『切羽へ』(井上荒野)
冒頭から引き込まれる。
明け方、夫に抱かれた。
大きな手がパジャマの中にすべり込んできて、私の胸をそうっと包んだ。 その指がゆっくり動くのを、私は眠りの中で感じていた。夫は、夜更けて布団に入ってくるとき、私を眠らせたまま抱こうとすることがよくあった。 ・・・
こう来られると、なんと言うか言葉の力がこちらにぬっと手を伸ばすようにして、それこそ「大きな手」が、こちらの胸元に「すべり込んで」くるような感じで、最初から引き込まれていく。
そんなとき私は、自分が卵の黄身になったような気持ちがした。たとえばマヨネーズを作るとき、白身と分かつために、殻と殻との間で注意深く揺すられる卵の黄身。
なんともうまいこと言うじゃないか、とユニークな比喩に感心する。こういう比喩の1-2行を読むだけで、なみの手腕じゃないな、きっと、と期待が高まる。そして、その期待は最後まで裏切られない。
にくらしいほどうまい。この作品、このうえなくeroticだ。セックスの描写も何もないけれど、こんなに「いやらしい」、官能的な小説はない、と言ってもいいくらいだ。
「すべて色情を懐きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり。」(マタイ伝5-26)と言うなら、この作品の主人公の「わたし」は繰り返し姦淫をなしたる姦婦淫婦ということになろうか。
しかし、その「姦」も「淫」もすべて、自分でも気づかない自分の放つ気配であったり、単なる「気がかり」であったり、人ごみの中に相手を探す眼差しであったり、一切が「目にはさやかに見えねども」の世界だ。
介護にかよう「しずかさん」のところで、口の悪いこの婆さんに、「だんなさんがおらんとがわかる」「ちゃーんとわかるったい、抱かれとらんのが」とからかわれたあと、「どうしてか遠回りしたくなり、」海沿いの道を歩いていくと、学校の教え子と母親に会う。(「わたし」は本土から離れた南の辺地の「島」の小学校の養護教員だ。)
「先生はどこ行くと?」
返礼のようにそう聞いたのはトシコで、私は答えに窮した。
「うーん。どこへ行こうかな」
「行き先がわからんと?」
「わからんとよ」
トシコが困った顔で母親を見た。先生はお散歩をしとるとよ、と母親が言う。 「先生、迷子になったらいかんばい」
トシコが言い、私と母親は顔を見合わせて笑った。
「明日、ちゃーんと学校で会おうね」
二人の子供の頭を撫でて、歩き出そうとしたとき、
「先生、ご亭主はお留守ね?」
と母親が言ったので、私はびっくりして振り返った。
「どうしてわかると?」
「どうしてって、そりゃ」
母親は口に手をあてて笑った。
私はすこし早足になった。
夫が不在であることを、トシコの母親に言い当てられたことが恥ずかしかったのだ。しずかさんに露骨な言葉でからかわれたときよりも、なんだかよほど恥ずかしかった。
この直後に、「わたし」は「心で姦淫」することになる男、この「島」へどこからとも知れず新しくやってきたマレビトである男と初めて出会うのだが、この作品のeroticismはこういう描写から立ち上る濃密な霧のように全編を支配している。これはまさしくプロの手だれの技だ。
憎まれ口をきく婆「しずかさん」や、「わたし」の同僚である、不倫真っ最中の行動派「月江」の性格造型がすばらしい。この二人が抜群に生き生きしてこの作品を面白くしている。3人の女たちの鮮烈な姿にくらべれば、肝心の男(石和)も、「わたし」の夫も影が薄い。
月江が不倫相手で、月江を抱きに本土から島へやってくるので、みんなに「本土さん」と呼ばれている男に食って掛かる場面がある。月江は「どうして来るの?」と男に詰め寄る。
「そりゃ・・・ああたを愛しとるからでございますばい」
と本土さんは、痛々しく懸命に、ふざけて答えた。
「いいえ、違うわ。愛しているなら来ないはずよ。あたしが言ってる意味、あなたにはわかるでしょ?愛してないから、来るのよ。へらへらとやってきて、嬉しそうに引き止められて帰っていくの」
「僕は・・・僕はそんなふうには考えていないよ」
「だってあんたの奥さんは、あんたが家を出るのを、引き止めはしないでしょ?」
「どういう話なんだい、それは」
「あたしはそれが頭に来るのよ。あんたは奥さんを捨てられないって言う。それはいいわ。でもせめて、彼女に引き止めさせるくらいいいじゃないの」
ここを読んだときは、ほとほと感心した。とくに「あんたの奥さんは、あんたが家を出るのを、引き止めはしないでしょ?」というセリフ。これはたまらんなぁ、と思った(笑)。そして男のとぼけぶり。いや彼は何もわかっちゃいないのだろうけど、本能的にこうとぼけるしかないだろうなぁ(笑)。いや、参りました。女は怖い。女性作家もコワイ。
私は実はこの作家のことは何も知らなかった。テレビで芥川賞受賞というので映っているのを見て、井上荒野?女性なのに思い切った名前だなぁ、ペンネームかなぁ、と思い、パートナーが「この人井上光晴の娘じゃない?」と言うので、あ、そういえばよく似てるぞ、と思い、さらに、井上光晴なら娘にそういう名をつけてもちっともおかしくないな、本名かもしれないな、と思いなおした。
翌日の朝刊を見るとやはり彼女が井上光晴の娘さんだということが分かった。すでに何冊も著書のあるベテランだ。知らなかったのはこちらの不明。
井上光晴というと、いまの若い学生さんは知らないだろうけれど、私たちが学生の頃には、同じ下宿の学生は同志社も立命も京大もみんな「井上光晴作品集」を買い揃え、新しいのが出るたびに追っかけて読んでは、こんどのはどうだ、こうだ、というほどよく読まれた作家だった。
井上光晴という作家そのものについては、私より数倍も熱心なファンが同じ下宿にいたので、私は少し斜に構えて読むような恰好だったけれど、彼の作品もエッセイもそのころまでに出たものはほとんど欠かさず読んだ。
つねに鮮明な批評性を失わず、それを表現の方法に繰り込もうとする彼の不断の実験的な精神は、私たちを刺激し、引き寄せる強い磁力を持っていた。
私自身は井上光晴によってフォークナーの豊穣な世界に導かれ、井上光晴自身もフォークナーの最高傑作と評していた「響きと怒り」は私自身が最も愛する小説の一つになった。
井上光晴の娘という立場で作家になるのは辛かったろうな、という気がする。実際、新聞のちょっとした記事で彼女の発言をみると、最初の賞をもらってから、しばらく書けない時期があったというような意味のことが述べられていて、さもありなん、という気がした。
光晴のような意識的、方法的な作家を意識せざるを得ない作家というのは、娘でなくても、書きづらいに違いない。方法意識も批評性もかなぐり捨てて、ベタな手探りの感覚だけで、爪で粘土に象形文字でも刻みつけるように言葉を刻み付けて、自意識を抜け出すほかに手がないだろう。
でもこの作品は、完全に一人の憎らしいほどうまい作家の存在感を示していて、突然あらわれたようなその圧倒的な技量に、いったいどういう経路をたどって、ここまでたどりついたのだろう、と驚き不思議な気がするほどだ。
父と娘だからといって、両者の作品の直接な印象を結びつけるのは馬鹿げているし、影響を軽々しく云々するのも、作家双方に対して失礼なことだと思う。
でも、若いころに井上光晴のファンの一人だった読者として、この『切羽へ』を読んでいて、ふっと、私が愛読した井上光晴の『眼の皮膚』という短編集のことを思い出した。それは理屈ではなくて、あの繰り返し読んだ本を読んでいるときの感覚が蘇ってくるような錯覚にとらえられたのだ。
井上光晴の作品の中では、あれは長崎弁のような方言が登場するわけでもなく、東京の現代の団地の主婦のありふれた日常生活、一見何気ない、習慣化された挨拶やありきたりの会話、その眼に映る日常の風景、些細な心の動きを、内側から腐食していくような生活の底を抉ろうとする試みのような、実験的な作品だった。いや、実験小説のような「方法」的意匠など少しも感じさせない、彼流の実験小説だった。
だから、この『切羽へ』という作品を読んでいて、なぜあの作品を読んでいたときの感覚のようなものが蘇ってきたのか不思議な気がするし、影響関係がある、というふうなことを軽々に言うつもりもない。
ただ、小説という表現様式の「方法」に対する作家の距離のとり方に、どこか似たところがある、と感じないではいられないところはある。そして、「切羽へ」というタイトルのつけ方にも。
でもまぁ、文芸批評家でもない私にはそんなことはさしあたりどうでもいい。山田詠美につづいて、こういう手だれの作家が出てきて、きっと今後も続々と美味しい作品が読めそうだと思えるのは幸せなことだ。
blog 2008年07月19日