美しき諍い女(ジャック・リヴェット監督) 1991
これはDVDで見たのですが、素晴らしい映画でした。ほぼ4時間の長尺ですが、全然飽きることがありませんでした。それは別に「無修正」(こういうことをこんな映画についてでも言わなくてはならないんですかね・・・笑)のエマニュエル・べアールの肢体のせいではありません。
この作品はバルザックの短編「知られざる傑作」を原作としていますが、原作では描かれない、老画家の画業が逐一映像化されて目の前に展開される、そこが見どころです。
完成した「美しき諍い女」という老画家の畢生の大作はついに私たち観客が見ることができません。その点は原作と同じですが、それを描くために、一番最初の、ペンにインクをつけて画帳にガリガリとどちらかと言えば不快な擦過音を聴かせながら荒っぽく描いていく線画や指にインクをつけて塗りつけたりぼかしたりする手法から、デッサン用木炭で大きなキャンバスに描いていく、それから絵具をつけた絵筆で描いていく、そういう過程を丁寧に全部手元で見せてくれます。それがプロの画家の手で見せてくれているらしくて、ざっくり描いていくのですが、見事なもので、なんだか素人には魔法のように思えるほどです。
肝心のモデルであるマリアンヌのほうは、たしかに終始「無修正」の全裸をさらしているけれど、全然セクシーでもエロティックでもありません。むしろ結構がっしりとした体つきだなぁ、逞しい身体だなぁ、なんて思うけれど、いわゆる色気はないのです。なぜかというと、それは徹底的に老画家の目にあわせて映像自体が、この女性を客体としてのモデルとしてしかみていないからです。オブジェ、絵を描かれる対象としての物体でしかないのです。
最初から画家の中にあるエロティシズムの観念なり情欲なりのフィルターで見るのではなくて、まったく客観的にそこに存在するオブジェでしかないものを描きとる中で、そのオブジェがほんとうは一個の人間としてか女性としてか生きた存在として持っている内面が立ち現れてくる。それまではただ外観を見ても、そこにオブジェとしての身体があるだけ、ということになるでしょうか。
この画家の視線≒観客の視線と描かれるオブジェとしてのマリアンヌという女性との関係、その変貌と最終的な「美しき諍い女」という生きた「血の通う」創造物にいたる過程が、この映画で描かれる内容だと言ってもいいでしょう。
もちろん「知られざる傑作」を原作とする物語の結構はちゃんと備えています。かつては、いま妻となっているリズという女性をモデルとして同じタイトルの作品を命がけで描こうとしたけれども、それを完成させずに放棄し、もう描く気力も失せていた老画家フレンホーフェルが、自分を畏敬する若い画家二コラが女友達マリアンヌを伴って訪れたとき、画商にも勧められて、この女性をモデルにすればもう一度あの絵を描いて完成させることができるかもしれない、と思うようになり、まず二コラに話したところ、完成した絵が見たい二コラは勝手に了承してしまいます。
そのことをマリアンヌに話すと、彼女は裸体モデルでしょう、勝手にそんなこと決めて!と怒り、拒む姿勢を見せますが、翌朝になると二コラには告げずに自分で老画家を訪ねて、モデルを了承します。
そこから延々と老画家の彼女をモデルとする創作の過程が描写されます。そのプロセスが最大のみどころで、実にテンションの高い場面の連続です。二コラは自分がOKしたことを後悔し、また、老画家の妻リズは最初は歓迎するかのようにマリアンヌを励まし、助言し、温かく接しますが、次第に嫉妬なのかどうか、自分の過去と絡んで複雑な心理を見せるようになります。
老画家が絵には生きた人間と同じように血が通い生命が宿るのだと考えて、そういう作品をほとんど苦行僧のようにほかのすべてを忘れてめざしているのに対して、彼の妻リズが生命を奪われ血を抜かる鳥の剥製を作っているのは不気味です。
でも別段異常なことが起きるわけではありません。カメラはリズやニコのやきもきするのとは別に、ひたすら「美しき諍い女」の完成を目指して自分に残された全エネルギーを注ぎこもうとする天才老画家と、その厳しい要求に反発も覚えながらも従順に従い、だんだんと難しいアクロバット的なポーズにも耐えていくマリアンヌとの行き詰るような、描くものと描かれるものとの対峙する姿をとらえていきます。
老画家は、マリアンヌに様々なポーズをとらせ、彼女が内面で葛藤しながらその指示に従っていく過程で、マリアンヌを単に肉体の表面において裸にしているだけではなく、その内面をもあらわにし、いわば精神の衣に隠れている精神の裸体を引きずり出すようにしていくようです。
けれども、先にダウンしかかるのは老齢の画家のほうです。もうだめだ、自分には完成できない、というところまで彼は自分を追い詰め、追い詰められていきます。
しかし、ちょうどそれと入れ替わるように、それまでは受け身に彼の指示に従い、内面で葛藤しながらも乗り越えてその指示に従い、難しいポーズに身を任せて、内面を少しずつ露わにしてきていたマリアンヌの方が、今度は逆に画家に対して、逃げ出すな、と叱咤し、自分で積極的に敷物を敷いてその上に自分の内面を露出するポーズをとって彼を促します。
そうしてまたひたすら二人の行き詰るような対峙、描き、描かれる中で二つの魂が火花を散らして融合して一つの作品へと結実していくようなプロセスが、今度はややテンポを速めて描かれます。
もちろん夜は眠り、食事もするわけですから、その間にマリアンヌはニコと語り、リズは夫と語り、不安を投げかけたり、励ましたり、過去が明らかになったり、いろいろありますが、それはまぁいいでしょう。
ずっとこの老画家がなぜリズを描いて「美しき諍い女」を完成させることができなかったのかが謎でした。マリアンヌが問うたとき、老画家は、「描くよりもまず寝たいと思った」「恐怖を感じた」というふうな言葉で答えていたと思います。
じゃなぜやめたの?というマリアンヌに、画家は「どちらかが破滅するから」というような答を返していたと思います。答自体がマリアンヌあるいは観客に対する謎かけのようですが、最後まで見ると、この画家の答は正直で、正確だったんだな、と感じます。
「描くよりもまず寝たいと思った」というのは、リズに関してはモデルつまりオブジェとして見るよりも、女性として見る気持ちを消すことができなかった、ということでしょう。彼は女性としてリズを愛していたからです。
そして、「恐怖を感じた」というのは、自分の天賦の画才が、マリアンヌの人間性、その内面を醜悪さも暗さもひっくるめて、あらゆる否定性をも裸にしてさらけ出させてしまうことへの恐れだったに違いありません。そのことが最後に絵を完成してマリアンヌがそれを見た時の反応でわかるようになっています。
老画家が妻をもはや愛しておらず、別れたりしていたなら話は早いけれど、いまも二人は愛し合っている夫婦で、二コラが心配したような、老画家が若いマリアンヌに変な気を起こすような気配などはまったくないのです。それは彼がマリアンヌを純粋にモデル≒オブジェとしか見ていないからで、彼の視線は徹底的に「絶対」の芸術を求める芸術家の視線です。
やがて絵が完成します。老画家自身は満足の面持ちで、アトリエでマリアンヌと芸術家として対峙していたときの激しいテンションから解放されて穏やかなゆとりの表情です。
また、老画家の妻であるリズはひそかに夜中に一人、アトリエに来て、完成した作品を見て、「やっぱり・・・」というふうなつぶやきを漏らして、どちらかと言えば安堵したような、満足したような表情でアトリエを出ていきます。
これに対して、そのあと一人でこの絵を見に来たマリアンヌは、自分を描いたこの絵をみて激しい拒否的な反応を示し、アトリエを飛び出していきます。おそらくそこには、マリアンヌが見たくない自分の姿があったのでしょう。
老画家はこの絵の完成度に満足しているので、おそらくこの絵は画家の願いのとおり、完璧にマリアンヌの内面を裸にしてしまい、その姿をあらわに示す、まさに血の通う、生きた絵になっていたのでしょう。
しかし、それはきっとマリアンヌの内面の貧しさなり醜さなり、否定性をあらわにしていたに違いありません。私たちはその絵を見ることができなかったのですが、絵を見たマリアンヌの反応がそれを示していました。
老画家はこの絵を永遠に壁の中に封じ込めてしまいます。もう誰もこの絵を見ることはできないのです。
そして老画家はマリアンヌの背中だけの別の絵を仕上げ、それを画商や二コラたちには「美しき諍い女」の絵として披露します。画商はそれに良い値をつけて売る、と言い、若き画家二コラは、失望して老画家に「同情します」と言って、マリアンヌと共に去っていきます。画家は寛容とゆとりとの表情で彼の言葉を受け、見送ります。
老画家の妻リズは老画家に寄り添い、いい絵だったわ、というような肯定的な評価をし、老画家はもう自分のなしとげたことに満足して穏やかな表情で妻に接します。
こうして最後までみて、先の謎、老画家がなぜリズをモデルとして「美しき諍い女」を完成させずに途中で放棄したのかを、観客は正確に知ることになります。
老画家は心の底からずっとこの妻リズを愛していたのだな、ということが画面から確認できるので、おそらく描いていくうちに自分の神業のような天賦の画才が目の前の愛する女性の肉体ばかりか、その内面の衣服をもはぎとり、その精神の裸体を、美しさも醜さも、ありのままに、あまりにもありのままにさらけ出してしまうことに気づいて、怖くなったのではないでしょうか。老画家はマリアンヌに、その「怖さ」ということについては語っていたと思います。
リズを愛するからこそ、その内面をも自分の天分が裸にしてさらけださせることに、この画家は耐えられなかったのでしょう。女性としての愛情をもたないマリアンヌだからこそ、彼は最後まで描けたのでしょう。そのことでマリアンヌは傷つくのですが・・・・まぁ彼には二コラという帰っていく場所があったからいいのですが・・・
こんな種類の映画というのは初めて見ました。そして感動しました。少しも古さを感じさせず、いまも芸術を愛する人なら誰もが見て心を動かされる映画だと思います。
Blog 2019-2-11