近松物語(溝口健二監督) 1954
近松門左衛門の浄瑠璃「大経師昔暦」と井原西鶴の「好色五人女」の巻三「中段に見る暦屋物語」を下敷きにした作品です。暦の製作・販売を独占している大経師以春の妻おさんと、手代の茂兵衛がもろもろの行き違いで駆け落ちするまでに追い詰められ、結局捕縛されて不義密通の罪で磔になる、という大筋は両原作も映画も同じですが、物語の中身はかなり違っています。
私は西鶴は以前に読んだことがありましたが、近松のほうは未読で、文楽でも観たことがなかったので、今回はじめて読んでみましたが、事件のきっかけが、おさんの実家岐阜家が借金の返済に行き詰まり、大店の「おいえさま」になっている娘のおさんに無心にくるが、旦那の以春がケチで頭からそんな金を出すはずもなく、嫁入りのときから金の無心ばかりでひけめもあるおさんは、頼むことさえできず、忠実で何かと気遣いのできる奉公人である手代の茂兵衛に頼む、ということである点は、近松の原作と映画で同じです。
原作では岐阜屋の主であるおさんの父が借金に行き詰って、このままでは家を手放さざるを得なくなり、岐阜屋としての面目が立たなくなる、というのに対して、映画では二代目の跡取り息子、つまりおさんの兄弟が遊び人で散財したために借金で行き詰って家を手放さざるをえなくなった、というふうに岐阜屋という家が前面にせり出しているのに対して、映画はもう少しこの放蕩息子という個人の問題にしてしまっている点に違いはありますが、そこはそう重要な違いではありません。
それくらいの僅かな金なら、いつも扱いを任されている主人の印判を借りて、必要な金額だけの為替を振り出せばいいと茂兵衛は気軽に引き受け、白紙に主人の印判を押していたら、その現場を別の手代助右衛門に見られ、映画ではその男に口止め料をせびられて拒み、正直に主人に申し出たところ、主の以春は激しく怒り、役所へ突き出す勢い。それでも茂兵衛はおさんに頼まれたことは言わず、理由を言わないものだから以春がますます怒り、おさんもおろおろする。
そこへ私が頼んだのです、と自ら罪をかぶる形で申し出たのが下女で常日頃茂兵衛にぞっこん惚れたお玉でしたが、以春はかねてお玉にちょっかいを出して寝所へ毎夜忍び入ってはお玉に拒まれていたので、お玉が茂兵衛と言い交わした仲という方便を使っていたため、余計に火に油を注いだも同然で、では奉公人どおし密通していたか、と以春はますます怒って、茂兵衛を2階屋根裏に追いやって小僧に見張りをさせます。
お玉に救われたおさんは、夜になってお玉の部屋を訪れて礼を言い、自分から以春によく言って許してもらうから、となぐさめますが、このときお玉が主の以春がかねてより自分に懸想していて、今夜もきっと忍んでここへ来るだろう、彼は私に拒まれていたために嫉妬して茂兵衛につらく当たったので、決して許してはくれないだろう、と事情を打ち明けます。これを聴いたおさんは、お玉と寝所を入れ替わって、忍んでくる以春を自分が待ち構え、とっちめてやろうと思いつき実行に移します。
一方、2階屋根裏にとらわれて梯子をはずされていた茂兵衛は、屋根裏づたいに抜け出しておさんの寝所へ忍んでいき、ひとこと礼が言いたかった、と部屋に入って声をかけますが、そこに寝ていたのはお玉と入れ替わったおさんです。
ここから映画と原作は違っていて、原作では、おさんが茂兵衛の「手をとって引寄せて、肌と肌とは合ひながら、心隔たる屏風のうち、縁の初めは身の上の仇の初めとなりにける」とおさんは相手が以春だと思い、茂兵衛は相手がお玉だと思って契ってしまいます。
やがて鶏の声がして旦那がお帰り、という声ではっとして寝所で起き上がった二人のところへ、いつまで寝てるんだと手代の助右衛門が提灯下げて踏み込んだら、行燈の光に浮かび上がったのが「顔を見合す夜着のうち。ヤアおさん様か、茂兵衛か、はあ。はあはあ」・・・とここで二人はその気のないまま過ちを犯してそれを手代に目撃されてしまう、という話になっています。
映画では、茂兵衛がお玉の寝所へ忍んできて声をかけた時点で、おさんが気付いて行燈の火をつけ、両人は相手が誰かを知った上で、茂兵衛はなおおさんの実家岐阜屋のために、このうちを抜け出して大坂へ金策に行くと言い、それなら私も一緒に行くというおさんをなだめて押し問答するうちに、夜中に起き出して茂兵衛が逃げたことを知った助右衛門がお玉の所へ来て、おさんと茂兵衛が一緒にいるところを見て不義密通と即断し、主に告げて騒ぎが大きくなる、という話になっています。
映画では二人はまだ潔白ですが、周囲が不義密通ときめつけ、主の以春は家柄の面目をつぶしたくないため、内々にことをおさめたいのと、ホンネはおさんを手放したくもないが、茂兵衛だけは許せない、役所へ突き出すといきまく、それでへやむなし、とおさんも一人家を飛び出し、茂兵衛と再会してそのまま一緒に大坂へ行くことになります。
西鶴の好色五人女のほうは、話のはじまりが「洛中に隠れなき騒ぎ仲間の男四天王」と言われる好き者の4人が水茶屋で夕暮れ時に花見から帰る女たちを眺めては品定めをして楽しんでいる、という好色女というより好色男たちの様子から始まって本筋には関係のない、男たちの目に留まる女たちの風貌風采を事細かに語っていくという展開。
その男たちが一番高い評価をした藤の花房をかざしてなよなよと通っていく「今小町と評判の女」がこの物語の主人公おさんでした。ことのきっかけは近松や映画とはずいぶん違っていて、下女のおりん(近松のお玉)が茂右衛門(近松の茂兵衛)に首ったけなのは同じですが、彼女は字が書けないので、おさんが江戸への手紙を書くついでに、りんの恋文を書いてやります。
ところがりんに気のない茂右衛門は、おりんがいやなわけではないが、契りを結べば赤ん坊ができたり、いろいろと面倒だ、その面倒をすべてそっちで費用を払って面倒見てくれるなら、おまえの望みをかなえてやってもいいぞ、という「をもしろをかしき返りごと」をして、まともに取り合わない。西鶴の茂右衛門はきまじめで易しい忠実な奉公人というより、けっこうモテモテでおりんのような女をからかう余裕のあるシティーボーイの印象ですね。
その返事をりんから見せられて読んだおさんは心憎く思い、りんが彼を受け入れたようにみせかけ、気を惹いておいて、一杯くわせて恥をかかせてやりましょう、とまた思いが募ったような恋文を代筆してやり、茂右衛門にりんのところへ忍んでくるよう、逢う瀬の約束をします。他の女中たちもそれを知って、みなで物笑いの種にしようとその夜を楽しみに、おさんがりんに代わってりんの寝所で寝ていて、茂右衛門が忍んで来たらおさんの合図でみんなして大騒ぎして笑ってやろうと申し合わせていたのです。
ところがりんの寝所でおさんはすっかり寝入ってしまい、「夢覚めて、驚かれしかば、枕はづれてしどけなく、帯はほどけて手元になく、鼻紙のわけもなき事に」・・・って、そんなことほんとにありますかねぇ(笑)。知らない間に、なんて・・・でもそのあとの様子の描写だけはいまみたように妙にリアルで笑ってしまいます。
こうなってしまったからには「よもやこの事、人に知れざる事あらじ。この上は身を捨て、命かぎりに名を立て、茂右衛門と死出の旅路の道づれ」と、いったん覚悟を決めると女性は強いですね。瓢箪から駒じゃないけど、とんだ滑稽な間違いから、パッと死の覚悟を決めて、間違いで交わっただけの男を道連れに死のうってんですから・・・。彼女はその心底を男に聴かせ、茂右衛門のほうも「思ひの外なる思はく違い、乗りかかったる馬はあれど、君を思へば夜毎に通ひ」と、その気になって、それからはおさんに打ち込むことに。それにしても可哀想なのは「乗りかかったる馬はあれど」なんて馬にたとえられたおりんさん。
私は近松、西鶴の代表的な作品で比べれば、だいたいは圧倒的に近松のほうが好きですが、このもともと同じ物語である二つを比べると、西鶴に軍配をあげたいと感じます。事の起こりは近松のほうに説得力があって、大経師以春の面子やおさんの実家岐阜屋の事情や、それにお玉の伯父赤松梅龍の登場やらで「家」の面子や義理といったものがしっかり背景に描かれて、そういったものと個人の想い、情との矛盾をつきつめていく近松らしさは感じるけれど、この作品に関してはそれが複雑すぎてわずらわしい。
曽根崎心中のようにひたすら死へ向かって急ぐ男女の心中立ての姿に、そうした矛盾をすべて集約して怒涛のような一本の流れをつくるのと違って、あれこれ人間関係の網目が複雑すぎて、お玉も主役の一人としてお玉に即した物語の部分の比重も重くて、茂兵衛とおさんの、もともと行き違いから生じた、必ずしも必然性のない男女の道行に物語のエネルギーが集約されずに拡散した印象を覚えます。
これに対して西鶴の方は、最初はお気楽な色好みの男たちの花見の夕べの水茶屋での女の品定めからはじまるし、おさんと茂右衛門がなさぬ仲になるのも、茂右衛門の色男ぶりがしゃくに触ったおさんのいたずら心から、という軽い偶然的なできごとから、急転直下、不義密通になってしまう、という話ながら、この転換の激しい落差こそがこの物語りの要だと思うし、そこは西鶴の物語のほうが端的に語られ、余計な枝葉もなく、まっすぐに磔刑への道に通じていて、お洒落でもあり劇的でもあるような気がします。
溝口の映画では、このおさんと茂兵衛の関係を、とことんひっぱって、もう逃げようもなくなって琵琶湖に身を投げて死のうと覚悟して堅田で小舟を出し、茂兵衛が覚悟はいいですかとなお二人は綺麗な身のまま、主人の「おうちさま」として敬語で語り掛ける、そこまで引っ張っていきます。
このへんは脚本を担当した依田義賢の「溝口健二の人と芸術」の”『近松物語』あれこれ”を読むと、溝口の強い意向が働いているようで、書き直しても書き直しても溝口が脚本に不満で、いろいろ注文をつけて書き直されて苦労の末にできあがったようですが、基本は近松を下敷きにしながら、後半は西鶴をたどって構成した、というふうな証言があります。
また、最後の最後に社長に脚本を聞かせるために依田や溝口が東京へ出て本社で本読みをし、社長は満足のようだったけれど、溝口はまだむっとしていて、「総体に芝居が出来てないんですね」(笑)。
そして社長が例えばどういうことや、と訊くと、溝口は答えて重要なことを言っています。「宿で、二人ができるのは困ります。それから琵琶湖で死のうというのではだめですよ。二人は死のうと思ってゆくんです。舟にのって死のうとしたときに、二人の気持ちが出るんだと思います。すると急に死ぬのが惜しくなるんです。芝居というものはそういうものだと思います。総体にそういうところがないんです」
これを聴いて依田は「なるほど、これはやられたと思いました」と書いていますが、私もこの証言を読んだとき、やっぱり溝口はすごいな、と思いました。この時点での脚本では、宿で二人ができちゃうとか、琵琶湖で心中しちゃうように書かれていたのでしょうね。でも、たしかにそれでは「芝居にならない」。
この堅田で死のうと舟を出すところは、この映画の中で一番美しい場面です。靄の立ち込める湖面を葦の影から二人を載せた小舟が滑り出していく。舟はゆっくりと湖面を進み、茂兵衛が、おさん様、御覚悟はよろしゅうございますか、と言い、裾が乱れて見苦しくならぬように、坐ったおさんの脚を縛っていきます。
おさんが「おまえを死なせることになってしもうた」と謝るのに対して、茂兵衛は「よろっこんでお供するのでございます。」と言い、ここではじめて本心を打ち明けます。
「この世に心が残らぬよう、ひとことお聞きください。いまわの際なら罰も当りますまい。茂兵衛はとおから貴女様をお慕い申しておりました」と。
茂兵衛の言葉を聞いたおさんは、えっ!・・わたしを・・と驚きます。茂兵衛は淡々と死ぬるべく「しっかりつかまっておいでなさりませ」とおさんを立たせて、入水を促しますが、おさんは茫然と突っ立って動きません。「おさんさま、どうなさいました?・・・お怒りになられましたか・・・」
おさんはへたへたと座り込み、「おまえのいまの一言で死ぬことができんようになった。」
「いまさら何をおっしゃっるのです」
「死ぬのはいやや、生きていたい」と、茂兵衛の胸にむしゃぶりつくように飛び込んでいきます。
ここまで引っ張ってこなければ、これだけの劇的な転換の落差は生まれなかったでしょう。最も美しい場面であると同時に最も劇的な場面でもあると思います。
冒頭からこの場面まで、おさんはあくまでも偶然の成り行きでいわば無実なのに言い逃れ用のない不義密通の罪人になってしまい、捕縛されて恥をかくよりは死を選ぶという、自分一身の意地と尊厳を守る意識で、最後まで忠実な奉公人である茂兵衛を道連れに死のうとしています。決して内心茂兵衛に気があった、なんてことではない。彼女の態度は終始一貫忠実な奉公人に対するいたわり、思いやり、好意ではあっても、あくまでも主人として奉公人に対する姿勢であり、言葉づかいも姿勢もそこから踏み外したものではありません。
なさぬ仲となってしまった近松のおさん・茂兵衛でさえ、「おさん、茂兵衛は夢にだに、恋せぬ仲の恋となり(おさんと茂兵衛は夢でさえも恋せぬ仲が真の恋となり)」というありさまですから、ましてこの映画ではそうした男女の関係もないままの逃避行となってしまったのですから、ここまでは終始一貫、主人と奉公人の関係でしかないわけです。また、だからこそ、茂兵衛の隠された思いがここで初めて明かされ、それが思いもよらなかったおさんに衝撃を与えて、二人の関係が一変するわけで、この転換にこの作品の要があることは明らかです。溝口はそのことを他の誰よりもはっきりと認識していたのでしょう。
堅田で死ねず、死んだとみせかけて山中に遁れ、峠の茶屋で脚を負傷したおさんを休ませる間に、茂兵衛は自分だけ罪を負って、彼女だけでも生き延びさせようと、そっと抜け出しますが、それに気づいておさんは脚を引きずりながら必死で後を追います。物陰に隠れた茂兵衛ですが、茂兵衛の名を呼びながら必死で後を追い、目の前で倒れるおさんに思わず駆け寄らずにはいられず夢中でおさんの脚の傷を舐めるのです。
おさんは自分を置き去りにした茂兵衛を涙ながらに繰り返し叩いて抗議し、茂兵衛を失って私が一人で生きられると思うてか、と彼にしがみつくと、あとはもう二人ひしと抱き合って地面にころがるばかり。このシーンでの香川京子はそれまでの深窓の令嬢的な清純派女優のイメージをかなぐりすてて、一途に恋する女を熱演しています。
香川京子は私がごく間近で同席したことのある唯一の高名な女優さんで、何の会議だったかごく少数の会議の席に来ていただいたとき、たしか私は会議の裏方で記録係かなにかをしていて、1メートルくらいの距離でお顔を拝見し、声を聴きました。もう若くはなかったけれど、やっぱり綺麗な品のいい、そして賢そうな女優さんだな、という印象でした。
blog 2018-11-9
近松物語(溝口健二監督)再見
きょうは京都文化博物館で溝口健二監督の「近松物語」4Kデジタル修復版というのを見てきました。ビデオで見ても感動しましたが、大きな画面で、修復された綺麗な映像や音響で見ると、いっそう素晴らしい作品に思えました。
まだ溝口の作品で見ていないものもいっぱいあると思うけれど、或いはこの作品が一番いいんじゃないか、と思えるほどでした。
とくにはじめのほうで、茂兵衛が仕事場で仕事を終えて、やれやれ、と立ち上がったときに、姿は見えないけれども衝立か何かの向こうから聴こえてくる、「茂兵衛・・」というおさんの抑えた声、そしてもう一度「茂兵衛・・」と繰り返される声には、ぞくっとする・・・なんとも言いようのない感じがこちらの胸のうちで立ちあがってくるというか、ざわめくというか、そんな気がしました。
どうしたって何かの予感を覚えるような声です。この声に導かれるようにして、何かが起こる、って感じですね。だからといって、彼女の声がこのとき女性としての彼女の茂兵衛への特別な感情を含んでいるわけではないし、ひそめた声はそういう男女間ゆえのはばかりの気持ちをあらわすのではなく、実家から兄と母親が金の無心に来たことを察して心配して声をかけてくれた茂兵衛に、自分ではどう処理する算段もなく、信頼する彼に実家の恥を打ち明けて相談する、という他人の目をはばかることだからで、あくまでも忠実で信用のできる奉公人に対する主人のお内儀の立場で接しているわけです。それでもこの声が、観客のわたしたちには、その後の二人の運命の予兆を感じさせるかのように響いてくるのは不思議と言えば不思議です。
これは、あくまでも意味の違うひそめ声なのに、あえてそういうひそめ声を置くことで、観客の耳に予兆を感じさせる、一種の映画技法としての詐術というべきかもしれません。
今日の上映は、実は「溝口健二生誕120年記念国際シンポジウム~『近松物語』における伝統と革新」というイベントの一環として上映されていて、私は映画のあとでトークか何かあるらしい、というのだけ知っていて、映画の前に基調講演があったり、映画のあと対談やパネルがあるというのは知らずに行ったのですが、入口でこのイベントに出演する専門家のレジュメのような資料があって、その中に溝口の映画の音に触れたものがあったので、今回は映画を観ながら音にも注意を払って見ることができました。
映画の冒頭でひきまわしされる不義密通者が店の前を通っていくのを茂兵衛たちが見るシーンがあって、そのあとその男女が磔になった映像が出ます。そのときの効果音を前見たときも聞いているはずなのに印象に残っていなかったのですが、今回はその特異な効果音の激しさに、なぜこんな音が印象に残らなかったのか不思議に思ったほどでした。
どうも耳が悪くて映画を観ても音、音楽にはとんと反応が悪いようで、映画の音の面が私の映画を観る、ということの中からスポッと抜けてしまっているんだな、と思わずにいられませんでした。あれは資料によると、ミュージック・コンクレートというものらしく、「ギャーンという鎖の音と、南米の楽器で動物の歯を針金でつないだのがあって、それをカーンと打った音を混ぜ合わせた」ものらしい。弓矢の矢がビュッと飛ぶうなりのような音も入っていたと思います。ものすごく特異な効果音でした。
その音の話は映画の終ったすぐあとに、『映画音響論 溝口健二映画を聴く』という著書のある専門家の長門洋平氏と白井史人氏のトークがあって、大変興味深い内容でした。「近松物語」の音が歌舞伎の下座音楽をベースにしながら、西洋音楽を加えて使っていることや、その際、邦楽は物語世界内部あるいは境界線上に位置するような音で、洋楽はそれに対して物語世界の外部に属する、いわゆるBGM的な使い方だ、というようなお話には、なるほどなぁ、と思い、またこの作品では自然音まですべて効果音で創っている、というお話などは初めて知って、大いに驚きました。
さらにそのあとのパネルの最初に立って話された京大の建築の藤原学氏による、「『近松物語』大経師の家の建築表現」というお話が一層面白かった。この話のもとになった現実の事件の現場である大経師の邸の図面や、映画のセットの図面を比較しながらのお話で、映画のここでおさんが声をかけるのはこの部屋で、とかお玉が寝ている部屋はここの階段を上がったところで、とか、映画のほうのこういう空間は現実にはあり得ないとか、始めて聴くような新鮮な話で、興味津々でした。
こういう知識はもちろん専門家がある作品の意図や効果を分析したりするうえで非常に重要なものだろうと思いますし、私たち素人が聴いても、大変興味深いものでした。ただ、映画そのものを見て心を動かされたり動かされなかったりする、という一番肝心な点に関しては、この種の知識を持っているか否かはあまり関りはないのではないかと思います。
それは専門家にとっては死活的に重要な情報でしょうが、素人の単なる映画の観客にとっては、あってもなくてもいい蘊蓄にすぎません。その蘊蓄を予備知識として持てば、たとえば、不義密通で磔刑になった男女の姿をとらえたときの効果音が耳に入れば、その音がどんなものを使ってつくられたかを聴き分けることもでき、音をパスせずに注意して聞くことはできるでしょう。
しかし、たとえそんな蘊蓄がなくても、また音への注意力を欠いて記憶から失せていたとしても、その音は確実に聞こえてはいて、その音にもしも作り手の期待どおりの効果があるとすれば、それは聴いた私に映像と相俟って、ある効果を及ぼしているはずのものですから、創られた音についての知識(情報)が格別必要なわけではありません。だから、それは本質的な映画の評価、したがって批評とも本来は関りのないもので、そこが出来上がった作品の成り立ちをいわば解剖学的に探究する学術的な研究と批評との違いなのだろうと思います。
溝口の映画に限らず、ほんとうに人の心を撃つ芸術作品というのは、そういうものだろうと私は考えています。でもいわゆる知的好奇心としては、そうして心を撃つような効果は、どんな手法で創り出されているのか、その情報が日々努力されている専門家の手で更新され、新たな蘊蓄としてもたらされることは大変喜ばしいことだと思います。
Blog 2018-12-23