『プリンセス・トヨトミ』(万城目学・著)
「鴨川ホルモー」「鹿男あをによし」と読んで、ようやく最新刊「プリンセス・トヨトミ」までやってきました。500ページを超える力作ですが、残念ながら、私には鹿男のほうが面白かった。
作者の力量は一作ごとに大きく前進しているようで、前に使った喩えでいえば、海老の身とコロモはもう分離するのも難しい。無理に同じ比喩を使うなら、今回は表面に身が露出してしっかり詰まっており、その身をほじくっていくと中からコロモが出てくる、といった印象です。
実際、私たち読者がこの作品のオモテに観る風景は大阪庶民の日常生活であり、私たち関西に暮らす人間がよく知っている場所であり、風景です。そして、幸一なり語り手なりに案内されてレトロな近代ビルの内部へ入っていくと、そこには大阪の地下に作られた規模壮大な国会議事堂の空間が・・と、ここでコロモが出てきます。
物語で描かれた空間のありようそのものが、この物語の構造的性質と響き合っています。
「鴨川ホルモー」や「鹿男あをによし」が、思春期後期の精神を襲うSturm und Drangの表現であったり、社会へ出たばかりの新米教員が女子高で経験する不安や自信のなさや、コミュニケーション不全から回復するプロセスの表現であったりというふうに読んでいいなら、それらは個人の精神的な経験の物語だと言ってもいいでしょうが、「プリンセス・トヨトミ」はそういう言い方をするなら、大阪の人間の集合合的無意識を掘り起こす物語だと言ってもいいのではないでしょうか。
長編として構成がよく練られ、描写が緻密で「鴨川」や「鹿男」よりもだいぶ密度が詰まっている印象があり、三人の会計検査院のスタッフ間のやりとりや、大輔と茶子と蜂須賀らのイジメのエピソードなど、読者サービスも充実しているのですが、これらの前作に比して、かなりテンポが落ちていて、読者がどんどん前のめりになっていくような感じがありません。
それに、万城目作品に共通するコロモの奇想天外な面白さが、今回は私には平凡に見えました。これもユニークな「鬼」たちを登場させた「鴨川」や、しゃべる「鹿」を登場させた「鹿男」のほうがずっと奇想天外で、面白かった。
あの面白さで500ページもたせるのは、よほどの力量がないと難しいのでしょう。
もともと万城目作品では、「ばかばかしいほど面白い」独特の奇想に、奇想なりのリアリティをもたせるために、読者向けのいかにも合理的な説明らしきものを語り手が与えることが多くて、それが快適なテンポを妨げてかったるく、ちょっと首を捻らざるをえないようなところもありますが、今回の長編ではテンポが遅いせいか、それが多少目立ちます。
ちょっと生真面目すぎるのでは? 万城目の新作長編が出た、というので、たいていの読者は、今度はどんな奇想天外なコロモが楽しめるのだろう?と思ったでしょうが、さぁ、読んだ結果多くの読者はどう判定するでしょうか。
blog2009年04月10日