サイの季節 (バフマン・ゴバディ監督。2012年 イラク・トルコ映画)
イラン革命の直前、愛し合う若い詩人夫婦の妻に横恋慕して拒まれ、その父親に痛い目に合わされた運転手が、逆恨みして、革命を利用して詩人夫婦を陥れ、政治犯として密告します。夫婦は革命政権の官憲に捕らえられ、裁判の結果、夫は30年の刑期を言い渡され、妻は刑期10年で両者とも投獄されます。
妻は監獄で横恋慕する運転手に凌辱され、その男の双子を生んで、刑期を終えて釈放されますが、彼女は夫が獄死したと思い込まされ、その墓の前で悲嘆にくれます。そこへ自分たちを陥れた運転手が現れて、なお彼女を愛していると言います。
一方、夫の詩人は30年の刑期を終えて釈放され、なお自分が愛を失わない妻がトルコにいると聞いて、探しにいきます。探しているときに出会った二人の若者と親しくなるうち、そのうちの一人の女の子と交わりを持ちます。けれどもその2人は実はあの運転手が詩人の妻に産ませた子供だったのです。
彼女は、自分の母親が、かつての夫である詩人の詩を人の背に刺青で彫る彫師であることを伝え、彼は妻のもとを訪れます。妻は夫が死んだものと思い込み、かつて自分たちを陥れた男と、その男の子供2人とともに、彫師として暮らしを立てていました。その様子を覗き見ただけで、詩人は妻に会わずに去り、例の娘の手引きで、寝台に背を向けて横たわり、自分の背に、何も気づかないかつての妻に自分の詩を彫らせますが、自分を明かすことはありませんでした。
そして詩人は自分と妻を陥れた運転手を自分の車に乗せ、彼とともに車ごと海だったか沼だったか要は水に飛び込んですべてを終わらせる・・・
ざっとそんなストーリーで、ずいぶん暗い話です。詩人夫婦を陥れる悪役の男が、イランでイスラム革命を起こした側の人間で、詩人を政治的にイスラム国に反逆する詩を書いたことを罪状として獄に入れたり、監獄にも立ち入れる自分の権力を利用して夫になりすまして妻を凌辱しようとしたり、また妻が釈放されてからは夫が獄死したと公的な権力によって告知し、墓までつくるといったふうに、政治権力の行使がみられるので、政治的なメッセージを持った作品とみられるかもしれませんが、もともとは良家のお抱え運転手がご主人の令嬢に横恋慕して、身の程を知れ、と令嬢の父親らしき人物の使用人に激しい仕置きを受けて解雇されたことに対する逆恨みが動機で、そこに思想的な意味合いは何もない、という描かれ方です。
たしかに革命前の階級制度による、金持ちの良家の人たちと、貧しい身分の低いその使用人という矛盾がその背景にあって、運転手が身分違いの恋を拒まれ、かつ痛い目に合わされるのですから、革命ですべてがひっくり返ったとき、かつての弱者、被差別者が権力者となって仕返しをする、という構図にはなっています。
しかし、この作品は革命前の階級制度に批判的な目を注ぐわけでもなく、それを良かれ悪しかれひっくりかえしたイラン革命の思想や行動に意味を認めているわけでもなく、また逆にそうした思想的背景やその実践を問題にして否定しているわけでもありません。
だから、これを政治的なメッセージを持つ作品、政治的な相剋を描いた作品とみることには私としては疑問があります。それとも、政治的な抑圧というのが、つねにこんなふうに個人の悪意のようなものを通じて機能するものだ、ということなのでしょうか。
これはむしろ極めて個人的な、人間の愛と憎しみの相剋とその行方を描いた作品だとみたほうが素直な気がするのですが・・・。そして、個人の愛や憎悪が人の運命を狂わせ、苦しめ、不幸にしていく過程をそのはじめからおわりまで描き、全体を通してそのような愛憎の中に生き、死んでいくことを、人間の業として見るような眼差しが、この作品にはあるのではないでしょうか。単に、善良な詩人夫婦が革命政権側から政治的にこのように抑圧されたのだ、というメッセージを伝えるための作品だとすれば、私にはつまらなく思えます。
「サイの季節」というのはとても奇妙な、不可解なタイトルです。実際に動物のあのサイが出てくるのですが、その登場の意味もよくわかりません。イラン革命に噴出したような、或る猪突猛進し、暴発するような人間の暴力性や破滅に向かうようなエネルギーの暗喩かもしれませんし、先に述べたような業を負った人間の暗い情念を表徴するものかもしれませんし、そうではないかもしれません。
そういえば、亀が雨や雹のように空から降ってくるシーンもあります。村上春樹の「海辺のカフカ」だったか、あの小説にも空からへんなものが降ってきましたが(笑)、創作家というのは突拍子もないことを考えるものですね。この亀も私にはよくわかりません。あまりストーリーを追う分には影響ないし、何かを表徴したかったのでしょうけれど、妙に意味ありげなだけで、はたして何かの効果を高めているのかどうか、私には疑問でした。
身分違いの片思いをとがめられ、仕置きを受けた一人の人間の屈辱に由来する暗い情念が、相手とその夫への逆恨み、復讐心、嫉妬心となって、折からの、価値観や社会的身分が転倒される革命を好機とし、その権力を使って、一対の男女を陥れ、引き裂き、凌辱することに成功し、そのために善良な詩人夫婦の人生が徹底的に踏みにじられる。それでも悪人の子を産んで母親となった女性はかつて愛した夫の詩を糧に生きていかねばならず、すべてを知った夫である詩人は自分たちの運命を狂わせた悪人を道連れに、自分の人生に、したがって自分が探し求めて来た妻への執着にも終止符を打つ、そんな暗い話です。この話はどうやら実在のクルド系イラン人詩人サデッグ・キャマンガールの実話らしいし、亡命イラン人であるゴバディ監督自身にも同様の体験があるらしい。やはり政治的な主張がこの作品のキモなのでしょうか・・・。
Blog 2018-6-23