ロシアン・エレジー(アレクサンドル・ソクーロフ監督) 1993
68分の短い作品ですが、非常に印象的な作品です。
冒頭、クレジットが映っている間から、瀕死の人の息のようないかにも苦し気な息の音が聞こえてきます。「水をあげましょうか?」という女の声。そして、苦し気な息の反応。そして水を飲む音。かなりひどい音です。ずっと画面は闇のままで、なにも映しださず、苦しそうな息の音だけが聞こえてきます。「寒いの? 湯たんぽを持ってきましょうか?」といった女の声がたまに聞こえます。
やがて「脈がとまりました」の声。「苦しみを終えたのね。」と女どうしの会話。そして遺体の広げた片手にたぶんその声の主の手が重なり、しばらく重なった手だけが映されています。この重なった手の表情は優しく、美しいシーンです。
赤い空。赤みがかった黄土色の大地。建物の影。森の影。雷鳴。ずっとそんな荒涼たる風景。耳にはずっと人が何かしているような音がノイズのように聞こえてきます。人の声のノイズ。
ここからモノクロの画面へ。夜になったようです。窓辺に坐る人影。先の風景はこの人物の目に映っていた窓の外の夕暮れの風景でしょうか。ランニングシャツ姿のように見えます。(先ほどの死者が生前にそうして窓辺に坐って眺めていた風景のようにも見えます。)
林。雨の音。風の音。橋の風景。ヨット? 鉄道の写真。このあたりからは全部スチール写真です。鉄橋の写真。橋の真ん中に車?そこに坐っている人影(女)に近づいていくカメラ。
鉄橋の下、橋桁の影にとまっている小舟。そこに焦点をあてて近づくカメラ。(「見て」いるのは冒頭で亡くなった男でしょう。彼の脳裏をよぎる過去の光景が、セピア色のスチール写真で次々に登場するようです。ときおりこういう細部の小さな人影にズーミングされるのは、そのときの彼がそんなふうに見ようとしていたからでしょう。)
橋。闇。
水と山の見える風景。
4,5人の子供たちと男のいる写真。
大通り。
波止場?
男と女。婆さん。古着売り?
水辺の建物のある風景。
少年2人の寝そべっている写真。
大通り。
見ずに映る建物。水の上に建つ建物。
尖塔。どうやら教会の尖塔らしい。
教会の遠景。
乳母車?
水辺の建物。
水辺のボート
馬車、桟橋の馬、船上の馬、
人々の満員の船。人々のクローズアップ。
水辺の光景。写っている教会の尖塔はさきほどのと同じ。
船着き場をおりていく人々の列。
小舟の男一人。
教会。子供たち。娘が抱く赤ん坊。
教会のある通り。
教会。手前に一人立つ女
並木のある道。男と女。家の前の女と子供2人。
荷車(馬車)の荷台に腰かける老人
藁の上に寝る女。それを見おろす男。
寝る女。
裸足で土の上に立つ足。
水辺の風景。背中をむけている男。
釜でなにか煮ている野外。女たち。
丸太を組んで作られた家。
老人、女、子供
女
子供2人はだし
人々。ショールをかぶった女4-5人。
大勢の男たち。軍帽の子供も。
子供の表情。引いて、老人。
広い道路。
多くの人々。
勲章をたくさんつけた人。
2人の軍人
ここまでずっと、モノクロのスチール写真。
→女の寝顔(カラー。動画)
周囲で足音。
人はだれでもこう考え始めるところに近づく・・どうしてこれが他の人でなくて自分に起きたのかって、自分のおこない全てを振り返る人もいるわ。自分の人生を振り返り、苦しみをこう受け止める。これは人生の過ちに対するむくいなのかしら、と。
聖書を読んで分かった…人は自分の過ちを償わなくてはならない。自分のだけでなく、周囲の人のも・・・
女性の声でつぶやかれるこの言葉が、この短い作品の中で唯一、直接に何か意味を持つようなセリフとして語られる言葉です。
女の声がつづき、映されるのは男の顔。ベッドで眠っているのか、いやこれがたぶん最初の瀕死で、すぐ死んでしまった男なのでしょう。ランニングシャツ姿、ズボン。
女の声がつづく。足音が聞こえる。
兵士3人がこちらへ歩いてくる映像。塹壕の中で臼砲?をセットする兵士3人。ここは戦場のようです。
羽根がはえた弾丸を発射。すごい爆裂音。
砲弾の走る音。ヒュルルゥ~ッ! 弾丸を詰め替える金属音。発射の轟音。
兵士たち、塹壕の中を左右へ動く。掛け声。女の声。兵士たち。笑い声。足音。
大砲を撃つシーン。ズダダーンッの音。林の中、土煙。ここらはセピア色の動画。
のんびりしてみえる戦場の風景。
鉄兜の兵士ら、塹壕から山へ。
傷ついた兵士を支えながら歩く兵士ら。
水の中へ飛び込んだらしく、水中の光景。砲声が聞こえる。
水面‥黒っぽい。空が映る。樹々も。
雨のあとの凹凸のある平面。向かいに林。山の濃い木々の影。下には雪も残る。手前は凍土か。
手前の凍土のような水たまりのある平面に赤ん坊が置かれている。
赤ん坊のものらしい寝息が聞こえる。ずっとスチール写真のように赤ん坊の顔が映されている。聞こえてくるのはその寝息だけ。カメラが右へパンするとぼやけた木々の影。はじめぼやけていて、やがてピントが合い、樹々の風景。
赤ん坊の寝息がつづく。
丈の高いシダ類のような葉が茂る草叢。むこうは林。
その草叢の中を鶴が長い首だけを立てて歩いている。
林、逆光で暗い。
カラーになり、緑の色が光を浴びて現れる。いったん暗くなり、また光が射して明るくなる。
木々の下の草の緑が明るい緑に。
激しい雨の音。風と雨?
シダ類のような葉に光が射し、葉が揺れる。
死体の頭らしいもの。その傍の台の上に石ころみたいな何かのかたまりみたいなものがいくつか置かれている。
足音など、ノイズが聞こえている。
台のそばのベッドに男(の死体)が横たわっている。その体の一部のアップ。汗?なにか液状のものがくっついて(のっかって)いる。
風景。何の変哲もない風景。手前に荒れた土地。その向こうを横切る道路らしい部分。その向こうに林か。
女の声がずっとノイズとして続いて聴こえている。なにか録音テープのスイッチを切り忘れてつけっぱなしにしたために、拾おうとしていないノイズを拾ってしまっているかのような音。
音楽。→おわり。
こうして映像と音を、メモがとれる範囲で拾ってみたけれど、意味不明でしょう?(笑)
でも最初と最後を見れば構造は明確で、これは兵士だった一人の男の死を描いた作品で、この男の死の瞬間に脳裡を走馬灯のようによぎっていったこの男の人生において見て来た風景がその間に展開されたのだと思います。はっきりしているのは、戦場での兵士たちの動き、大砲を撃ったり、臼砲みたいなのを撃ったり、塹壕の中を右往左往したり、怪我して撤退したり、その途中で水中に入ったり、たぶんここでこの兵士は水死同然、瀕死状態になって野戦病院にでも運ばれて、そこで死んだのかもしれません。ずっと聴こえてくるノイズは大体が病院内の看護婦なんかの人声などのようだと思います。
赤ん坊の意味はわかりませんが、この男にとっては重要な存在だったのでしょう。すごくはっきりと存在感をもって映し出されていましたからね。男の苦し気な瀕死の息と違って、赤ん坊の息はやすらかでした。きっと彼にとってもロシアにとっても希望なのでしょう、これが。「ロシアン・エレジー」というタイトルですから、一兵卒の死を描いてロシアの悲歌としたものではないかと思います。(田山花袋の「一兵卒」を連想しました。)
Blog 2018-10-30