「フィッシュストーリー」(中村義洋 監督)
伊坂幸太郎作品の映画化です。原作をどう料理したかな、と思って、以前読んだときの自分の感想を見れば思い出すだろうと記事一覧を探してみたのですが、見当たりません。書かなかったのかな(笑)。
私は幸か不幸か、読んだ小説も見た映画も、すぐ忘れてしまう方なので、同じ小説を何度か読み、同じ映画を何度か見ても、そのたびに新鮮に見られて感動します。
マイナスにとらえるとボケの始まりですが、プラスにとらえれば、何度も新鮮な感動が味わえてお得です。根っからオプティミストなので、もちろん後者の解釈で日々楽しく暮らしています。
それに、これがボケだとすると、私は結婚当初からボケていることになる、というパートナーの証言もあります。自慢じゃないけど・・。
ところで、肝心の映画「フィッシュストーリー」です。伊坂作品の世界が好きなので、かなり贔屓目があるかもしれませんが、楽しんで帰りました。
一番好きな「アヒルと鴨・・・」でも、ほかの作品でも、伊坂作品は読んでいて初めは何が起きているのか分からないで、宙吊り(suspend)にされる感じで読み進めて、あとで一瞬にして切れた糸やもつれた糸がつながり、観客にそれまで見えなかった世界の全貌がパァーッと開けて、感動が一挙にやってくる、というパターンです。
ことに、この作品はその道中も一貫したストーリーを追うのでなく、時間的にも幾つもの局面を行きつ戻りつ、互いをつなぐ糸が見えないので、断片的なエピソードや場面を見せられて、何が何だかよく分からない感じが、それなりに一つのストーリーを追っていく(表側しか見せていないにせよ)「アヒル・・」などより、一層支離滅裂な印象を与えます。
そして最後の1分あるかなしかの短い時間に勝負が賭けられていて、その一瞬に全部の糸がつながって、パァーッと視界が開けるような感覚があって、一挙に感動がこみ上げてくる、という具合です。まぁ、この映画に関してはこれ以上は言わないほうがいいでしょう。見てのお楽しみ。
この最後の1分が扇の要で、これが無ければ扇はバラバラ。かなり極端な構造になっています。この扇のような構造は伊坂幸太郎の小説の基本的なパターンですが、映画はほかをどう変えているにせよ、その構造については忠実に守っています。伊坂作品は映像化が難しいかな、と思っていたけれど、案外適しているのかも。
ただ、フラッシュバックで多層的な時間をみせて断片化されているとはいえ、圧倒的なウェイトがパンクバンド「逆鱗」のエピソードに割かれているので、作品としての構成的なバランスは非常に偏っていて、決して綺麗な扇形をしているわけではなく、或る意味では破綻しているといってもいいほどです。
しかし、圧倒的なウェイトを負わされた「逆鱗」のエピソードのハイライトで何度も登場する音楽としての「フィッシュストーリー」は、こちらに迫ってくるものがあります。これはテイストも背景も全然違うけれど、やはりいい映画だった「青春デンデケデケデケ」みたいな、音楽好きの青年たちの夢と挫折とその向こうに登場人物たちと観客が共に見るかすかな希望の物語だと言ってもいいでしょう。
もちろん音楽だけではなく、正義の味方のコック君や、彼に救われる麻美や気弱な大学生雅史(?)も、このおとぎ話の中で彼らがもたらすものによって、それぞれ私たちにその「かすかな希望」を垣間見させてくれるのですが。
伊藤淳史、高良健吾、大川内利充らバンドの面々や、リーダーにくっついていた彼女(江口のりこ)、濱田岳に一度でも何かに立ち向かったことあるの?と迫る高橋真唯、それに正義の味方(森山未来)など、若い俳優たちがそれぞれ存在感を見せているけれど、演技云々よりも資質というべきか。
blog2009年04月06日