「長江哀歌」(ジャ・ジャンクー監督)
原題は「三峡好人」(三峡の善人)。原題のままのほうがいい。
中国の国家プロジェクト三峡ダムの建設によって水底に沈む運命にある、長江のほとりの景勝地、奉節(フォンジェ)を舞台に、監督の故郷でもある山西省からきた男が、16年前に故郷であるこの地へ去った妻子を探してやってくる。
最初はこの男が長江をゆく船上でいかがわしい奇術ショーに連れ込まれて金を騙しとられそうになるような場面から始まるが、状況がなかなか分らない。人探しに来たというのはじきに分るが、それが誰なのかもすぐには明かされず、妻子を探して、ということが分かっても、今度はなぜ妻子を探さなければならないのか、その事情が分らないまま、男の行くところについていく感じで見ていくことになる。このsuspendingな設定が展開を引っ張っていく。
ところが、途中で今度は同じ山西省から、一人の女性が、三峡に出稼ぎに来て2年間音沙汰のない夫を探して出てきて、夫の知り合いを頼って、いまでは成功して別の世界を生きている夫に会うが、好きな人ができた、と嘘をついて離婚しましょう、と言って去っていく、というエピソードが挿入される。
よく分からないまま最初の妻子探しの夫を追っていたこちらは、ひょっとしてこの女性はあの男が先妻やその妻との間で子をもうけたことを隠して再婚した妻で、年月を経て先妻の子に会いたくなって自分のもとを去って三峡へ出かけた夫を、事情を知らずに探しに来たのではないか、と勘違いしてしまった。
でも女が夫に会い、その夫はどうやら例の男とは無関係らしいことに気づいて、このへんでようやく全体の構造が呑みこめてきた(笑)。舞台となっている奉節で、夫を探しに知人の男と一緒に夫が社長をつとめる店に入って、水を飲んだりしているところで、最初の妻子さがしの男の妻のヤオメイの名が呼ばれたりして、偶然の物理的な接点は設けられているけれども、ストーリー展開に二組の男女のエピソードは関わりなく並存しているだけだ。
展開は分りにくかったし、最初はこの悠然たるスローなテンポが少しかったるかったけれど、丁寧に男の足取りをたどり、水没寸前の三峡地域の人々との出会い、触れ合いを描いていく展開に次第に引き込まれていく。
男は日銭を稼ぐために、三峡ダム建設に伴うビルの解体工事の現場で解体作業につく。半裸でつるはしを振るう男たち、その足元に広がる瓦礫また瓦礫の荒野、そして瓦礫の山、ほとんど解体されて構造だけ残っているビルの残骸を仰角でとらえる映像。この映画は二組の男女のドラマの背後にある、世紀の国家プロジェクトによって失われていく地域、失われていく生活、失われていく人間関係を「解体」されるビルや家々、その残骸を克明に映し出すことで、強く印象づける。
立ち退きを要求されているこの地域で生きる人々の貧しくも愛惜すべき日常の暮らしが、その食事風景、ドンブリ鉢やコップや魔法瓶や朽ちた壁や、その他諸々の具体的な日常生活の事物によって丁寧に映されていく。
私が好きなシーンは、船上で最初に手品ショーで金を騙しとろうとした若い男が、解体作業をしながらこの地にとどまって妻子を探しているサンミンと再会し、食堂のようなところで向かい合って、互いの携帯電話の着メロを流し合う場面だ。どんな貧しい生活をしていても、登場人物たちがみんな携帯電話を手にしているのが面白いし、この小道具が実に巧みに使われている。(もう一組の男女の場合も、電話が通じないこと自体を実にうまく二人の関係と響きあう形で表現している。)
サンミンとこのチンピラのアンちゃんは気が合い、トラックで出て行くアンちゃんにサンミンが夕食をおごる約束をするが、アンちゃんは解体作業の現場の瓦礫の下に埋もれて死んでいる。それをサンミンが見つけるのは、二人が交わした着メロのメロディーによってなのだ。こういうところは憎らしいほどうまい。アンちゃんの写真の前で線香がわりの煙草の煙が流れるのもいい。
それにしても、子供たちが歓声を挙げるようにして駆けていった丘の上の構築物は何だったのか。解体されたビルの骨組みのようにもみえ、それにしては半壊の瓦礫のようには見えないと思っていたら、突然噴煙とともにロケットのように空へ昇っていったので仰天した。え?あれってロケットか何かだったの?まさか突然そんなものが出てくるわけないよね。なにかを象徴する幻想的な光景?それにしてもこんなリアリズムの世界に、そんなもんが出てくるかね?私がぼんやりしていて、なにか肝心のことを見落としていたのかな?・・次に見るときは気をつけて、あれが何だったのか、よく注意してみることにしましょう。(誰か教えて!あれだけが心残りで気になる・・笑)
最初はぼうっと立っている感じで、何者かも何をしようとしているのかも分らない、無言の演技が多くて、ちょっとイラつかないでもないサンミン役の男優(ハン・サンミン)だけれど、だんだん分ってくると味があり、妻と出会うころには、サンミンという男の人間性の懐の深さ、温かさのようなものが伝わってきて、いい俳優なんだな、とあらためて気づかされる。
もう一つのエピソードのほうの女性、シェン・ホンを演じるチャオ・タオも、さっぱりした感じの、いかにも現代中国にいそうな女性という印象だが、演技は並ではない。
遠路はるばる山西省から四川省のこの地まで夫を探しに来て、本当は夫を深く愛していればこそなのに、一方で2年間も音沙汰ない夫が、ここで楽しくやっていて、自分のことなど忘れているかもしれないという予感を覚えていて、変わってしまった夫に会うことを怖れてもいる。
誠実な知人と一緒に夫を探して夫の周辺を廻るうちに、次第に予感どおりの状況を察しつつ、ついに夫と出会い、耐えて来た思いが溢れそうになるけれども、夫の心には、もう自分を思いやり、愛する気持ちがないことを直観し、咄嗟に、自分には好きな人ができた、と言って、離婚を切り出す。
そういう女心の微妙な表現を、非常に自然体にみえる細やかな演技でみごとにこなしている。これも本当にいい女優さんなのだろう。決して幾何学的に整った顔の「美人」顔ではないけれど(笑)・・・
この映画のキャスティングは、主役級を除けば、ロケ地の三峡の人々なのだそうで、サンミンの妻の義兄をはじめサンミンと共に解体作業に当たる日雇い労働者たちの表情、女たちの表情、さすがに三峡の自然と解体寸前の古い街の人々の匂いの染み付いた家々にしっくりと収まる、とてもいい表情をしている。
こまやかな人と人のやりとり、心のゆれ動きを描く繊細な映像と、美しい長江の景色、それを壊しながら新しい人為的な景色を作り出していこうとする圧倒的な力を象徴するような瓦礫の光景、その対照が美しい映像を創り出している。
ラストに、サンミンが再び妻子を迎えに来るために、仲間たちと一緒に、山西省の非合法の炭坑へ出稼ぎに戻ろうと出発するシーンで、仲間たちを先にやり過ごしてサンミンが眺める解体ビルからビルへ綱渡りをしていく男の映像はとても美しい。
blog 2009年08月07日