丹下左膳餘話 百萬兩の壺 (山中貞雄監督) 1935
あらためて山中貞雄があんなに若くして死ななければ・・などと誰もが彼の映画を観て覚えるような感慨を催しました。「河内山宗俊」も「人情紙風船」も良かったけれど、なんたって見ていて明るい気分になれる痛快な作品はこれでしょう。
百万両の秘密埋蔵金のありかを記した文書が隠されているという「こけ猿の壺」をそうとは知らずに遺産分けでもらった柳生家の次男源三郎、奥方にこんな汚い壺、早く処分して、と言われて屑屋に売り払ってしまえと言って奥方が処分してしまいますが、国元からの情報でこれが百万両のありかが秘められた壺とわかって大騒動、源三郎はじめ柳生分家を挙げての壺探しとなります。その壺は屑屋の隣で父親と住んでいた子供ちょび安が金魚を飼うのにちょうどよいともらい受けますが、そのちょび安の父が的場で遊んでいるときのトラブルの腹いせにチンピラに殺され、みなしごになったところから、その的場で居候している片目片腕の凄腕の浪人丹下左膳と接点が生じてきます。あとはこのこけ猿の壺さがしが細い糸になって、源三郎、左膳とちょび安を中心に、源三郎の奥方や左膳が居候している的場のおかみなどが絡んで物語りが展開していきますが、よく知られたこの話を山中貞雄はすっかり換骨奪胎の趣で江戸時代のサラリーマンものみたいな愉快な話にしてしまいました。
原作者の林不忘が怒ったそうですけど、虚無的なアウトローの左膳をすっかりカミさんの尻に敷かれっぱなしのサラリーマンみたいな、子煩悩でお人よしの純な侍にしてしまい、こけ猿の壺を盗まれて本来なら仇同士の柳生源三郎も、これに輪をかけた恐妻家、柳生新陰流の達人であるはずが剣術のほうはからっきしで、金目当てに道場やぶりに来た左膳に弟子と奥方の手前、賄賂で負けてもらうという侍で、気に入った女の子のいる的場へ通うために、こけ猿の壺探しを名目に自由を確保して「江戸は広い。みつけるのに十年かかるか、二十年かかるか・・・まるで仇討だ」と奥方につぶやくのが口癖、という御仁。もうこういう設定だけで森繁の「社長漫遊記」みたいな可笑しさ、面白さがあるけれど、この二人を演じる大河内傅次郎も沢村国太郎もすばらしい。
ほかの左膳ものでは粗暴な感じのアウトローを演じてコワモテの大河内傅次郎が、ここではコワモテはほんのみかけだけで、居候している先のおかみお藤にはめっぽう弱くて、口だけは威勢よく反発しているけれど、かならずその直後には彼女の言いなりになって行動し、また子供のこととなると可愛い孫のためなら喜んで命も投げ出す爺みたいに、なにかあると我を忘れてすっ飛んでいく、という人物像を演じているのが本当に面白い。河内山宗俊でも宗俊はじめ周囲の悪漢であるおじさんたちが、16歳の原節子演じる小娘の力になりたいと右往左往したあげく、最後はみんな命まで張るに至るというような話だったけれど、こういう人物像を描かせたら山中貞雄という人は抜群だったようです。
七兵衛を送っていけとお藤に言われていやだい、と言いながら、すぐあとのショットでは左膳が七兵衛を送っていく。ちょび安を連れてきた左膳に、あんな汚い子を連れて来てどうすんだ、と悪態をついていたお藤が次のショットでは彼女がちょび安に飯を食わせている。またちょび安が可哀想でおいてやることにしたという左膳にわたしゃ子供が大嫌いだ、と拒んでいたお藤が、次のショットではちょび安にしつけをして可愛がっていたり、友達が遊んでいる竹馬を羨ましがるちょび安に、竹馬は危ないからだめ、とちょび安を叱りながら次の場面ではもうちょび安が竹馬に乗って遊んでいる。ちょび安に道場がよいをさせて剣術を習わせようと言う左膳と、寺子屋で習字を習わせようというお藤で喧嘩しているシーンがあると、次に切り替わった場面ではもうちょび安のお習字を左膳が嬉しそうに見て褒めている・・・こういうユーモラスな場面がいくつもあって、その場面の切り替えのタイミング、「間」の巧みさがたまらない感じです。
それに、脇役もすばらしい。左膳が居候している的場のおかみ、お藤を演じたのは実際に新橋で芸者として三味線を弾き、歌を歌っていた喜代三という女性だそうで、この作品の中で何度かその三味線と喉をたっぷりと聴かせてくれますが、それが素晴らしくて、この作品に豊かな情趣を加えています。唄と三味線の芸だけではなくて、この人の表情も、とてもいい。とても女優としては素人と思えない存在感があります。ちょい役といえば、屑屋の二人なんかもちょっと得難い味があってすばらしい。
最後に壺はみつかるのだけれど、こいつがみつかると浮気ができぬからと源三郎、壺は左膳に預けて的場通いを続け・・・という平和で楽しい終わり方。ほんとうにいま見てもそのまま楽しめる、そして、おそらくは監督の手腕や出演者から見ても、二度とこんな映画はつくれないだろうな、と思わずにいられない、奇跡のような作品です。
Blog 2018-10-25