「太陽に灼かれて」とその続編
ロシアの映画監督、ニキータ・ミハルコフ(製作・脚本・監督・主演を兼ねる)の「太陽に灼かれて」(Уtомлённые солнцем)は、1994年、ロシア・フランス合作の映画で、地獄と言われる苛酷な独ソ戦と国内のスターリンによる大粛清の時代に生きたかつての革命戦士で祖国の裏切り者の烙印を押されたもと陸軍大佐コトフ将軍(ミハルコフ自身が演じる)とその家族を描くドラマです。
家族の中心はコトフと年齢の大きく離れた妻マルーシャと、娘のナージャ、狂言回しにマルーシャのかつての恋人で突然彼女の前から行方をくらまし、10年の空白をおいて、平和な家庭をいとなむコトフ家にまた不意に戻ってきて不穏な空気を生むドミトリが配されています。
ドミトリは陽気なお調子者にみえるけれど、フランスにも何年も滞在し、文化的教養も深いインテリですが、実は情報機関KGBの幹部になっていたことがあとでわかります。また、コトフの素晴らしく愛らしい幼い娘はミハルコフ監督自身の娘、ナージャ・ミハルコフが演じています。
ドミトリの登場の仕方も、コトフ一家に入り込んでからの振る舞いも、その性格もまさに狂言回しの道化のように奇妙奇天烈で、人を驚かせ、笑わせ、陽気さを爆発させるけれど、同時に何か危なっかしく、不穏なものを秘めていることが予感されるようなものです。
それがなにかはわからないけれど、温かく強い絆で結ばれ、豊かで安定した幸せな大家族からなるコトフ家に、鋭い亀裂をもたらし、平穏なこの家族のありようを根底から崩壊させかねない、ひそかな恐れを見ている私たちに感じさせ、いつその恐ろしいものが正体を現すのかと固唾を飲んでその楽し気な、歌ったり踊ったり、ドミトリが狂ったようにピアノを弾いたり、ときに乱痴気騒ぎのような光景を見ていることになります。
家族に先駆けてコトフが気づいていたように、やがて判明するのは、このドミトリがスターリンの粛清を実行するKGBの幹部になっていて、10年ぶりにコトフ家に姿を現した目的は、でっち上げられたコトフの国家反逆罪(ドイツのスパイ容疑)による逮捕だったということです。
映画のラストでコトフは連行され、その途中道路をふさぐ農業用小型トラクターの農民をゴミを排除でもするように、ドミトリが部下に始末するよう命じるささやかなエピソードにも、ドミトリの冷酷な現在の一面が鮮やかに描かれていて、そういうところはうまいな、と思います。
どうもドミトリは、自分の恋人だったマルーシャに横恋慕した英雄で将軍のコトフが、その地位なり権力を利用して、ドミトリをフランスへ遣るなどして体よく追い払い、二十何歳だか年下のマルーシャを強引に口説いて自分のものにしたと考え、KGBの幹部としての地位を獲得した上で、コトフに復讐を果たした、といった構図が背景にあるようです。
ただ、それはある種のほのめかしのように示唆されるだけで、確定的な真実であるかどうかはわかりません。ドミトリがそういうことを言うのに対して、コトフはドミトリを海外へ遣ったことは認めても、そうした私的な目的のために諮ったようにはみえず、監督のコトフの描き方というのは、そういう権力を私的欲望のために使って恋敵を追い払って女性をものにするような人品卑しい人物として描いてはいないのです。
そのドミトリもマルーシャへの愛情やコトフ一家に温かく迎えられていた10年前の記憶を完全に葬り去って、非人間的なスターリンの犬になり切れていたわけではないことが、コトフを死へ追いやる任務を果たしたあと、最後の最後のシーン(浴槽で手首を切って自殺を図る)で明らかになります。
そしてドラマが終わったあとの字幕で、コトフの反逆罪(当然死刑)をはじめ、妻マルーシャへの数十年の刑、さらに幼いナージャにまでも反逆者の娘として重罰に処せられるといった、登場人物への粛清の結果が簡潔に書き出されて、衝撃を与えます。
おばあさんやひいおばあさん(?)から幼いナージャまで、大家族の本当に幸せそうな、豊かな、温かい家族の絆やと、その土台をなしている家庭、食事を共にする大きな食卓でのなごやかな様子やそれぞれがくつろいで過ごす明るい居室、コトフとマルーシャが愛し合う寝室や、ピアノの音、家族で出かける近隣の美しい自然や素朴な行事、そういうまぁスターリン的に言えばかなり「ブルジョア的」と言えるかもしれない、かつての革命戦士の裕福で優雅な日常風景、とりわけコトフが目の中に入れても痛くなさそうな愛くるしい娘ナージャの信頼しきった父親への愛情のしぐさや言葉、そういったものが実に豊かに描き出されています。
そうして、人間にとっての幸せ、豊かさ、生きがい、温かさ、愛やめぐみ等々ありとあらゆる価値に満ちたひとつの閉じたユートピアのような、この世の別世界を印象づけながら、そこに闖入してくる狂言まわしドミトリによって、その芳醇な世界にかすかな、けれども無視しえない異臭が漂いはじめ、鋭い亀裂とそれに始まるすべての崩壊、消失を予感させる不穏な空気が生まれることによる、見る側のサスペンディングな一種の持続する宙づり状態が展開の軸となっています。
そして、その隠された不穏なものが最後にはっきりと姿を現すことによって、それまで描かれてきたユートピア的な小世界が破局を迎えてドラマは終わりを告げます。
大家族の平穏で明るく楽しい日常のくらしの細部が丹念に描かれることによって、その破局への予感も耐えられないほどに緊張を高め、個人にはいかんともしがたい「運命」のように訪れる破局の悲劇性を深め、政治的粛清がロシア国民にもたらしたものがひとつの家族の運命を通じて、エモーショナルな形で伝えられます。
主役コトフを演じているミハルコフの存在感は素晴らしいし、ドミトリ、マルーシャもそれぞれ好演しているけれど、何と言っても幼いナージャを実際のファーストネームで演じたミハルコフの愛娘の自然体の「演技」がとびきり素晴らしくて、この大家族のあらゆる価値の源泉を体現し、最後の悲劇を深め、象徴する存在になっています。
この幼い娘にまで、反逆者の家族として重罰を科した大粛清のありように観客は最後の最後のさりげない字幕に戦慄を覚えずにはいられないのです。
この大粛清について、ウィキペディアにはこんな記述があります。
「ソ連政府はミハイル・ゴルバチョフの時代にNKVDの後身ソ連国家保安委員会 (KGB) が『スターリンが支配した1930年から1953年の時代に786,098人が反革命罪で処刑されたこと』を公式に認めた。さらにソ連崩壊後にはロシア連邦国立文書館 (GARF) がNKVDグラーク書記局が1953年に作成したという統計報告書を公開した。それによるとNKVDは1937年と1938年の2年間に1,575,259人の者を逮捕しており、このうち87%以上の1,372,382人に及ぶ人が反革命罪および反国家扇動罪などに問われた政治犯であった。」。
この「太陽に灼かれて」には、16-17年もたってから製作された二部作の続編があり、ドミトリの手でコトフの罪状を政治犯から外したことで死を免れたコトフと、同様にドミトリの配慮で守られたその家族の「その後」を描く前編「戦火のナージャ」および後編「遙かなる勝利へ」です。
以下は、その前編と後編のどちらの映像だったか私自身、もう混乱してしまって、いっしょくたになっているところがあるかもしれませんが、記憶している限り書いておきます。
前編の「戦火のナージャ」では、コトフは強制収容所で重労働に従事させられていますが、そこへドイツ軍機による爆撃で破壊され、コトフは焼け落ちる収容所から脱出します。
このドイツ軍のソ連侵略は1941年6月のことで、この作品の背景には、ドイツ軍61万人、ソ連軍190万人、あわせて250万人が戦死したというモスクワ攻防戦があるそうです。ドイツ軍がクレムリンへ10kmのところまで迫るというソ連にとっての一大ピンチで、死闘が繰り返されたようです。
そもそも独ソ戦というのは、私たち日本人にとってはいささか他人事で、あまりその実際が知られていないのですが、最近、大木毅という研究者が岩波新書で『独ソ戦~絶滅戦争の惨禍』を出版しており、それによればヒトラーはこの戦争を「対立する二つの世界観のあいだの闘争」、世界観戦争とみなし、軍人どうしの戦友意識を捨てて「みな殺しの闘争」でなければならないと規定していたそうです。
ソ連側もこれに対して「ドイツ軍は人間ではない。・・もしあなたがドイツ人一人を殺したら、つぎの一人を殺せ」(ソ連軍機関紙『赤い星』掲載の対独宣伝作家イリア・エレンブルグ)と、両軍とも戦時国際法を無視した殺戮行動へと自らを駆り立てていったようです。
独ソ戦全体でのソ連の人的被害は、同書が掲げている資料によれば戦死518万7190名、戦傷死110万327名、戦病死54万1920名、行方不明ないし捕虜445万5620名で、合計1128万5057名、負傷および罹病者数は1825万3267名に及んだそうです。いかに苛烈な仁義なき戦争であったかがわかります。
その一環をなすモスクワ攻防戦の激しさは、この映画の中でも一端が描かれています。
コトフが属する政治犯から成る懲罰部隊とドイツ軍戦車隊との戦いもその一つで、銃の備えもないけれど海千山千の最前線の懲罰部隊の指導者や兵士たちと、そこへ配属されてくる満足に銃も撃てそうにないエリートの士官候補生たちの部隊やその指導者とのやりとりのように滑稽な場面もありますが、その合流のあと、背後から味方かと思えば敵の戦車部隊の総攻撃に塹壕の兵士たちが無残にキャタピラの下で踏み殺され、白兵戦で撃たれ、突き殺されてほとんど壊滅してしまって、コトフがからくも九死に一生を得るシーンの戦闘もなかなか激烈なものです。
従軍看護婦となって戦場を駆け巡るコトフの娘ナージャのほうも、乗船していた、襲われないはずの赤十字の船がドイツ軍機の一兵士のちょっとした過ちから、それを知られないために、どうせなら皆殺しにしないとヤバイというリーダーの命で徹底的な攻撃が行われて船は沈没、乗員もほとんど銃撃されて皆殺しされますが、一人の神父がつかまって漂ってきた機雷に一緒につかまって難を逃れます。
しかし、逃げる途中の田舎の村で、偶然ドイツ軍兵士の一人にみつかり、襲われるところを或る村人の助けで兵士を斃して丘の上へ逃げます。しかし仲間の異変に気づいて戻って来たドイツ軍兵士らが村人全員を集め、建物に閉じ込めた上、火を放って、全員を焼き殺すのを、ナージャは眼下に見なくてはなりませんでした。このシーンもなかなか凄絶悲惨な戦争の一コマとして強く印象に残るものでした。
この前編ではまだ、コトフとナージャは再会できません。それぞれに戦場で苛酷な体験を重ねながらともに九死に一生を得る中で、まだ平和が保たれていた1936年夏の懐かしい思いで、父と幼い娘が美しい自然に囲まれ、楽し気にボートに乗っている光景を思い出し、再会のときを夢見ています。このように挿しはさまれる美しい回顧シーンに、苛酷な戦闘シーンや彼らの耐える困難の中で、彼らにもそれを見る私たちにも希望の光のようにみえ、束の間なごみ、癒されるような気がします。
この前編でもっとも強い衝撃を与えるシーンは、ナージャが傷病兵たちとともに、トラックで前線を撤退しようとするとき、ドイツ軍機の猛攻撃を受け、荷台に傷病兵だけでなく、一人の妊婦をのせていて、彼女が産気づくというハプニングのために、ナージャの強い指示でトラックを停めて爆撃の中心に立ち往生する場面です。
周囲のトラックは悉く爆撃を受けて破壊されていきますが、傷病兵と共に、ナージャや妊婦の乗るトラックだけは爆撃、銃撃を受けず、荷台で傷痍軍人たちに囲まれて、妊婦は無事赤ん坊を生みます。
ドイツ兵に強姦されてできたという赤ん坊ですが、兵士たちはみな歓喜の声を挙げます。彼らも、その妊婦と赤ん坊のおかげで命拾いしたのです。このシーンは本当に生まれたばかりの赤ん坊を登場させているとしか思えない映像で、よくもまぁこんな映像が撮れたものだと思うほど迫真に満ちたシーンで、赤ん坊が無事生まれたときは、見ている私も兵士らとともに歓声をあげたくなるような場面で、この作品のハイライトでした。
この前編のラストシーンは、ナージャが戦場で瀕死の若い兵士を手当てする場面です。もう自分の死を悟ったその兵士は、ナージャの胸元に視線をやり、自分が女性とキスさえしたことがない、と語り、ナージャに胸をみせてほしい、と言います。とても美しいシーンです。
コトフはいずれも本編と同じミハルコフ監督自身が演じて、あいかわらず素晴らしい存在感を見せていますが、従軍看護婦として戦場にあるナージャもまた、あの幼いナージャを演じたナージャ・ミハルコフが成人してそのまま演じて好演しています。
後編の「遙かなる勝利へ」の冒頭は、一匹の蚊が孵化して飛び立ち、対独戦の塹壕で寝そべるソ連の懲罰部隊(受刑者で組織された舞台で、監視部隊に監視されながら、銃さえろくに渡されずに最前線で敵に対峙させられている部隊)の兵士たちの前を飛び回る、その蚊の眼で兵士たちの姿をカメラがとらえるという、「新感覚派的」(笑)映像で始まっています。戦争というものを泥濘や土埃や饐えた匂いの漂う塹壕に寝そべるくたびれた兵士たちを手の届く距離を自在に動いていくカメラでとらえようという意志がそんな視点をとらせているのでしょうか。
コトフは本編では国家反逆罪(ドイツのスパイだった容疑のでっち上げ)で銃殺されたはずでしたが、どうやら良心の呵責にさいなまれて本編のラストで手首を切って自殺を図ったドミトリのはからいで反逆罪の政治犯だったはずが、他の一般の犯罪(多重横領罪)にすりかえられていたようで、その書類を受け取った最前線では、コトフに帰還許可が出るのですが、コトフはここにいたい、と言って、最前線で親しくなった兵士たちとともに残ります。
そこへこれも死にきれなかったらしいドミトリが、例の調子はずれのキャラそのままに最前線の懲罰部隊を訪れ、コトフを探しあてて、いやがるコトフに、かつて死んだとドミトリに告げられていた妻マルーシャが生きていることを知らされて、コトフも彼に伴われて元の家に帰ることにします。
ドミトリは途中で自分を殺したければ殺せというように拳銃をコトフに渡します。私は製作の順とは逆に、続編の後編→前編→本編の順に見てしまったので、この場面は最初意味がよく分からなかったのですが、本編を見て、ドミトリの立場やしたことを知って初めて納得しました。
コトフはドミトリを殺そうとはせず、名誉回復で中将となった身で故郷へ帰ります。しかし、愛娘ナージャは看護婦となって戦場に行ってしまっておらず、愛する妻はドミトリの言葉でコトフが銃殺されたものと思い、友人だった男と再婚して赤ん坊まで生まれていて、コトフは懐かしい家族のもとに帰っても表向きの歓迎とは違って、みんなが戸惑いを覚え、居場所のないちぐはぐな存在になっていることを思い知らされます。妻マーシャをはじめ、みなの眼が「なぜいまごろ生きて帰って来たの?」なのです。
そうして結局マーシャたち家族は、コトフに告げずに、或る日コトフの住まいからみんなで出て行きます。追わないで、というマーシャの意志が伝えられたにもかかわらず、コトフは駅へ彼女たちを追いますが、無理にとめようとすればとめられなくはなかったかもしれないけれど、彼は強いて連れ戻そうとはせず、かつての家族が去って行くのを、ひとり見送ります。
コトフはスターリンとの個人的な会見で、本来死刑にされていたはずなのに、どういう手違いか助命されたことを、「間違いは正さねばならない」と言われ、ドイツ軍への人身御供として無防備なままドイツ軍に対峙させて皆殺しにさせようという意図で組織された政治犯から成る懲罰部隊の指揮をとらされることになり、再び最前線に赴きます。
15,000の兵士をドイツ軍に惨殺させることで、ドイツが無抵抗な市民を虐殺した、と喧伝して欧米の対ソ世論を硬化させ、ソ連に有利な結果を導こうというスターリンの意図だったようです。
ドイツの強力な要塞と武力に対峙させられ、後方は自国の監視部隊に逃亡しないよう監視された懲罰部隊の兵士たちが持たされたのは銃ではなくて、棒切れ一本だけでした。これで強力なトーチカで万全の銃器を備えたドイツ軍を「攻撃」せよ、というわけです。
コトフは下士官がとめるのを振りきり、自分も懲罰部隊の兵士たちと同じ棒切れ一本を手に敵陣へ向って歩き出します。仕方なく下士官が続き、そのあとへ懲罰部隊の兵士たち全員が続いていきます。
この無謀きわまりない自殺的進軍にドイツ軍はしばし戸惑いますが、いよいよ攻撃の火ぶたを切ろうとするとき、ロシアの狙撃兵が仕留めたトーチカ内部の一人のドイツ兵の不始末の火が内部で広がり、ドイツ側陣地は大爆発を起こして壊滅、コトフたちは奇跡的な勝利をおさめます。まぁこの辺はちょっとお伽噺的な都合の良さですが(笑)。
ちなみに、この作品には主人公たち(コトフやナージャ)が遭遇する苛酷な状況の中で、なぜかかれらだけが幸運にも九死に一生を得る、いささかご都合主義の場面がいくつか散見されます。そのへんは映画という表現手法に対する考え方が、ソクーロフなどと違って、「純文学的」というよりは「大衆文学」的なミハルコフの脚本の性格に由来するのかな、と思って見ていました。
さて、コトフらの前ドイツ軍が壊滅したとき、偶然近くに来ていた看護隊の中にいたナージャが父の姿を認め、地雷原の中を駆けよりますが、抱き合う寸前に地雷の上に足を載せてしまいます。
それに気づいたコトフはナージャに大丈夫と語りかけ、彼女の地雷を踏んだブーツの上に自分の足を載せて踏み押さえ、そっとナージャが足を抜いて逃れるのを確かめます。その瞬間、カチリという音がして、地雷が爆発します。
本編、続編の前、後編とも、なかなか見ごたえのある作品でした。
最後にもうひとつだけ、ぜひ触れておきたいのは、これらの作品の全編を通じて流れる「疲れた太陽」というよく知られたタンゴの曲です。
ノルシュテインの「話の話」は十回以上は見ているので、街の広場で踊る男女、戦争に次々に姿を消す男たち、あの象徴的な場面で流れる「疲れた太陽」のメロディは耳にこびりついていて、このミハルコフの映画を見たときはとても懐かしい気持ちが溢れてきました。
ロシア語を知らないので、「太陽に灼かれて」のロシア語のタイトルが、この「疲れた太陽」に由来することも知らなかったのですが、映画の中で何度も流れて、その歌詞に「疲れた太陽」ではなく「偽りの太陽」と訳された文言が入っていたので、ちょっと調べてみたら、やはりこの曲名に由来するものであるらしいことが分かりました。この曲はこの作品シリーズを通して繰り返し聞くことができ、とても効果的な使われていました。
いつも聞きたいので、ネットで出ていた岸本力さんの「つかれた太陽 岸本力・ロシア民謡集」を手に入れました。
倦み疲れた太陽が
優しく海と別れを告げた
この時君は告白した
愛はない、と
・・・・・
せつない別れの歌なのですね。もともと「別れ」というタイトルの歌だったようですから、当然なのでしょうが。また、だからこそノルシュテインは、男たちが戦争に駆り出されて消えていく、あの場面で使ったのでしょう。
映画の中での字幕に出る歌詞の訳では、先ほど書いたように「偽りの太陽」になっていました。その言葉だけ拾ったけれど、ほかの歌詞の文言がどうだったかはおぼえていないので、全体に異なる歌詞をつけていた可能性あるのですが、それは確認していません。一度聞くと耳について忘れられないメロディーです。
blog 2021年11月14日