瀧口悠生『死んでいない者』
たくらみのある小説だけれど、そういうカタイはなしは評論家にまかせて、抜群に面白いところだけ抜き出します(笑)。「10」の番号の振られた章、単行本だと93ページから101ページまでね。ここは何度読んでも面白い。これだけで芥川賞あげます(私が審査委員なら・・・(笑))
旅はさ。
うん。
春がいいんだよ。
春がね。春もいいけど、夏もいいしさ。
うん。
秋だって、いいもんだよ。
うん。
うん。
やっぱりさ、あの浜は、砂だったよ。
砂と石と、両方あったんじゃないか。
そうか。俺には波に転がる石の音が、聞こえるんだけどなあ。
え? なんだって?
波が寄せて引くだろ。石が転がるんだよ。がらがらがらっと。
ああ、波がね。お前さ、もっとおっきい声でしゃべってくれよ。
砂の上に、石があったのかも・・・。
え?聞こえないよ。もっとおっきい声で言えって。
いいですねえ。
登場人物のひとり「はっちゃん」が葬儀会場のホールの椅子に腰掛けていて、いつか若いころに故人と二人で出かけた旅のことを思い出し、その思い出の中での海べで話している光景なんですね。目の前に広がる海がみえ、波の音が聞こえてくるようです。仲の良い二人だけど、意地を張り合ってすぐ些細なことで口論する、というようなころです。
上の引用のすぐ前のところでは、湖西線の行きに乗ったか帰りに乗ったかのやりとりでそんなことがあり、故人が「帰りだよ、米原から行くと、琵琶湖の東側通るはずだ。琵琶湖の西だから、湖西線っていうわけだから・・・・。」というと、「昔っからお前はさあ、とはっちゃんはうんざりしたような口調になった。地理とか路線とかそういうことに細っけえよな。そう言って、はっちゃんは懐かしさに襲われた。自分がそういう口ぶりで文句を言うのを、もうしばらくのこと忘れていた。」
こういう光景を思い出してくれるような親しい友人が一人でも来てくれたら、自分の葬式もいいなぁ、なんて(笑)
blog 2016-2-9