復讐するは我にあり 今村昌平監督 1979
これは見ごたえのある作品でした。役者がみな素晴らしかった。
主演の殺人鬼を演じた緒形拳、その父を演じた三國連太郎、殺人鬼の妻を演じた倍賞美津子、殺人鬼が大学教授を騙って居座る宿のおかみで殺人鬼に惚れてしまう小川真由美、その老母を演じた清川虹子まで、みなすばらしい熱演でした。
この作品は、1960年代半ばに実際に起きた西口彰による事件を作家佐木隆三が書いたノンフィクション小説の映画化で、ほぼ事件をそのとおりになぞっていると思われる内容です。殺人鬼の行為を善い、悪いといった倫理的判断や好悪の感情的判断を一切加えず、起きたことをそのまま記録して差し出すことを意図した作品のようです。
それが生々しいリアリティを感じさせるのは、殺人鬼榎津巌という人間の描き方が深いとか魅力的だということではなくて(むしろ彼は犯罪のテクニックとしては多彩多様な面を見せるけれども、人間的にはうすっぺらな人間として描かれています)、彼が接触する他の登場人物たちの善悪美醜を越えた多様で深い人間性が、この殺人鬼との接触によっていやおうなくあぶり出されてくることによるのだと思います。
実際、この殺人鬼のペテンに騙されて彼を京大の教授だと思い込み、その「優しさ」にほだされて本気で惚れてしまい、一緒に入った映画館で観たニュースで彼が殺人鬼だと知ってからも、彼となら死んでもいいと言い、彼をかくまいつづけて、遂には殺されてしまう宿のおかみ浅野ハルを演じた小川真由美などの魅力的なこと!その魅力はこの殺人鬼と接触して、彼に騙され、彼に惚れてしまうことによって彼女の身体から湧き出してくるものなのです。
或いはまた、巌の逃亡によって義父とともにあとに残された巌の妻加津子を演じた倍賞美津子の魅力もまた小川真由美の魅力にまさるとも劣らない濃密この上ない成熟した女の魅力をぐいぐいと見せつけてきます。彼女はもう巌のためなどではなく、優しい義父のためにそばに仕え、彼の愛を求めさえするようになっているけれども、敬虔なキリスト教徒である義父鎮雄は最後の一線だけは越えようとせずに踏みとどまり、最後は棄教するのですが、いやあの倍賞美津子演じる加津子の魅力に抗することはいかなる男性といえでも至難の業に違いない、と同情してしまいます(笑)。
うすっぺらはうすっぺらでも、巌の酷薄な薄っぺらさを緒形拳は本当に奔放に開放的に演じていて、からっと気持ちが良いほどです。彼が人間らしさの片鱗を見せるのは、捕まって父親が面会に来た時に父と対峙した瞬間だけだと思います。そこではこのような敬虔なクリスチャンの父親から生まれた鬼子としての彼の姿が一瞬垣間見えるところがあって、緒形拳はちゃんとそこを演じています。
巌の犯す犯罪と逃亡劇をハラハラしながら見るという作品ではない。彼と関り、殺されていく浅野ハルやその母ひさ乃、あるいは彼の家族であった鎮雄と加津子のような人たちの言わば人間の「業」が、殺人鬼巌によって明らかにあぶりだされていくのを見る、そういう作品のような気がします。
blog 2018-8-10