「赤い河」(ハワード・ホークス監督) 1948
中学から高校の始めにかけて大の西部劇ファンで、ワイアット・アープに例の銃身の長いバントライン・スペシャルを贈った作家ネッド・バントラインのアープの伝記の原書を取り寄せて、まだろくに英文も読めないのに辞書をひきひき読んだり、モデルガンで早撃ちの練習もした(笑)くらいなので、 この西部劇の名作は何度も見ていますが、先日、リオ・ブラボーを本当に何十年ぶりかで見たら、これもまた見たくなってビデオ棚の隅っこで下積みになっていたのを取り出してきて観ました。
いま見ても本当に面白くできた西部劇だと思います。インディアンのような先住民族、少数民族への差別意識を排して白人のやってきたことを歴史的に再検証して、これはいかん、というふうになってから、そのこと自体は間違ってはいなかったと思いますが、娯楽映画としての西部劇は正直のところあまり面白くなくなりました。もちろんそれ以後もそういう観点を取り込んだうえで深みを増したすぐれた西部劇はつくられたけれど、それはもはや「西部劇」というジャンル映画ではなくて、ただ時代をアメリカのフロンティア開拓時代にとっただけで、単にすぐれた映画というべきものになっていったんだろうと思います。そして、純粋娯楽的な要素だけでそれを継承したのは勧善懲悪でバンバン殺しちゃうマカロニウェスタンだったのかもしれません。
「赤い河」ではインディアンのコマンチ族はジョン・ウェイン演じる主人公ダンソンの恋人が残った幌馬車隊を襲撃し、牧場づくりを企図してウォルター・ブレナンと2人で幌馬車隊と別れていくダンソンらをも襲う完全な悪者というか恐るべき敵として登場します。でもインディアンとの戦いがテーマではなくて、ダンソンが雌雄一対の牛からはじめて、豊かな牧草地で牛を育て、14年後には並ぶもののないほどの大牧場にするのですが、そこでは牛が売れないので鉄道駅があり、高値で売れるミズーリまで、1万頭近い牛を100日ほどかけて運んでいく大事業の困難を描いた西部劇です。
ウェイン演じるダンソンの相方になるのが、ダンソンの恋人もいて全滅した幌馬車隊にいて、たまたま九死に一生を得た少年マシュー(マット)で、青年になった彼をモンゴメリー・クリフトが演じています。マシューは牛の扱いから拳銃まですべてをダンソンに教えられ、逞しい好青年になっていますが、頑固一徹なダイソンとある部分で張り合うところがあります。
彼らに出発前に加わる隣の牧場主に雇われていた拳銃の名手チャーリー(ジョン・アイアランド)も加わります。彼もすごく魅力的な役者です。
彼らを幾つもの困難が待ち構えていて、そのたびにダンソンの強力というか強引なリーダーシップとをそれを支えるマシューらカウボーイたちの協力での乗り越えていくのですが、あまりに大きな困難と不安、そしてダンソンの強引さが内部のカウボーイたちの不満を招き、亀裂がはいって、反乱を起こす者も出ますが、マシューやチャーリーがこのときはダンソンを支えて困難を克服します。しかし、あるとき規律違反で逃亡したカウボーイをチャーリーに追わせて連れ戻された2人をダンソンが縛り首にすると言ったところで、マシューがダンソンの命令に逆らい、他の者たちもみなマシューについて、ダンソンは置き去りにされて、行く先をミズーリから列車が来ているらしいという情報のあったアビリーンへと変えて行くことになります。置き去りにされるダンソンは、マシューに、かならずいつかお前を殺す、と言います。
ダンソンの影におびえながら、それからはマシューをリーダーとして進みます。その途中でヨーロッパからの移民とかの幌馬車隊の一行がインディアンに襲撃されているのに出会い、援けてインディアンを追っ払い、休憩します。そして、そこにいたテス・ミレーという女性がマシューといい仲になり、テスはマシューからダンソンのことを聴きます。
マシューらが去った後にダンソンが近くの街で集めた手勢をひきつれ、マシューらを追ってその幌馬車隊のところへやってきます。あらかじめマシューから話をきいていたテスは、ダンソンに直接話しかけて、テントでいろいろと話をし、ダンソンのマシューへの愛情についても彼の人柄についても理解したテスは、ダンソンと一緒にアビリーンへ連れて行ってくれ、と頼んでいくことになります。
こうして無事にアビリーンにたどり着いたマシューらは高い値で牛を売ることにも成功しましたが、翌朝、ダンソンと対決することになります。
最後は、もともと深い父子的な愛情で結ばれていたダンソンとマシューなので、あわや銃撃戦か、いや殴り合いになってどこまでやるのか、というあたりで、テスの介在で、頑固なダンソンがマシューを頼もしい対等な牧場主として認めるところで終わります。
この映画では、大西部の広がりを背景に、1万頭近い牛を運ぶダイナミックなスペクタクル・シーンで見せる場面と、インディアンの襲撃や、仲間内あるいはマシューとダンソンといった人間くさい対立、確執による、銃撃戦を含むあわやという緊張感に満ちた場面と、2種類のエンターテインメントの要素がうまく交互に全編に配置されていて、飽きさせません。
スペクタクル・シーンで言えば、例えばこの1万頭近い(最初は9千頭くらいだったとか言っている)牛の大群が暴走を起こす場面。伏線として大きな図体をしているくせに甘いものに目がなくて、指をなめて幌馬車の荷台に積んである砂糖をなめる悪い癖のあるカウボーイが、何度もなめにきてはウォルター・ブレナンのグルート爺さんに叱られる場面がありますが、これがコヨーテが鳴いて牛たちが不安がって落ち着かない夜にまた馬車の荷台に忍び寄って砂糖をなめようとして、そこにあった金属製の食器類をガラガッチャーンと大きな音を立てて落としてしまい、それがきっかけになって牛が大暴走を起こします。「スタンピード!」と叫ぶダンソンの声。一度これがおこれば10キロでも走り続けるのだそうです。
このときは谷間に追い込みますが、それでも気のいいカウボーイが一人犠牲になり、牛も300-400頭犠牲になります。
もう一つ、同様に牛の大群を使ったスペクタクル・シーンは、1万頭近い牛の川渡りです。こういうシーンはすごく見ごたえがあります。
さらに、アビリーンに鉄道が来ているかどうか確証がなかったのでみな心配しながら向かっていたわけですが、鉄道に遭遇するシーンで、機関車が煙を吐いて近づき、その前の線路を牛の大群が渡っていくシーンです。汽笛を鳴らしてくれ、という要請に応えて、機関車夫が盛んに汽笛を鳴らして一行を歓迎します。アビリーンの街からは牛を待ちに待っていた人々がみな丘を上がって歓迎してやってくる、その街へ牛の大群が降りていく、これも感動的なシーンです。
人間くさい関係がもたらす緊張の場面は、最初のインディアンの襲撃を撃退する場面、それから牧場を作る場所についてからは、最初にまずダンソンが自分の土地と定めたところへ、別の所有者の手下が来て撃ちあう場面、それから14年後、成人したマシューと隣の牧場主に雇われたチャーリーが出会い、互いの拳銃の腕を試し合う場面、それからダンソンの強引さと行進の大変さに反乱を起こす3人との銃撃戦、さらに逃亡した別の3人のうちチャーリーが生きてとらえてきた2人をダンソンが縛り首にするというのでマシューが反対してあわや銃を抜き合うか、という場面・・・見せどころ満載のエンターテインメントです。
こういう見どころに対して、細部のほんのちょっとした場面に、すごく味わい深いところがあります。たとえば、反乱者3人とダンソン、マシュー、チャーリーの銃撃戦で足を負傷したダンソンの傷の手当てをグルートがするのですが、ウィスキーを傷口にぶっかけて消毒する。するとダンソンが痛さに苦痛の表情をすると、ウォルター・ブレナン演じるグルートは、もうそれが嬉しくてたまらんわい、という顔をしてみせる(笑)。それに気づいてダンソンがこのやろう、という顔をしてグルートをにらむ、このあたりの呼吸も素敵。
例の砂糖舐め男も憎めないカウボーイで、幾度か繰り返されるグルートとのやりとりが面白いだけでなく、それがスタンピードを引き起こす伏線になっているのもすごい。
女性は重要な役割を果たすテスが登場するのは、もう旅も終わりかけのシーンで、女性の影は乏しい男性的な映画であることは確かですが、最初にダンソンの恋人が、連れて行ってと懇願するのにダンソンが女性には無理だと断って幌馬車隊に残してきたために、すぐあとでコマンチに殺されてしまう、という悲劇を置くことで、その後のダンソンの頑なな、困難に耐える14年間と、そのあと皆を率いていくときの頑なで強引なリーダーシップのあり方が感覚的につながって理解されるようになっているのはさすがです。
また、最初の女性の面影と、後で出会うテスとがダンソンにとっては重なってくるような仕掛けになっていて、それがダンソンの軟化につながるわけです。男性的な映画ではあるけれど、女性はポイントで重要な作品の構造上の役割を果たしているといえる、周到なシナリオです。
チャーリーが最後に、ひたすらマシューを目指して突き進んでいくダンソンを呼び止めて、ダンソンがいきなり銃を抜いて、チャーリーも銃を抜いて、ダンソンも負傷しますが、チャーリーも倒れるという、ちょっとあっけない退場の仕方になるので、かっこいい早撃ちチャーリーには、あまりにもマシューに寄り添うのでなく、いくぶん善人すぎるマシューに対するリアリストの立場で、もう少し緊張感のある場面をつくって、あとひとつふたついい場面を与えたかったな、と言う気はしますが、彼はずっとマシューのよき友で、彼とともにダンソンを支え、最後にマシューについてアビリーンに入ります。
ちなみに、このチャーリーを演じたアイアランドは、テス・ミレーを演じたジョアン・ドルーの現実の世界での2番目の夫だった人だそうで、なかなか魅力的な俳優さんだと思います。
Blog 2018-9-26