『君たちはどう生きるか』再読
いま書店にいくと、どこでも吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』が平積みになっていて、同じ場所に眼鏡をかけた、ちょっと大人しく内省的なお坊ちゃん風の中学生らしい肖像のイラストが表紙に描かれた大判の本が立ててあって、麗々しく「君たちはどう生きるか」という宣伝文句が掲げられているのを目にするでしょう。
少し前から気にはなっていたのですが、別に店頭でページを開くわけでもないので大型本がマンガだとも知らぬまま、雑誌の特集か何かかと思い、なんであの本が雑誌でいまごろ取り上げられたリしているんだろう?・・・なんて、食事のとき、その話題を出したら、私より世情にうとくないパートナーが、あれはマンガ本が出てベストセラーになって、古い本もまた再刊されて同じようにベストセラーになってんのよ、と教えてくれました。
実はこの本はたぶん中学に入ってすぐくらいだと思いますが(記憶違いでもっと前かもしれないし、もっとあとかもしれないけれど)、誰かにもらったか、あるいは学校の先生の勧めで買ったかして読んだことがあります。先生の勧めだとすれば、ほぼ確実に清水先生という、中学に入ってすぐに現代国語を教わった退職間近の老先生でした。
眼鏡をかけた小柄な、いつも笑顔の可愛らしい、愛されるおじいちゃん、という感じの先生でしたが、一番最初の授業では忘れもしない、いきなり何も見ないで黒板に綺麗な字で、漢詩を原文のまま書きだしたのです。それが朱熹の「偶成」でした。
少年易老學難成
一寸光陰不可輕
未覺池塘春草夢
階前梧葉已秋聲
少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んず可からず
未だ覚めず池塘春草の夢
階前の梧葉すでに秋声
・・・「池塘春草」って何だっけ、ともう中身のほうは忘れていますが、短いせいか、記憶力の悪い私も、いまだに読み下しは、すっと出てきます。この歳になって(そしてけっこう長い間教員などやった身で)思うのですが、こういうの・・・つまり人の胸に生涯残るような言葉を刻みつけることができるようなのが、本当の教育ってものなんだろうな、とつくづく思います。私はなにひとつそういう意味では教育なんかできなかった。恥じ入るばかり。
清水先生は多少教育者嫌いというか敬遠したいところのある私のような人間にとっても、いつ思い出しても温かい気持ちで、もちろん尊敬と親しみの念をもって思い浮かべられる先生です。彼は毎回の授業で、当時はコピー機だのいまのような印刷機なんて学校にはないから、すべていわゆるガリ版刷り(謄写版)で、おびただしいプリントを刷ってきて全員に配布してくれました。
それはもう、自分が配布するプリントだけで中学生が1年間読むべき最低の読書量を満たしてやる、とでも言わんばかりの圧倒的な量でした。
そんな先生だから、いつもあれを読め、これは面白いよ、といろんな本を紹介し、勧めてくれました。だから、「君たちはどう生きるか」も先生が勧めてくださって読んだという確率はかなり高いと思っています。
それはさておき、今回、パートナーの言葉を聴いて、それじゃもう一回読んでみよう、と岩波文庫を買ってきて、昨夜一気に読んでしまいました。マンガのほうはまぁいずれ(笑)
本の中身は、実はかなり覚えていました。60年くらい前に読んだとき、心を動かされたので、コペル君が親友たちをいわば裏切って苦しむ経緯も、そこから立ち直って行く事情も、強く印象に残っていたのです。
そこには思春期の誰もが、多かれ少なかれ遭遇し、傷つき、挫けそうになりながら、なんとか周囲の助力も得ながら乗り越えていく、思春期の魂が成長していく内在的なドラマが、一定の抽象度を保ちながらも、非常にやさしい、身近な材料で、そして少年の視点で巧みに描かれていて、小説でもなくエッセイでもなく教科書でもなくハウツー本でもない、中学生向きの人生読本とでもいうほかない内容なのに、説教臭い嫌味もなく、難しい抽象的な言葉もなく、実にすなおに、自分に引き付けて読み、おそらく誰にとっても思い当たるところがあるある、と感じられ、そのような体験の意味を自然に考えさせられ、目からうろこが落ちるような気持ちにさせられる、そんな書物です。
コペル君と叔父さんの関係はよく覚えていたし北見君や浦川君のこと、少し影は薄いけれど親友の水谷君のことも、名前は忘れていたけれどよくよく記憶していて、浦川君の家に行った日のこと、油揚げ事件のこと、雪の日のこと、読むと懐かしく思い出されました。ニュートンのリンゴの話も水谷君のちょっとお姉さんぶったお姉さんのナポレオンの話も、あったことを覚えていました。
人倫的な部分はよく覚えていましたが、今回あらためて読んでみて感心したのは、それ以外の、私がほとんど忘れていた部分、というより、当時読んでも気づかなかったのであろうような部分でした。
それは例えば、ほぼ冒頭の、コペル君が叔父さんと銀座のデパートの屋上にいて、霧雨の降る中、下の銀座通りを見下ろしていて、その底を通って行く自動車の無数の人々の姿を眺めていて、その光景を暗い冬の海のように感じ、「この海の下に人間が生きているんだ」と考え、その夥しい数の人間たちを「水の分子」のようだと考える、「へんな体験」からの展開の部分です。
人間を分子のようだと思った、そのコペル君に、叔父さんは「そのことは、ようく覚えておきたまえ。たいへん、だいじなことなんだよ。」と言います。
その夜、叔父さんは後にコペル君にも見せることになるノートに、この日コペル君に起きた転回の意味を書きつけます。それは、コペル君(こと潤一君)がそれまでの自分中心にしか世界を見ることができない、子供にはあたりまえの「ものの見方」から、「広い世の中の一分子として」自分を見るという「ものの見方」への転回を経験したことは、中世の人々がみな信じた自分たちの住む地球中心の考え方である天動説からコペルニクスの地動説への革命と同じように、「ものの見方」の決定的な転回なのだ、と。
そして、広い世の中の事を知るためには、あるいはまた、宇宙の大きな真理を知るためには、自分中心の天動説的な考え方を捨てなければならないのだよ、と。
このように日常的な少年のささやかな経験の意味を掘り下げ、そのことの意味を、少年のこれからの成長につながっていく、より広い世界へ出ていく上で大切な武器となるような、普遍的なものの考え方へと関わらせながら解き明かしていく、その手際の鮮やかさにあらためて感心したのです。(ちなみに、潤一の「コペル君」という印象的な綽名も、叔父さんがこのエピソードに因んでそう呼んだことから、友人の間にも意味が知られぬままに拡がって定着したものです。)
ニュートンのリンゴの話も、そういう話題があったことはよく覚えていましたが、問題はニュートンが万有引力の法則を発見したということではなく、叔父さんの問いかけが「ニュートンはリンゴの実の落ちるのを見て、なぜ万有引力の思想にまで展開できたのか」ということだった、という話であったらしいことは、まったく覚えていなかったのです。
叔父さんによれば、ニュートンの「発見」は地球上の物体に働く重力と、天体の間に働く引力とを結びつけて、それが同じ性質のものだと実証したところにあるので、この二つの力が彼の頭の中でどうして結びつくことができたのか、それが問題だ、というのです。これはいまこの問いだけ抜き出されて私に問われても、詰まって答えられないです。私も理学部出身なのですが・・・(笑)
叔父さんは学生のころ「理学部の友人」に聴いたというニュートンの頭の中で展開された考えについての推測を、コペル君に話して聞かせます。
それは、まずはリンゴが落ちたとき或る考えがひらめいただろうが、「肝心なのはそれから」で、リンゴは3,4メートルの高さから落ちたのだろうが、ニュートンはそれが10メートルだったらどうだろう?と考えた、と。
では20メートルなら?100メートルなら?・・・そうして何万メートルの高さを越してとうとう月の高さまでいったと考えたら、それでもリンゴは落ちて来るだろうか・・・
月は落ちて来ない。それは地球が月を引っ張っている力と、月が回ってどこかへ飛んで行ってしまおうとする力とがちょうど釣り合っているからだ。
天体同士の間に引力が働いている、という考えはニュートン以前にもあったけれど、だれもそれを地球上の物体に働く重力と同じ性質のものだと考えなかった、それを苦労して実証したところにニュートンの発見があったんだ、と。
叔父さんはニュートンの偉大さを、ただリンゴが落ちたのを見て、ハッとひらめいた、という思い付きだけにあるのではなく、それが二つの力の同じ性質によるものだということに考えをすすめ、それを大変な計算の苦労をして実証していく、そのプロセスを成し遂げたことにあると強調します。
こういう展開には舌を巻きました。これほど中学生にもわかりやすい身近な世界から、科学というものがどういうものであるのか、その価値はどこにあるのか、偉大な科学者が成し遂げてきたことの意味を分かりやすい言葉で語った例は稀だと思います。
こうしたことのほかに、今回気づいたのは、コペル君や彼の友人の多くがかなり経済的にも豊かなハイソサエティに属する家庭の子弟らしい、ということでした。
冒頭でコペル君のお父さんが2年前に亡くなっていることが明かされ、大銀行の重役だった父親が亡くなったのち、一家はそれまでの旧市内の邸宅から郊外の「小ぢんまりした家」に引っ越した、と書かれています。
ところがそれに続いて、「召使の数もへらして、お母さんとコペル君の外には、ばあやと女中が一人、すべてで四人の暮しになりました。」とあるのです。
いまの若い人なら、おいおい、家族以外にばあやと女中まで置いて「小ぢんまりした家」だって?と驚くでしょう。
でも戦前の大銀行の重役だった家の話なら、不思議はありません。ちなみに、戦前は大学の先生もこの「小ぢんまりした」家くらいの環境で、「ばあやと女中が一人」くらいは置ける程度の給料はもらっていたのです。いまそんな暮らしができるセンセーは副業でベストセラーなんか書いているタレント先生くらいでしょう(笑)
豆腐屋の息子浦川君がイジメに遭う背景を作者はこんなふうに書いています。
「こんなに、みんなが浦川君を馬鹿にするのは、浦川君の恰好がおかしいためとか、学業があまり出来ないためとかいうほかに、もう一つその理由がありました。それは、浦川君の身なりとか、持物とか、ーー いや、浦川君の笑い方や口のきき方まで、すべてが貧乏臭く、田舎染みているということです。浦川君のうちは豆腐屋さんでした。ところが同級の生徒は、たいてい、有名な実業家や役人や、大学教授、医者、弁護士などの子供たちでした。その中にまじると、浦川君の育ちは、どうしても争えませんでした。浦川君のように、洗濯屋に出さずにうちで洗濯したカラーをしていたり、古手拭を半分に切ってハンケチにしている者は、ほかには一人もありませんでした。」
いまで言えば、名の知れた塾にさんざんお金を払って受験勉強をさせてもらわないと合格しないような学費の高い私立の有名進学校みたいなところですよね。「有名な実業家や役人、大学教授、医者、弁護士」などの子弟が通う学校なのですね。
それはともかく、こうした背景があるので、主人公のコペル君も幼いときから家庭教育がしっかりした知的環境に育ち、本なども結構読んでいるので、そう勉強しなくても成績は良く、お行儀もよい、いいうちの坊ちゃま、だけどただ経済的に豊かなだけで成金の無教養な家庭で甘やかされたわがまま坊主でもなければ頭の弱いバカ息子でもなく、どちらかと言えば知的で、内向的なキャラの少年として設定されています。
水谷君は父親が存命時代のコペル君の家庭のように経済的に豊かな大邸宅に住む何不自由ない暮らし向きの家庭のようですし、北見君は然るべき地位の軍人の家庭としての特色があり、浦川君はお豆腐屋さんの息子で、ごく庶民的な家庭です。こんなふうに親友たちの家庭環境が当時の多様な家庭のありように描かれ、性格もそれを反映したものとしてうまく描かれています。
私は実はこの本を再読するまで、この本が戦後に出版された本だと思っていました。
ですから、今回読んでいて、いまではポリティカル・コレクトネスの観点できっと禁句になっているに違いないような、「女中」というふうな言葉が出て来て、自分が裏切った親友たちに宛てた謝罪の手紙を、コペル君が「女中を呼んで、それをすぐに出しにやりました」というような記述を読んで、あらためて、この本が戦前というか戦中、盧溝橋事件の起きた1937年に出版されたものであることを驚きと共に重く受け止めました。
私の記憶の中にそういう言葉につまづいた違和感に類するものがないのは、ひょっとしたら、戦中のそうした記述が修正あるいは削除された戦後版で読んだのかもしれません。
巻末の丸山真男の回想の追記を見ると、第一の変更が、1956年の新潮社による『日本少国民文庫』再編集のときらしいので、或いは私が読んだのはこの再編集版だったかもしれません。『日本少国民文庫』版より40枚も短縮されていたそうですから、1937年版からみればずいぶん変更が加えられたものだったのでしょう。
そのあと1967年にポプラ社から『ジュニア版吉野源三郎全集』の第一巻に収められるに際して作者がかなり書き換えたようですが、出版時期からみて私が読んだものはそれではなさそうです。体裁も私が読んだのは全集本の一冊でも文庫本でもなく、たしか箱に入っていたのではないかと思うのですが、ハードカバーの単行本だったように記憶しています。
今回再読したのは1937年版をもとにした岩波文庫版で、第一刷が1982年刊、私の手にあるのは昨年暮れに出た第80刷です。
いま読めば若い人にとっては、こまかいところで今では使われない「女中」のような言葉につまづくところはあるでしょう。でも上の浦川君についての記述に見るように、世の中でポリティカルコレクトネスが喧しく言われるようになる前の、剥き出しの率直な言葉は、今読むとかえって、今の人がなるべく近寄らずに目を背けて通り過ぎたい微妙な問題を、正面から直視し、あからさまに描きだし、かつ鋭く抉り出すことで、それを克服していく道を指し示すような力強さ、潔さを感じる記述のように思われます。
この浦川君について、叔父さんがコペル君にノートの中で語り掛ける言葉は、いま読んでもハッとさせられるところがあります。
それはコペル君が自分のうちよりずっと貧しい浦川君の家庭を訪ねたあとで、叔父さんは、コペル君が決して浦川君を貧しさゆえに侮ったりしない、コペル君の父親が願った「立派な人」に恥じない態度であったことに安堵しますが、それに加えて、ただ立派な人になるという学校の修身で諭すようなこととは一味違った観点から問いかける部分です。
彼は言います。なるほど、貧しい境遇に育って、ただ身体を働かせて生きて来たという人たちには、大人になっても、コペル君ほどの知識も持っていない人は多い。しかし見方を変えると、あの人々こそ、この世の中全体をがっしりとその肩にかついでいる人だ、と。
世の中の人が生きてゆくために必要なものは、どれ一つとして人間の労働の産物でないものはない。学芸や芸術だって、そのために必要なものはみなあの人々が額に汗して作り出したものだ。あの人々のあの労働なしには、文明も無ければ、世の中の進歩もありはしない。
ところで、君自身はどうだろう。君自身は何を作り出しているだろう。・・・毎日三度の食事、お菓子、鉛筆、インキ、ペン、紙類・・・着物や靴や机、住む家にいたるまで、なし崩しに消費しているわけで、君の生活というものは消費専門家の生活といっていいね。・・・
・・・こうして叔父さんは、「生み出す働きこそ、人間を人間らしくしてくれるのだ」「学問の世界だって、芸術の世界だって、生み出してゆく人は、それを受取る人々より、はるかに肝心の人なんだ」と言い、「だから、君は、生産する人と消費する人という、この区別の一点を、今後、決して見落とさないようにしてゆきたまえ。」
浦川君についても、「まだ年がいかないけれど、この世の中で、ものを生み出す人の側に、もう立派にはいっているじゃあないか。浦川君の洋服に油揚げのにおいがしみこんでいることは、浦川君の誇りにはなっても、決して恥になることじゃあない。」と。
ここにも、身近な差別される友人の問題から、世の中の仕組み、その中で何が人間にとって大切かという生きる意味に至るまで、生産と消費という分かりやすいキーワードで実に鮮やかにつないでいます。ここでは古くからの「立派な人間」の徳目と古典マルクス主義の洗礼を受けた進歩的な社会観の幸福な融合が奏でる牧歌が聞こえるようです。
それが少し古典的なものに感じられはしても、決して説教臭くも教条主義的にも聞こえないのは、このような思想が著者の血肉になったものであることと、あくまでも中学生の視点で身近な世界から言葉を紡ぐように語られている語り口のせいでしょう。
来年は中学生になる孫に、この本はプレゼントしてあげたいと思います。巻末の回想で、すでに大学の助手として研究者の歩みを踏み出した歳の丸山真男が、年頃の近い作中の「叔父さん」にではなく、彼に導かれるコペル君の立場に自分を同化して「心を揺り動かされた」とまで書いているように、大人が読んでも心動かされるところの多い本なので、まだお読みになっていない方にはお勧めです。
blog 2018-1-22