ランジェ伯爵夫人(ジャック・リヴェット監督) 2007
これはDVDで見ました。昔々大好きでバルザック全集を読みふけっていた中で読んでいた原作を、今回この映画を見たのをきっかけに引っ張り出してきて、もう一度読みました。バルザックとしては短いほうだし、私の記憶では、映画になるほどのドラマチックな展開があったっけなぁ、というちょっとした疑問があったからです。もっとも、あの短編「絶対の探究」から4時間の「美しき諍い女」という素晴らしい映画を作り出すリヴェット監督だから・・・という期待もあって。
今回も失望しませんでした。予想したよりずいぶん原作に忠実で、その点は原作で具体的なプロセスなどほとんど描かれない画家の創作過程を画家とモデルが対峙する姿に焦点をしぼって息づまるような戦いの姿として描き出してみせた「美しき諍い女」とはずいぶん違って、狙いもストーリー展開も原作に忠実だったと思います。
朴訥、無骨、不器用で思い込んだら一途な軍人としてしか能のない哀れな男の心を手玉にとって、意地悪くもてあそびながら自家薬籠中のものとし、自分に夢中にさせていくランジェ伯爵夫人の社交界の花形らしい手練手管がものすごくて、実に勉強になります(笑)。最初は私には夫がいるんですよ、という世俗の倫理観を楯にし、それが効かなくなってくると、次は神様が罪をお許しにならないという、宗教を楯にして、将軍の欲望を拒み続けるわけです。
もうすっかり自分の虜にしてしまって、しかも自分は何も与えない、この妖艶にして冷酷無慈悲な女性の本性があますところなく描かれています。曖昧なほのめかし、強い誘惑の言葉、むなもとの開いた大胆な服装、わざと疲れた風をして横たわり、そのくせ立ち去らせないで誘いかけるような仕草、わざと待たせる、わざと行かない、わざとつめたくする、おいでおいでをしながら拒否するダブルバインドの罠・・・将軍は社交界で「伯爵夫人の当番兵」と陰口を叩かれ、嗤われる身にまで自分を貶めてしまいます。
モントリヴォー将軍は無骨な将軍らしく社交べた。ナポレオンの将軍として軍功をあげて、単に軍人として英雄視されているがゆえにイタリア社交界に受け容れられているに過ぎないので、社交界の花としてしたたかにその社交界で生きている夫人の手にかかればイチコロ。
だからその「じらし」が度を超え、将軍の忍耐の限界を超えたとき、そのいわば復讐が乱暴なやり方になるのも、まぁ男としては(笑)やむを得んだろう、あそこまでいいようにあしらわれては、と同情したくもなりますが、将軍は彼女を拉致するわけです。
しかし将軍は彼女を殺すわけでも乱暴するわけでもありません。面白いのはこの事件がきっかけで、立場が逆転してしまい、夫人は将軍を本気で恋してしまってその身を任せようと将軍を訪ねる。ところが、将軍のほうはここで自分がかつてされてきたように夫人を冷淡に拒否し、その後自分がまだ彼女を愛していることを想い知って翻意するけれども、タッチの差で失意の夫人は修道院へ入ってしまいます。
映画の冒頭のシーンは、その修道院を探してようやくみつけた将軍が軍人の任務にかこつけてスペインのその修道院を訪れ、なんとか彼女に面会しようと画策して、ついにそれに成功し、フランス語の分からない院長を傍らに置いて、彼を拒む夫人に愛を告げて修道院からの脱出を乞う場面で、それが夫人の手で幕を下ろされたところから、回想が始まるわけです。
そして最後は将軍が手下を使って船で修道院のある場所へ近づき、断崖絶壁を超えて修道院に侵入して夫人を強奪してこようと試みますが、彼が発見するのは一室の床に寝かされた夫人の遺骸だった、という・・・これも原作のとおりです。
ランジェ伯爵夫人がそれほど魅力的な女性にみえるかと言えば、私にはそうは思えず、どちらかと言えばもう自分の年齢からくる女性としての容色の衰えが明らかで、それをとりつくろうのが精いっぱいで、社交界でかつてはその手練手管で花形だったかもしれないけれど、若い美しい女性が次々デビューして地位をだいぶ前から脅かされているにちがいない、とみられるような女性じゃないか、なんて思って、その点ではちょっと覚めて見ていました。首から肩、胸にかけてのあたり、痩せて骨ばって、ちょっと貧相で、とても妖艶さが漂ってくるようには思えませんでした。
でも服装はさすがにすごい。この映画の見どころは、彼が将軍を誘惑し、じらせ、引寄せながら拒み続け、どんどん将軍を自分の手のひらでいいようにもてあそぶようになっていく、戦略的な言葉や態度、仕草、そしてそういう彼女の社交界の花形としての「格」を支える、彼女の衣装や豪華な室内空間とそこに置かれた家具調度の類などのあらゆる要素にあると思います。
私が世界のありとあらゆる小説の中でもっとも好きなスタンダールの「パルムの僧院」でも、ナポレオン軍の若い兵士たちがイタリアの社交界のひとたちに「歓迎」される場面がありますが、そこではフランス人はどちらかと言えば野暮で野蛮な、よくいえば素朴でウブな田舎者扱いされていて、文明的に上なのはイタリア人たちのほう。フランス人がイタリアの文化に憧れを感じている様子が活写されていました。あれと同じ時代なので、ランジェ公爵夫人たちのイタリア社交界の面々とモンリヴォー将軍との関係にも同じ文化的、民族的、心理的背景が感じられ、的確に描かれているのを感じました。
いまでは私たちはイタリア人のほうが田舎者で、フランス人は文明人のように感じると思いますが、あの当時は逆だったんだろうな、と思います。
Blog 2019-2-24