ジャ・ジャンク―監督「帰れない二人」を見る
出町座で、ジャ・ジャンク―の新作「帰れない二人」を見てきました。
作品の中で2018年という時が出てくるので、つい昨年の光景までとらえられていると考えていいのでしょう。起点は2001年、実に17年にわたる男女の愛の物語ですが、そう甘い話ではありません。
見終わってすぐに感じたのは、ここに同時代の中国、その劇的に変化する社会が一対の男女の物語の背景にしっかりと映像化されているということでした。そこが私にとってはこの映画の一番面白かったところで、山西省の大同(ダートン)という、その名くらいは聞いたことがあるけれど、地図であらためて探してみないとどのへんだったかも定かではない中国北東部の田舎街(炭鉱町らしい)が最初の舞台で、主人公の女性チャオの父親の働く炭鉱もどうやら当局の方針で遠い新疆へ鉱山局が移転して駄目になりそう、というような背景から、そんな街にも派手な照明と大音響で音楽が横溢するディスコがあって、若者がYMCAの音楽で踊り狂うような光景があり、そうかと思うとチャオと恋人である地域の顔役みたいな「渡世人」ビンが大きな顔をする、やくざ者、チンピラのたむろする麻雀、酒、暴力、金の裏社会があり、またビンの兄貴分がチンピラに刺され、その葬式に真っ白でキラキラのハイレグ女性ダンサーと若い男性ダンサーが霊前で社交ダンスみたいなのを踊ってみせるとか、もう訳の分からないものが入り混じったシーンが立て続けにみられて、あぁこれがここ20年近くの中国の姿なんだろうな、本当にもう昔の古き良き中国といった姿の片鱗さえなくなっているんだな、ひでぇもんだなぁ、といった感想を覚えながら、興味深く見入ることができました。
ストーリーとしては、チンピラにからまれて危うく命を落としそうなビンを、彼からピストルを預かっていたチャオが威嚇発砲して援け、ビンは懲役1年、チャオは拳銃の出所を白状せず、罪を全部背負て5年の刑務所暮らし。チャオが出所したときにはビンは出迎えもせず行方不明。チャオはかつてビンの子分筋だった男で事業で成功して、電力会社をやっている男のところまではるばる訪ねていきます。そこにビンがいるというので。そこは奉節(フォンジェ)という三峡ダム建設で活況を呈する都市で、もうじきあたり一帯が水底に沈むだろう、というようなアナウンスがされているところです。
長江を行く船中で同室した女に財布を盗られ(あとでまた出遭って取り返すけれど)一文無しで船を降りたチャオは赤の他人の結婚式の宴に紛れ込んで食事にありついたり、レストランに来た金持ちを呼び出しては、妹が流産したのよ!と姉を装ってかまをかけ、後ろめたい事情を持つ男から金を巻き上げたり(成金男たちがみなそういう後ろ暗いところのある連中なのも笑わせます)、たくましいところをみせますが、そうまでして会いたかったジンは、彼が頼っているその元手下の男の妹とできていて、要するにチャオを裏切って、自分のために5年のムショ暮らしをしたチャオを迎えにも行かなかったのです。
ジンを呼び出したチャオは彼の本心をはっきりと直接聞きだし、それならときっぱり身を引く決心をして別れます。
失意のチャオは職を見出すために武漢への汽車に乗り、乗り換えて北部の町へ行こうとしますが、列車の中で前の席に乗り込んできた中高年の男は、職探しなら広東だろう、南へ行かなきゃ、と言いながら、自分は新疆で旅行社を経営していて、UFO観光ツアーを計画していると言い、一緒に来るなら雇うというので、あまり信じている様子もないけれど、成り行き任せで、どうなってもいい、といった感じのチャオは彼について列車を乗り換え、新疆に向かいます。
車中で男は旅行社の話は嘘で自分は新疆で雑貨屋を営んでいると告げ、チャオを抱きます。チャオは夜になって男が座席で眠る間に、見知らぬ駅で降りてしまい、周囲には何もない中、一つだけ建っている廃屋の方へ近づいていくと、あたりが遠い雷の光かと思うように急に明るくなり、また暗くなりしたと思うと、明るい光の塊(UFOらしきもの)がすぐ間近な空をよぎって夜空に消えていきます。見上げればあとには全天に輝く無数の星々。このシーンはストーリーにはあってもなくてもよさそうな挿話ですが、意外性があり、とても美しく、ちょうど「長江哀歌」だったかで、建物がロケットみたいに突然空に飛んでいくシーンがあって、あれはなんだ!と驚いた覚えがありますが、あれと同様に、でもあれほど唐突でもなく男の会話の中身と響き合っていて、ファンタジックで、面白かった。
まぁそんなこんなで別れた二人だったけれど、最後はまた大同に帰ってきたチャオのところへ、今度は脳梗塞で倒れて半身不随になり、車椅子に乗ったジンがころがりこんでいて、チャオは昔のように、麻雀屋にたむろする男たちに姉御としてふるまい、ジンは昔の彼を知る仲間には一目置かれながらも、若いものからは落ちぶれた厄介者としか見られず、そんな自分に苛立ってなにかと面倒を起こしてチャオの苦労が絶えない様子。
ジンは自分がチャオに対してしてきた仕打ちを分かっているけれども、チャオに対しても周囲の連中に対しても素直になれません。かつての顔役としてのプライドが捨てきれず、身体がまったくいうことをきかなくなって、そのことに苛立ちつつ、周囲にもそのいら立ちをぶつけてしまうので、非常に扱いにくい存在になっていて、彼に遠慮会釈なく言えるのはチャオだけです。
あるときかつての手下であまりおつむのよくない男が、ジンに小馬鹿にされて腹を立て、カードで賭けを挑んで、ジンが負けたら車いすをよこせ、と言います。引いたカードはジンの負けで、ジンは車いすから立ち上がろうとしますが、そのまま床に倒れ込んでしまいます。その場へやってきたチャオは、かつてジンの手下だった相手の男に向かって、少しは賢くなれないの?!と叫んで、手にした陶製のティーポットでいきなり男の頭を思いっきり叩いて、ポットが粉々に割れ飛びます。このシーンはまことに胸がスカッとする(笑)。多分、ずっと描かれてつづけてきた否定的なもの、その17年間の中国社会の隅々までを冒した急激な変化の否定的要素のすべてを、そこで彼女がボカッとやって思いっきり否定してみせた姿に、観客としては溜飲を下げるようなところがあったんだろうと思います。
チャオはジンを病院へ連れていき、脳のMIR像か何かを並べた前で医師の話を聞き、ジンを助けてリハビリに精出させて、なんとか車いすから立ち上がり、ゆるゆると一歩、また一歩、ジンが歩けるところまで回復させていきます。
でもそんなある日、チャオの携帯が着信を知らせ、みると、ジンから「出ていくよ」というメールが入っています。ジンの寝室へ、そして建物の出口へ、外へ出て、周囲にまだいないかと探すチャオ。でももう彼の姿はなく、チャオもそれ以上探そうとせずに戸口へ戻ってきます。そして壁にもたれてぼんやりと戸口のほうをながめて物思いにふける…その姿がラストシーンです。
男女の愛の物語としては、「渡世人」として地方ではいっぱしの顔役だったかっこいい男に惚れた、男と同様にきっぷのいい姐御肌のチャオという女が、彼に惚れぬいて、彼がチンピラに襲われて危なかった命を助け、男をかばって自分が銃器不法所持の罪をかぶって服役したにもかかわらず、男は別に女をつくってとんづら、チャオを裏切っていた。それでもあきらめきれない彼女は直接男に会って問いただした上で潔く身を引き、一人で生きようと遠い旅に出るけれども、結局故郷へ戻ってきて昔のように渡世人の男たちが生きる世界の姉御みたいな形で生き、もうほとんど生ける屍のように尾羽を打ち枯らしたかつて愛した男を引き取り、プライドを捨てきれずに自身にも周囲にも苛立つ男と言い争いながらも、かつての誇り高い男の姿への愛を失わない彼女は今も彼への愛を失わずにいるのでしょう。しかしもはや昔に「帰れない二人」だと身に染みて分かった男は自ら不自由な体を引きずって、彼女のもとを立ち去っていく・・・そんななんだか昔の日本の任侠映画にありそうなストーリーです。
チャオという女性はすごく強い、立派な女性だけれど、ジンのほうは、ある意味でしょうもない男だし、渡世人が昔の夢を忘れられない形で持っているプライドなんてしょうもないもんだと言えばしょうもないものだけれど、たぶん、それだけが監督が肯定的に取り出しているいまの中国社会の中のたったひとつの「ふるきよきもの」なのでしょうね。
主演の女性チャオを演じた女優さん(チャオ・タオ)が素晴らしい。とくに大同へ帰ってきてからのチャオの姿はなんかこの女優さんが地でやれてるんじゃないか、と感じさせるような身に付いた自然な演技で、最初の若いころの姐御気取りの突っ張った姿とはまた対照的で、人生の甘いも酸いもかみ分けた女性の姿を見事に演じて感動ものでした。そして、かつてのジンの手下がジンに絡んだシーンで、彼の頭をポットでパカ~ッ!と殴りつけてポットが砕け散るシーンは本当に胸がスカッとしました。
ジンを演じたリャオ・ファンも最初は顔役らしい誇り高い男、後半は自分が己の命を救ってくれた女を裏切って若い別の女とくっついた後ろめたさと、さらにその後のみじめな状態に苛立ちながらそれでもプライドを捨てきれず、素直にもなれない男を演じてなかなか良かった。
列車の中で旅行社を経営しているとかUFOの話をする中年男、ジンのかつての手下で事業で成功した男、ジンの脳を診てシャオに親身に助言する医師、レストランでチャオが金を巻き上げるために声をかける男性客の一人が、みな映画監督というのも面白いし、やっぱりけっこう個性的な風貌と演技力で、脇固めに貢献していたように思います。
いまの中国がいったいどうなってしまったのか、それを感じたいならジャン・ジャンク―、といったところでしょうか。男女の愛の物語が一本の太い糸になって、これをたどってみていけるので、そういう明々白々なものがない「青の稲妻」や「長江哀歌」よりも私には分かりやすい作品でした。