになっているのか(笑)。吊っている上部を見せないから、見ちゃいけなかったのかも(笑)
いろいろ疑問を思い浮かべながらも、おかしなもので、イラチのはずの私が、映像の美しさに惹かれて最後まで見てしまいました。いつかまたこの人の作品は見てみたいな、と思いましたが、たぶん手ぶらで何度見てもよくわからんなぁという状態は変わらなさそうな気がしました。
Blog 2018-9-26