ベルリン・アレクサンダー広場(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督)1980
なにしろ第1話から第14話まで合わせて898分、15時間近いテレビ用のドラマとして制作された西ドイツ(+イタリア)映画ですから、そもそも私のようにたまに新聞の映画評で好評な、誰もが見るようなメジャーな映画を見てきたような普通の観客が見るような映画ではない、という気がしますが、今回はたまたま出町座で同じ監督による2本の映画『13回の新月のある年に』と『第三世代』を見て、全然感動はしなかったけれど(笑)難解と言われているらしいこの監督のそんな作品はなんとなく感覚的にわかる部分があるような気がして、なぜかと考えてみたら、この監督は私と同じ年の生まれなので、ちょっと興味がもてそうだったのです。
もちろん生まれた年が同じだからって、ファスビンダーなんて人と何のかかわりあいもないし、そんなことで作品が分かるなんてことはあり得ないし、世界の表側と裏側ほど離れたところで無関係に生きてきた人間なのですが、何の予備知識もなく作品に接してみて、不思議なことに、20代くらいの多感な時期に、同じ時代の空気を吸ったことがあるやつだな、という風な「におい」みたいななものを感じました。
結構早死にした人にしては40本以上も作品を残した多作な映画監督ですし、とてもこの人を理解しようなんて無茶な野望は最初からないけれど、せめて彼のことを語る人が必ず彼の代表作のように触れるこの作品くらいは覗いてみよう、と思った次第です。
テレビ映画が代表作なんて、ちょっと面白いと思ったこともあるし、DVDについていた「老人は読むべからず」と言わんばかりに小さな文字で印刷された解説ミニ冊子の渋谷哲也さんの文章によれば、監督自身は大真面目にテレビのゴールデンタイムに放映してあらゆる世代に見てもらえるテレビ映画として作ったらしいので、ひょっとしたらいい意味での大衆性も娯楽性もあるのかな、と思って(もちろんその意味では全然期待外れでしたが・・笑)、とにもかくにも898分間を毎日のようにDVDかけて最初から最後まで見てみました。
いや、わざわざそういうことを言わないといけないのは、ちょっとこの作品を覗いてみたことがある人なら、ほんまにおまえみたいなド素人がこんな映画最後まで見たんかい?と疑うかもしれないから(笑)。
まぁ正直のところ、忍耐が必要でなかったとは申しませんが(笑)、これが不思議と毎日見ているうちに、主人公のフランツ・ビーバーコップという妻を殺して4年服役して出てきた、お人よしで無知無学で頭が悪く、意志薄弱なくせに頑固で、ひどくキレやすく、とくに女性に対してはアンチフェミニストというのか殆どサディストと言っていい暴力男で、大酒呑みで、独りよがりで幼児的な夢想家でもある労働者あがりのブスでデブの油ぎったさえない中年の大男が、こちらの頭の中に住みついて、どうなっていくかが気になりだすのですね。この先何が起きるかわからないという、よく言えば見る者を引っ張っていく、そのつど断絶と飛躍のある、悪く言えば出鱈目なところ(笑)につられて、ついに最後まで飽きずに見てしまいました。
第1話 処罰がはじまる
13話の物語と最後に第14話として長い(112分)エピローグがありますが、第2話から第13話まではテレビの1時間番組として放映されたのでしょう、それぞれ58-59分という同じ長さ。この第1話だけが82分です。
主人公のフランツという男が妻イーダ(正式に結婚してたかどうかは知らないので同棲している愛人というべきかもしれませんが)を殺してテーゲル刑務所で4年服役し、刑期を終えて出てくるところから始まります。
ちなみに、彼がイーダを殺すシーンは、その後うんざりするほど繰り返し映像として再生されます。それはもうフランツが何かしようとするときには必ず頭に甦ってくる無限に繰り返される悪夢になっていて、遁れることのできない彼の宿命と化しています。おまけに彼はイーダにしたと同じような、同棲女性への突発的な暴力(要するに突然キレて女性を殴ったり首をしめたりという激しい暴力を振う)を振います。要するに同じパターンを繰り返しているわけです。そのへんに、こういう彼のあり方というのが彼個人の意志を超えた宿命が彼を引きずり込んでいくように感じさせるところがあります。
鉄扉を開けられて外、つまりベルリンの街に出る彼は、外の世界の騒音がいたたまれないかのように、両手で耳を塞ぎ、ワァーッと今にも叫びだしそうな表情です。看守らしき男が「こんな世の中だから、誰もお前のことなんか気にも留めんよ。大丈夫だ。振り返らずに行け」と彼を送り出します。こんな世の中、というのは確かこれが1928年だったと思うので、第一大戦後の敗戦国ドイツの首都ベルリンの話ですから、戦勝国イギリスの大蔵省代表としてパリ平和会議に出たケインズでさえそこで取り決められたドイツ賠償問題に関する不当さ、理不尽さに憤然として会議の席を蹴って帰ったほどの巨額の賠償を負わされたドイツの物質的にも精神的にも最低の荒廃した状況の中でのことで、もうそこまでナチスドイツの軍靴の響きが聞こえるような時期でしょう。
娑婆へ出たフランツは髭のユダヤ人みたいな男に拾われ、自殺して荷車でゴミ箱に捨てられた男の話に怒ってみたりする場面がありますが、次の場面では娼婦を買って前金3マルクを払って事に及ぼうとするのですが、フランツも娼婦もそれぞれベッドで勝手なことをつぶやき続けていて噛み合わず、結局フランツはまた街へ飛び出し、自分が殺した同棲相手だったイーダの妹のところを訪ねます。
どうもこの妻(あるいは愛人)の妹とは、以前にも関係したことがあったらしく、いまは夫と平和に暮らしている彼女にほぼ強姦みたいな形で強引に関係を結びます。会ったとたんに女の指にキスしはじめ、カール(夫)が帰ってくるわ、という女の言葉も聴かず、イーダもこんな目に遭わせたの?という女にますます煽られてカーペットに押し倒し、上半身裸になって、女がいやがって叫ぶのをひっぱたくという暴力性丸出しの大奮闘です。個別のこの出来事はまた、同時にその後繰り返される彼の女性に対する、イーダに対してしたことの繰り返しパターンの最初の事件ということにもなり、全体の中で個別の出来事が二重性を帯びて全体のテーマへ流れ込んでいく象徴性をも帯びることになる最初のケースでもあるでしょう。
しかしフランツは後日、能天気にプレゼントを手に鼻歌を口ずさみながら再び彼女のところを訪ねるのです。もちろん彼女は「もう来ないで言ったはずよ」と拒むのですが、フランツは、「元に戻れたことが嬉しいんだ」と言い、「昨夜も君の夢を見ていた」などと語るのです。
女のほうも、拒みながらもともと彼に好意をもって、おそらくは姉の彼氏であるフランツと交わったことがある女性でしょうから、彼が出て行こうとするとそれを体で遮ったりと未練を見せるので、そう簡単に割り切れる関係ではなさそうです。
それにしても、こんなブスでデブで甲斐性もなく、何のとりえもなさそうな中年男がどうしてこう女性にモテルんでしょうね?(笑)それは彼をやっかみ、彼がのちに片腕を失ったときも、こんなやつはさっさとくたばってしまえばいいんだ、と呟く「友人」(と少なくともフランツのほうはずっと信じたままの)ラインホルトでなくても、われわれ観客も不思議に思いますが・・・
まぁ女性には男の本性を見抜く別の力が備わっているのかもしれません。フランツの幼児性ともいえるような無垢な人のよさ、みたいなところに、その魅力の源泉があるのかもしれませんね。
もとのシーンに戻ると、フランツが彼女(イーダの妹)の家を出たところで古い友人のメックに呼び止められます。イーダとのことやその妹とできていることまで、おそらくは事情をすべて呑み込んでいるらしい友人のメックには「まだ懲りてないのか」と言われますが、フランツは「したことは後悔してない」と応え、酒でも呑もう、と酒場へ。
いきつけの酒場は、この物語りの主要な舞台のひとつで、メックのような友達も彼がじきにかかわりをもつことになる悪党たちも、また彼が昔関わっていた共産主義者らしいかつての仲間たちも、その酒場に出入りしています。
ついでに紹介しておくと、この店の店主(バーテンダー)マックスは、フランツに何か積極的な作用を及ぼすわけではないけれども、フランツの生き方を友人の一人としていつも見ていて、ニュートラルな立場とごくまっとうに生きている人間としての目でアドバイスしたり、なにかと援けたりしています。
この酒場でフランツはリナというポーランド女性と知り合います。彼女は不思議な女性で、フランツに一杯おごられたのがきっかけで彼のいる席へ来ると、彼が4年間刑務所にいたことを言い当ててしまいます。
フランツは「夢を見ているのに何の夢か分からない。・・・すべきことがやっとわかったよ。俺は誓いたかったんだ。真面目に生きる。ほかの人と同じように、まっとうに生きると、俺はそう誓いたかった。真面目に生きる。さあ誓ったぞ!」と唐突にフランツはいま目覚めたように、この酒場で誓いを立てるのです。以後、彼はこの自分の誓いを守り、誓いに忠実であろうとするのですが、結果的には誓いを破るかのような行為に巻き込まれていくことになります。
ここで何気なく彼の口をついて出る「夢を見ているのに何の夢か分からない」という言葉は、ここでは意味不明です。しかしこれはこの物語を終わりまでたどっていくと、非常に意味深な台詞にみえてきます。
フランツは冒頭に書いたように、ほんとうにしょうのないみすぼらしい主人公で、彼の引き起こす、あるいは巻き込まれる出来事の連鎖もまことに下らない、或る意味で世の片隅でいつもそんなことが起こり、ごみ溜めに掃き捨てられて忘れられていくようなことに過ぎないし、ときどき啓示のように美しい光の射す光景にハッとすることはあっても、それは言って見れば廃屋の朽ちた扉を開いて中へ足を踏み入れると暗闇に射す一条の光が舞い上がる埃をまるでこの世のものとは思われないほど美しくダイアモンド・ダストのようにきらめかせるのに息を呑むのと似たようなことにすぎないでしょう。
物語は波乱万丈の面白さというわけにはいかない陳腐なものにすぎず、暗い時代の運命に翻弄される社会の片隅というよりそこからいつでも排除されうる境目をうろついているような男の姿を描いているだけです。
或る意味で主人公のフランツは自分が何をしているのかさえわかっていない愚か者で、それは普通に言えば愚かであるとか、人を見る目がないとか、お人よしであるとか、優柔不断で流されやすいとか、キレやすく暴力的であるとか、女性蔑視の感覚や考え方の持ち主だとか、個人にすべての責任を負わせる考え方で言えば、フランツという人間はそういう劣等人間にほかならないでしょう。たしかに一面そういうふうにも見えるし、そんなふうにも描かれているところがあるけれども、ところがそれだけではないところが少々やっかいでもあります。
彼はいま並べ立てた人間性としての罪状(笑)とは矛盾するような、本当に無垢な幼児性というのかあっけらかんとした楽天性、人を猜疑心を持って見ることのできない根っからのお人よし、愛するとなると何もかも、つまりそれまで愛してきたほかの女はどうなるんだとか自分の気持ちはともかく相手はどう思っているんだとか、そんなことは何も考えられなくなって、全身全霊愛しちゃうみたいな(笑)・・・そういう単純さ、ひとりよがりな夢想家と言ってもいいけれども、それはいわば体を張った単純さであり夢想なので、けっこう迫力があるわけです。
そういう幼児的な無垢の魂をもっていることは、ときに彼がイーダと同様に殺しかねないような行動に及ぶ女性たちに対する態度をみても、また自分を殺しかけた、さらには自分のすべてであった最愛の女性を殺したラインホルトという男に対する態度をみても明らかです。
こういう矛盾したところのある彼の性格や行動を、彼自身がなぜそうなのか、ということはわかっていないし、自分がしていることの意味もわかっていない。けっこう激しい行動をしてしまう彼ですが、すべては「夢を見ている」ようで、しかもそれが「何の夢かわからない」。
夢の意味は啓示されないのです。いわば物語全体がその夢の意味を尋ねてまわるプロセスのようで、フランツは自分の見ている夢が「何の夢か」を解き明かすために生きていると言ってもいいでしょう。
そんなわけで、彼の引き起こし、あるいは巻き込まれる出来事の一つ一つが、すべて現実のあるがままの卑小な行為であり、言葉であり、できごとであると同時に、なにかしらまだ解き明かされない、「何の夢か」わからないものの表象として、二重性を帯びることになります。
なにかしでかすたびに、フランツが自分でも多分その意味がわからずにつぶやく、われわれ観客にもその意味が理解しがたい、抽象的な言葉がつぶやかれるのは、その「何の夢か」わからない夢のほうから見て初めて理解できる言葉であり、フランツの遭遇するできごとが、すべてそのような現実と夢の二重性を帯びたできごとであることを明示する証のひとつにほかならないでしょう。
ときには、それがふつうのリアリズムを浸食して、見ていると「おいおい、いまそんなことつぶやいている時じゃないやろ!さっさと逃げるか殴って抵抗するか、行動せんかい!」と言いたくなるような場面で、フランツがなにやらいま自分が遭遇している状況を言葉にしたり、抽象的な文言をつぶやいたりしている場面に出くわすことになります。
同様のことは、各番組の区切りごとに何やらエピローグ風の抽象的な文言が文字で示されたり、ナレーションが入ったりすることにも表れています。これらは、ただこの物語を現実のあるがままの物語として見ている分には、意味不明の余計なご託宣のように思えます。それらはただ「夢」の世界から見るときにだけ意味をもつ言葉だという気がします。
この「夢」が解き明かされる・・・かどうかは別として、「夢」の側から全面展開されるのが、最終章の第14話エピローグで、これは「ヴェルナー・ファスビンダー:フランツ・ビーバーコップの夢についての私の夢」(112分)という、監督自身の名を付し、監督自身の夢という体裁をとった、それまでの13話を「夢」の側からとらえた映像になっています。
形としてはフランツが精神病院に入れられて、患者として見る夢、ということになっていて、その夢についての監督の夢だ、ということになっています。この夢の部分は、たぶん無数につくられてきた映画の中でも前代未聞の一章だという気がしますし、それまでの物語をたどれるような13話とは映像の話法そのものが異なっています。
いってみれば、『ユリシーズ』に対する『フィネガンズ・ウェイク』みたいなもので、『フィネガンズ・ウェイク』を普通の物語を紹介するように語ることが不可能なのように、この作品の第14話をかいつまんで話すことは不可能でしょう。
『ユリシーズ』の背後にはホメロスの『オデュッセイア』があることはよく知られていますが、こちらは輪郭のはっきりした物語で、むしろその隠れた下絵が透けて見えることで現代に生きる「ただの人」であるブルーム氏のどうでもいいようないきあたりばったりにも見える凡庸な行動や彼の遭遇する出来事の意味、或いは彼の生きる猥雑な世界の意味が明らかになるといった体のものです。
しかし、この作品の第14話でフランツが見る夢、あるいはその夢についてのファスビンダーさんの夢は、『オデュッセイア』のような確固たる輪郭を持たず、そうでなくてもいきあたりばったりな、どうでもいいようなフランツの現実の世界での行動や遭遇する出来事や彼の生きる猥雑な世界をさらにバラバラの断片にばらしてそのかけらを拾うようなまさに夢の世界で、ちょうど『ユリシーズ』のラストでブルーム氏が見る夢のようにとりとめない意識の流れのようなもので、あれを野放図に拡大した世界が『フィネガンズウェイク』でしょうから、さきほど『フィネガンズウェイク』みたいなものなんだろう、なんてあてずっぽうを言ってみたわけです。
ただし、こちらは文字ではなくて映像ですから、意識の流れが言葉の流れとなるわけではなく、映像の流れ(笑)になって溢れ出てくるわけで、その鮮烈さはまさに夢の中でまざまざと現実よりリアルな現実(へんな言い方ですが)として私たちが見るような世界を見せてくれます。まぁ、まだだいぶ先の話ですが(笑)
夢といえばフロイトの精神分析であれこれ解釈してみることは可能かもしれませんが、そんなことをするまでもなく、ファスビンダーの「夢」はきわめて明示的です。映像だから当たり前と言えば当たり前なのかもしれませんが。何かの出来事やそこで吐かれる言葉あるいは行為の背後にこんな意味が隠れている、こんな無意識の抑圧とそれに対する抵抗があるといった陰伏的な意味するものと意味されるものの表象の戯れが実現されているのではなく、ただ現実のできごとを夢の側から見れば、まざまざとこうした情景が見られる、というふうに顕示的な映像の世界として見ることができるように思いました。でもまぁ、それは先の話です(笑)。出所したばかりのフランツに戻りましょう。
フランツは行く当てもなく、以前イーダと住んでいたアパートに再び戻ってくるのですが、そこの家主さんバースト夫人は彼を温かく迎えます。彼女はフランツが怒りにかられて、叫ぶイーダを発作的に卵泡だて器か何かで胸をぶん殴って倒し、血を吐いて瀕死の彼女に馬乗りになってなおも彼女を殴って殺す恐ろしい場面にも出くわし、目撃した人なのですが、それにも関わらず彼女はフランツを恐れもしなければ忌み嫌いもせず、この物語の最後の最後まで変わらず彼を非常に温かい眼で見守っていくのです。
年輩の彼女には、フランツが残虐な殺人者でも何でもなく、実際にはお人よしの無垢な幼な子のような人間だと思っているようなところがあるのでしょう。彼を次々に襲う激烈な不運に巻き込まれ、翻弄されて苦しみ、傷つく彼に心から同情して泣くことのできるようなおばさんです。
変わらないと言えば、彼女と同じように終始一貫変わらずフランツの味方として彼に寄り添い、傷ついた彼を温かく抱きとめ、励まし、見守るのは、かつての恋人で、いまは夫と愛人をもつエヴァという女性です。もともとは彼女も娼婦だったような女性ですが、人間的には彼女はなかなか魅力的なひとで、この物語に花を添えています。
ところで、フランツは酒場で知り合ったリナをアパートにつれてきて、家主のバーンストさんに紹介します。
リナ「彼が好きなの」。
バーンスト「ほかには?」。
リナ「ないわ」。
バーンスト「何を言っても無駄なようね」。
・・・バーンストさん、笑ってリナを抱く。・・・・こういうシーンは素敵です。
そうした矢先、フランツに手紙が届きます。ベルリン警察が、彼を危険人物とみなし、居住権法第3条なんとかでベルリン中心部から14日以内の退去を命じる、と。驚くフランツですが、一方で彼は刑期を終えて出所したばかりの保護観察中の身で、月一度更生保護観察局に確認に出頭することが求められていたので、これを逆手にとって掛け合い、無事ベルリンに居られることになります。
ここまでが第1話(笑)・・・この調子でやっていると全部終えるのに1週間くらいかかりそうだからほどほどにはしますが・・・
第2話 死にたくなければどう生きるか
第2話はフランツ君の就活の話です。
殺人で服役した中年男を受け入れるようなまともな職など敗戦後の荒廃した貧しいベルリン社会にあろうはずもなく、フランツは大声で駅前でネクタイピンか何かを売るセールスをやっています。そこへかつての恋人エヴァが見かけて車を駈けおりてきて、買っていってくれるというハプニングがあります。いいシーンです。なんというかあの時代のベルリンの街角の光景も、エヴァのファッションなんかも。いまの恋人リナが脇でたまたまそれを見て、フランツにあれは誰?と訊きます。
不器用な彼が大声で小さなネクタイピンか何か男のアクセサリーのセールスの口上を叫んでいる姿は滑稽に見えます。フランツ自身もそれを感じているに違いなく、「演説は無理だ」と言い、新聞を売らせてくれ、と元締めみたいなところへ行きますが、女の裸を描いた本を売れば儲かる、と言われ、拒んで失職します。ベルリンの失業者は自分が一人加わって673,583人になった、と。
酒場で話しかけた男はフランツが「純粋のドイツ人」と知って、ナチの新聞を売らぬかと持ち掛け、フランツが深い考えもなく受けると、鉤十字の描かれた腕章を腕に巻かれます。彼はそれを巻いてナチの新聞売りになります。
フランツが例によって大声でPRしながら、ナチの新聞を街路で売っていると、通りかかった古い同志だったらしいドレスケが知らん顔していくので、声くらいかけろよ、と言うと、ドレスケは「その姿で人前をうろつくな。何を吹き込まれた?洗脳されたな?」と非難めいた言葉を返します。
このシーンで、フランツもかつては労働組合での活動なのか、共産主義者たちの思想的な集まりでなのか、ドレスケらと同志として活動していたことがわかります。その程度には無知蒙昧な男というわけではなく、浅い深いは別として共産主義的な思想に希望を見た時期もあったんだな、とわかります。
いまのフランツは鉤十字の腕章をつけたとたんにナチのような演説をぶって新聞を売っているわけで、もともと思想的に確固とした信条をもっているような男ではないことは明らかです。
ドレスケは共産主義者らしく、皆が団結しなくては駄目だ、と言い、ロシアにはレーニンが居る、と希望であるかのように言います。かつては思想的に近い立場で活動していたらしいフランツは、それで何も変えられなかったじゃないか、と否定的です。そして自分にナチスの新聞を売らせている連中については、「この腕章の連中のことは知らないが、とにかく今までとは違うんだ」と、さしたる思想的根拠もなく、ただこの世の中に秩序は必要だ、くらいの感覚で、生計を立てるための手段としてナチの新聞販売の仕事を引き受けていることを明らかにしています。
酒場でフランツが一人で食事をしていると、さっきのドレスケとその仲間たちが入ってきて、別のテーブルでインタナショナルの歌を歌い始めます。それをフランツも唄えよ、と言われますが、フランツは刑務所仲間が書いた詩「人間よ、この世で男に生まれるなら、母から生まれる前に考えるがよい・・」というような歌を口ずさみます。そして自分がしていることを、「自分で働くだけ幸せだ」と肯定し、国家主義的な行進の歌みたいなのを歌います。
「太鼓の音に足並みそろえ、皆で並んで行進だ。‥やつが倒れる・・・まるで俺の一部みたいに・・・・ドイツのライン川、われらは守る愛する祖国を…ライン川の守りのある限り・・・」
それを聴いていた男の一人がフランツンのそばにきて、何を食った?と訊き、フランツがチーズサンドだと言うと、くさいぜ、とイチャモンをつけ、フランツはテーブルをひっくり返します。男たちは、彼をファシストと罵りますが、フランツは「おれは安らぎがほしいんだ!」とおよそ思想的な主張とは無縁の想いを言葉にして叫びます。男たちは唖然として戦意を失って座りなおし、フランツはフラフラと出て行きます。そこには心配顔のリナが待っています。
第3話 脳天の一撃は心をも傷つける
「悪いことが起こるからナチの新聞はやめて」と言うリナの願いを素直に聞いたフランツは、彼女の提案で、彼女の父親の友人で彼女が「おじさん」と呼ぶ男が人付き合いが広いからきっと何か仕事をみつけてくれる、というので、12年ぶりだというその男のところへ二人で出かけます。しかしその男も失業して2年だと言い、リナは「失業って病気みたい・・・伝染するのかしら・・・」と。
その「おじさん」オットー・リューダースは、いまは靴ひもを売って歩いている、と言い、自分もやらせてくれ、というフランツに快く分担を委ね、地区を半分に割って、フランツは早速自分の担当する最初のアパートの個別訪問販売をはじめます。
最初にベルを鳴らした家で女性が出て来たので、フランツが「ご主人に靴紐を」と言うと「主人は亡くなりました」。
「失礼しました」、と謝る彼に、謝る必要はない、と言う女は、フランツが去ろうとすると、「いまコーヒーを沸かしたのでどうぞ」、と中へ導きます。部屋に入ると、主人の写真が飾られていて、それがフランツと瓜二つなので驚くフランツに、女は「つい先日亡くなったばかりで、この肌が主人を今も求めているんです」と。
おいおい、それはないだろう!(笑)と思わず茶々を入れたくなるシーンですが、まぁ敗戦後の混乱期ですからそういうこともあったんやろなぁ、とパスすることにしましょう。(きっとフェスビンダーさんのせいではなくて、原作のデーブリーンさんのせいなのでしょうから・・笑)。
フランツはこの未亡人から20マルクももらって意気揚々とオットーと待ち合わせた酒場へ赴き、20マルクを差し出して、驚くオットーに洗いざらいことの次第を話してしまいます。
優しい「おじさん」に見えたオットー・リュ―ダースという男は実際にはとんでもないくわせもので、フランツの話を聞くやこぶとり爺さんじゃないけれど、俺も!というわけで早速件の未亡人宅へ押しかけ、フランツかと思って嬉々としてドアを開けた未亡人に、フランツが再訪の口実にわざと残してきた商品カバンを取りに来たんだと言って無理やり中へ入れさせたと思えば、今度は未亡人をゆすりにかかって、未亡人を毒牙にかけて欲望を満たしたばかりか、さらに金までよこせ、と大金を巻き上げてとんずらします。ひでえ悪党ぶりです。
フランツの様子を変だと感じているリナ、そして家主のバースト夫人をあとに、フランツは上機嫌で出て行き、未亡人の部屋のベルを押します。期待に反して男の子が出て来て、ママは病院だ、と。のちほど再び赤いバラを買って未亡人のもとを訪れますが、顔を見せた彼女はドアを固く締めて拒絶します。何も事情のわからないフランツは途方にくれ、そのまま行方をくらましてしまいます。
リナはリナで出て行ったフランツの様子が変だったのを感じて神経質になっていて、家主のバーストさんと心配しています。朝、フランツが挑むのを、「今朝はよして」、と拒み、「ときどきあなたがこわくなる」と言ったリナは、そのあとフランツがどこへとも言わずに飛び出していったこともあって、「彼は私が悪いみたいな感じで出て行ったわ。私が悪いの?」と苛立っています。バーストさんは「彼が問題を起こしたのよ」と慰めています。
「でも彼は悪いことはしないと誓ったし、それを守ってきたわ。・・・幸せだったのに、出ていくなんて・・・」とリナは飛び出していきます。フランツはアパートに帰ってくるなり荷物をまとめて出て行ったらしいのです。
リナはメックに相談します。靴ひもを入れたカバンはリュ―ダースが持ってきていたが、リュ―ダースはフランツを見るなりあわてて出て行った、二人の間に何かあったな、とメック。
フランツは未亡人からの手紙で、彼女が拒んだ事情をすべて知ったのでした。リュ―ダースはメックに脅されてフランツの所へ行き、リナとメックに頼まれたと言うと、フランツは椅子を振り上げて暴力を振いかけますが思いとどまり、リュ―ダースに水をかけて「お前は汚れている。汚れを落とせ。これでお前とは赤の他人だ」と絶交します。
リナとメックはリュ―ダースからフランツのいるところを聞いてそこへ行きますが、既に彼は去ったあとでした。彼は探さないでくれと言っていた、とそこの宿の男が言います。「学びたくないことを学んだ」と言っていた、と。ここでメックは、リナに「一緒に暮らそう。前から好きだった」と告げます。
ここで第3話が終わります。そこまででも、登場人物たちが「こんな時代だから」「こんな世の中だから」という言葉をよく吐くのを耳にします。そうやってみんな個人の責任を時代に転化し、かつては持っていた個人としての責任感や倫理観を麻痺させていく自然な姿のようにみえます。
ちょうど今の日本で、首相が嘘を押し通し、それを守ろうとして高級官吏が嘘を押し通し、記憶にありません、係争中ゆえコメントをさしひかえます、と遁走し、彼らの総責任者たる財務大臣が責任をとらずに他人事のような発言を繰り返しているのを毎度見ているうちに、企業の幹部も刑事事件の犯罪者たちまでもが右へ倣え。なんでわれわれだけが責任をとらんといかんの?なんで俺だけが?上から下までどの世界の人間だってみんなやってるじゃん・・・「こんな時代」なんだからさ・・・・という、そんなモラールが底なしに低く落ちていく時代と、どこか似ているような気がしなくもありません。
食うためには仕方ないだろう。生きるためには仕方ないだろう。責任感だの矜持だのと言ってられないよ。口でいうだけならご立派なことも言えるさ。何をやっても、食えるだけましさ。金さえあればね。「こんな時代」だもの、「こんな世の中」だもの・・・
そんな中で刑務所帰りの男は、もう悪いことはしない、と誓います。誰に強いられたわけでもないのに、そう自分に誓います。そして、ナチに洗脳されたとみなに非難されたナチの新聞売りをやめ、靴紐の訪問販売をするのですが、その矢先に自分と瓜ふたつだったらしい夫を失ったばかりの未亡人に出くわします。未亡人もまた、「こんな時代だから」自分の肌の欲望をさらけ出し、フランツに抱かれるのでしょう。しかし、もっとウワテがいて、フランツに靴紐売りを斡旋したリュ―ダースはフランツの話を聞くや未亡人のところへ飛んで行って、欲望を満たし、脅して金をゆすりとるのです。
フランツは酒場で出会ったリナとの愛に一筋の希望を見出していたのでしょうが、自ら彼女を裏切り、同時にリナの「おじさん」に自分は裏切られて、「こんな世の中」に背を向け、「誰にも会いたくない」と逃亡して身を隠してしまいます。彼は愛する人を裏切った自分と、信頼していた自分を裏切ったリュ―ダースという他人との両方に対して愛想をつかし、傷ついているのでしょう。
第4話 静寂の奥底にいる一握りの人間たち
無数の空になったビール瓶をベッドの脇にためこんでなお飲んでいるフランツの自堕落な生活。昔の恋人でいまは夫も愛人もいるエヴァが探し当てて訪ねてきて、私が援けるわ、と言うのですが、フランツは「いらん、自分でなんとかする」と言います。「俺は女を働かせたくないんだ」と言い、「俺のためには体を売らせない、そう誓ったんだ」と言います。
このアパートでフランツは、夜中に壁を壊して盗みを働く連中を目撃します。どうやら同じアパートに住むグライナーという男が夫婦で盗賊の仲間になっているらしいのですが、警察が調べに来てもフランツは彼らを密告するようなことはしません。そのへんは妙に律儀で頑固なフランツです。
やがてフランツはメックとも再会します。メックと一緒だったリナは消えてしまったそうです。いまは衣料雑貨を売っている、とメック。実際にはいかがわしい盗人商売のようです。
しばらくの隠遁生活で鋭気を養ったらしくフランツは再びもとのバースト夫人のアパートに戻ってきます。
第5話 神様の力を持った刈り手
どうやらこの「刈り手」とは死神のようです。
やっぱりメックはブムスというボスの支配するヤバイ組織に入っているようで、フランツもブムスに時々は一緒に仕事をしないか、と誘われます。そのときはフランツのほうがメックに、ブムスのことを、あの男は信用できないぞ、と忠告しています。
ここでラインホルトというブムス一味の一人で、女をものにしてはすぐに飽きて我慢ができなくなるが、捨て方が分からなくて苦労する、という変な男が登場し、フランツに、いま自分が飽きがきている女フィレンツェを引き取らないか、と持ち掛けます。
女性にこだわりがなく、ときにロマンチックな夢想さえするフランツは気安くラインホルトの申し出を受け、ラインホルトが捨てたフィレンツェと言う女を引き受けます。ラインホルトはチリィという新しい女を連れて歩いています。しかし、チリィにも飽きがきたラインホルトは、今度はチリィを回すから、早くフィレンツェを追い出せ、とフランツをせかします。
フランツは、フィレンツェを気に入っていて、いい女だからもう少しつきあってから別れる、と言っていましたが、ラインホルトに激しくせかされて、突如、フィレンツェの淹れたコーヒーに「下水だ!」と難癖をつけ、無理やり追い出します。しかし、驚いている家主のバースト夫人には「フィレンツェはいい子だった。本当はとても好きだったんだ」と言い、バーストさんと一緒に彼女の淹れたコーヒーを飲むのです。
そこへ女の人が届け物があると・・・とラインホルトに頼まれたとチリィがやってきます。こうして何か届け物を届けさせる口実でフランツに女を送り届け、そこでフランツがその女を自分のものにして同棲して引き受ける、というパターンの繰り返しです。
しかしこのラインホルトは救世軍の礼拝に顔を出したりして悩んでいる変な男です。「おれはすぐ女がほしくなるが、1カ月しないうちに飽きる」と言い、飽きると一瞬も一緒にいることに耐えられなくなるというのです。
第6話 愛、それはいつも高くつく
ラインホルトは、チリィを追い出してフランツのところへ首尾よくたらい回しにしたのもつかの間、もう次のトル―デという女にも飽きて、一緒に居るのが耐えられない。すでに次の女ネリーが出来た、ネリーこそは理想の女だ、などといって、フランツに今度はチリィを追い出してトルーデを引き受けろと言うのです。しかしフランツは、チリィに、もう次の女は引き受けない、と言ったのです。
「やめにしようぜ」とフランツ。そう言いつつ、メックにラインホルトのことを話すフランツは、「ラインホルトは友達だ。助けてやりたい」と言います。
この「助ける」という言葉もしばしばこの物語に登場します。誰かが誰かを「助けてあげたい」「助けてやりたい」と。エヴァはフランツにそう言いました。彼は断ったけれど。やがて現れる天使ミーツェも彼にそう言うでしょう。しかしエヴァはそのミーツェをフランツが助けられなかった、と非難することになるでしょう。ここでフランツはラインホルトを「友達だから」助けたい、というのです。後の成り行きを考えるとブラックユーモアのように恐ろしい言葉に聴こえますが・・・
1928年の或る日曜日、と日付が明らかにされるとある日、アレクサンダー広場で彼の知り合い(ブムス一味の手下)のブルーノという金髪にメガネの若いチンピラが誰かに激しく殴られ蹴られしているのをフランツは目撃します。警察官がかけつけ、ブルームが引っ張られていく前に、駆け寄ったフランツにブルームが、ブムスにきょうは行けなくなったと伝えてくれとひそかに伝言を頼みます。
ブムスにその伝言を伝えに行ったフランツは、「ブルーノが来られないなら、君が代理だ」と急遽品物を取りに行くように言われます。フランツは帰りたい、と言いますが、時給5マルク出すというのに半ば惹かれるところもあり、仕事優先だ、とついていくことになります。ラインホルトも同じ仲間です。
現地へ着くと、下で見張りをしろ、と言われ、何か運ぶとしか聞かされておらず、ヤバそうだと感じたフランツは逃げ出そうと考えますが、目の前を荷物が次々運ばれていきます。ラインホルトが逃げだしたフランツを追えと言われて追って行き、あらためて見張れ、とフランツに指示し、何かあれば口笛で知らせろ、と命じます。ハメラレたんだ、あいつらは中で盗みを働いているんだ、とフランツは気づきますが、もう逃げることもできない状況です。一味にはメックもいて車に乗っています。
無事に盗品を積み込んだトラックを2台走らせると、後ろからついてくるもう一台の乗用車があります。逃げる車の中で、ラインホルトは汗たらたら、フランツはなぜか笑っています。
この盗みと逃亡からどれくらい時間がたったのか、場面かわって、酒場でフランツを待つチリィに、メックが「フランツは事故で死んだ」と言います。ラインホルトも、フランツは事故で車から落ちて死んだとチリィに言います。
実際にはラインホルトが後続の車があるのを知って、フランツをトラックの荷台から突き落としたのですが、フランツは後続の車に轢かれたものの息があり、ベルリンのエルゼナール通りへ運んでくれ、と運転者に頼んで連れていかれます。それをまだ知らないメックもラインホルトも、フランツは死んだものと思い込んでいるわけです。
場面かわって、ラインホルトは帰宅して、トルーデにひどい侮辱的なふるまいに及んで、彼女を追い出します。
車で運ばれるフランツのわけのわからないつぶやき。ここで第6話は終わります。
第7話 覚えておけー誓いは切断可能
フランツは一命をとりとめますが、右腕を失います。悪党仲間たちは彼が警察にたれこむのを恐れ、ブルーノなどはフランツを消してしまったほうがいい、と主張します。ラインホルトは、フランツは決して裏切るようなことはない、と断言します。別段フランツの味方をするというようでもなく、あんなやつはさっさと死んじまえばいいんだ、と呟くのですが、密告したり裏切ったりということはフランツには縁がないことだ、というのはラインホルトはよく承知しているわけです。そこはラインホルトとフランツの深いところでの絆をあらわしているとも言えます。
エヴァと彼女のいまの愛人ヘルバートとフランツが一緒に居ます。エヴァはフランツに、「あなたをこんなにしたやつらを私は絶対に許さない」と言って憤っています。フランツは「腕は元へ戻らない」とむしろ淡々としています。
ブムスは、「ヘルバートがたきつけて、“悪党がいやがるフランツを無理に巻き込んで車から突き落とした"と我々に抗議してきている。面倒なことにならないよう、治療代を出すことを提案する」と言って悪党仲間の手下たちから治療代を募ります。ラインホルトだけは、そんなの馬鹿げた行為だ、俺は一文も出さぬ、と拒みます。
エヴァがフランツといるところへ、ブルーノがやってきます。エヴァはブルーノがフランツを殺しにきたと直観しているようで、フランツにブルーノを早く追い出せと言います。
「なぜ来たんだ?」とフランツ。ブルーノは、「見舞金を持ってきた」と言います。フランツは、「見舞いだと?俺は何もしていないのに?俺は見張りなんかしていない。俺は共犯じゃない。巻き込まれただけだ。」と主張します。
ブルーノはコートのポケットに手を入れ、拳銃でも取り出そうとする仕草をします。エヴァが叫び、フランツが突進しようとして、倒れてしまいます。ブルーノは何もせずに部屋を退散していきます。
この緊迫しているはずの場面が、ちっとも緊迫感がないのは可笑しい。ただちに逃げるか突進して抵抗するかどっちかという緊迫した場面のはずですが、フランツは、「俺は殺される。俺は堅気になろうとしていた。きっとどうかしてた。大事なのは金を稼ぐことだ」などと独り言をこの期に及んで呟いているのです。
まぁリアリズムではないのでしょうから、「思想」をつぶやくほうが優先なのでしょう(笑)。こういう場面はほかにもいくつも出てきます。おいおい、いまそんなことを言っている場合かよ、とリアリズムなら半畳入れなきゃいけない場面ですが、悠長になにやら「思想」的なつぶやきをつぶやいてござる(笑)・・・そういうところがいかにも観念的なドイツ人らしいところなんでしょうかね。ヘーゲルを生んだ国ですから(笑)
それにしてもフランツが自分を突き落としたラインホルトを憎まないのは不思議です。まして一味のブルーノは自分を殺しに来たらしいのですから・・・。そうでなくても自分は悪いことはしないと誓っていたのに、騙されて見張り役にさせられたあげく片腕を失う羽目になったのですから、組織を恨むのがむしろ普通でしょう。警察に届けるのは彼の性格としていやかもしれないけれど、内心で自分を陥れた組織のボス、ブムスや、見張り役をさせたあげくトラックから突き落としたラインホルトを恨むのは当然です。
でも全然そういう兆候は見えません。もう最初から、「腕はもとには戻らない」と言って、すべてをこの現実を出発点に組み立ててしまいます。見ていると、なんぼなんでも、お人よしにも限度があるでしょ!と言いたくなるところです。しかし、その底抜けの「お人よし」に、たぶん彼が自分の見ている夢が「何の夢なのか」わからない、というあたりの秘密が隠れているのでしょう。
第8話 太陽は肌を暖めるが時に火傷を負わす
どうもこの事件を契機に、しかしフランツは真面目に働くのがバカバカしくなったようで、かつての誓いを破棄して「大事なのは金を稼ぐことだ」と考えるようになったようです。
酒場で金時計をみせびらかしていた、泥棒らしいヴィリーという若造の所を訪ねて、やばい仕事を承知で仕事の斡旋を依頼します。ヴィリーが「毛皮を仕入れた」と言うと、フランツは「やばすぎる。小物がいい。」と応じます。
エヴァとヘルバートが訪ねて来て、「ずいぶん羽振りがいいんだな」と言われます。20マルクの背広を着ているフランツ。「ずっと心配していたのよ」とエヴァ。三人で乾杯。
エヴァは彼女の夫が銀行からおろした5千マルクと時計をホテルの部屋で盗まれた、と言って、人生何に見まわれるか分からん、と大笑い。
ここでエヴァが、いまは一人で暮らすフランツに、女の子を世話したい、と言います。「毎夜駅に立っていた子」で、「このままじゃ堕落する、と言ったら、楽しみたいだけ、と応えた」という女の子。実はもう下で待っていて、合図したら上がってくる、と言うので、エヴァは合図すると、自分はヘルバートをいざなって出て行きます。
やがて上って来た可愛らしい女性。
「こんにちは」
「こんにちは」
「ドアをしめる?」
「そうだなー閉めてくれ」
そうして彼女はフランツの女になります。名前もエヴァがつけたというソーニャから、フランツがつけたミーツェに変えます。
二人は林の中の湖へいき、フランツは片腕でボートを漕ぎます。
「片腕でも漕げるのね?」
「君のためだと思えば何倍も嬉しい」とフランツ。
この湖のシーンは美しい。ただ、ミーツェを得て片腕でなにごとにつけ奮闘しようとするフランツの姿に、ある種のいたましさ、これから何が起きるかについての不安を感じさせなくはありません。
「信じられないくらい優しい」娘ミーツェ。鳥籠にカナリヤを一羽入れて部屋へはいってくるミーツェ。フランツは眠っていて、ミーツェはそっと部屋を出ます。起きるフランツ。ピーピー啼くカナリヤ。
ヴィリーがやってきて、昨夜フランツが約束をすっぽかしたとむくれ顔。フランツはミーツェに夢中になっていて約束を忘れてしまっていたようです。(仕事を)続ける気があるのか?と。もちろんある、とフランツ。
ミーツェに彼女のことを好きな男からラブレターが来たのをフランツは勝手に開封して読み、ミーツェにはほかに男がいる・・・と悩んで、エヴァにそれを見せに行きます。エヴァは「ミーツェに会ってくる」と出かけ、フランツがミーツェ宛ての手紙を勝手にあけてみて、別の男がいることで悩んでいると告げると、ミーツェはエヴァに、「わたしはフランツを愛しているのに辛いわ」と言い、エヴァに「フランツに話して」と頼みます。自分は好き放題していて、嫉妬深いフランツにエヴァは、ありのままのミーツェを受け容れるよう説得します。
第9話 多数派と少数派の間の永遠の隔たり
ミーツェのことでエヴァはフランツをなだめて、彼女のところへ帰るように促します。フランツはエヴァの助言にしたがい、通りにいるミーツェを物陰で見守り、やがて花を買って近づきます。彼のまだ無事なほうの腕をとるミーツェ。フランツは、今日こそけりをつけてくる、と出かけていきます。彼のつける「けり」というのが何なのかよくわかりません。初めはやっぱり自分を突き落として殺そうとしたラインホルトを殺りにいくのかいな、とチラッと思いましたが、どうもそういう感じではなさそうです。
途中、娼婦の館の並ぶ歓楽街を通り、客引きのおやじの前に耳にした巧みな口上をきかせろ、とフランツが言います。これも何度か繰り返されるセリフですが、「娼婦バビロンよ・・・」と。さて誰を指しているのでしょうか。フランツが愛人として同棲する、あるいはしてきた女性というのは、みんなもともと娼婦なんですね。フランツさん、そういうことにはこだわらない男です(笑)。彼が思うところの「愛」があればいい。
でもいまの私たちから見れば彼の「愛」ってずいぶん独りよがりな、女性蔑視も甚だしいマッチョ男の勝手な「愛」で、女性はほとんど肉体的な欲望を満たすだけの対象でしかなく、そのくせ精神的には自分に対する無償・無限・無垢の愛を求め、天使のように優しく抱き寄せ、傷ついた自分を守り励ましてくれるような「女性」性を求めていて、ときにその天使を相手の女性に投影していわば偶像化し、恋を恋する者のように空想的な恋の高みにひとり舞い上がってしまう性癖の持ち主なのですね。
だから、そんなものはどこかでつまずき、どうしようもなく貧しくみじめな裸の現実にさしもどされるので、そういう瞬間に彼は突然キレて相手を殺しかねないほどの暴力性を噴火させたり、逆にまるで手ひどい裏切りに遭ったように傷つき、落ち込むわけです。実際にはこんなフランツとどの女性との間にも、いわゆる対幻想としての愛が成立したことはないのではないか(笑)。
いつも本当は、出所直後に拾った娼婦とベッドでそれぞれ全く関係のない勝手な言葉をつぶやいていたように、女性を抱いていても、愛していると言い合っていても、フランツはフランツの世界にとどまっていただけではないでしょうか。
それはさておき、娼婦街を経てフランツはラインホルトを訪ねます。ラインホルトのほうは、玄関の扉のこちら側で拳銃を構えて「何が望みだ?」と訊きます。そりゃそうですよね。自分が後に車が来ていることがわかっていて、このやろう死んじまえ、という気持ちで車から突き落とした男が、片腕を失って生き延びて、はじめて訪ねてきたわけだから、殺しにきたと思うのが当然です。こっちのほうがまともですよね。
ところがフランツは「望みは無い。何もほしくない」と言って、ラインホルトがドアを開けると、おだやかに入ってきます。そしてあろうことか、ラインホルトが「腕の傷口を見せてくれ」というと、フランツは切断された腕の傷跡を見せ、ラインホルトはいけシャーシャーと「醜いな」(笑)なんて言うのですから呆れてものが言えません。
おまけに、ラインホルトは、フランツがダラッと垂れるままにしている腕のないほうの背広の片腕に詰め物をすりゃいいじゃないか、と手近な布みたいなものだったか何だったかをフランツのだらんと垂れた袖口から詰めていったりするのです。もちろんうまくいきませんが。
そのあげく、ラインホルトは「片輪のやつはこの世から消えるべきだ」などと暴言をつぶやきます。ラインホルトというのは、小心な男のくせにというか、小心な男であるからこそ、というのか、猜疑心や嫉妬心など、人間のもつあらゆる負の感情を持った悪党で、彼のことをなぜか親友だと思っているフランツに対して、ずっと心よからず思っていて、底意地の悪い見方、接し方をしています。
フランツが片腕を失って、自分は悪いことに加担するつもりはなかった、巻き込まれた、と言っているのを聞いてボスのブムスら悪党一味の多くが、彼は警察へたれこむんじゃないか、と言った時も、フランツの性格をよく知っているために、彼は絶対に密告して仲間を裏切ることだけはしない、と断言しますが、他方で、あんなやつはさっさとくたばってしまえばいい、とつぶやきます。何といえばいいのか、フランツが自分は悪事に加担するつもりがなく、ラインホルトやメックなど彼の友人を含む悪党仲間と距離を置こうとすること自体に腹を立てているわけです。
そして、そんな彼を首尾よく悪事に加担させたと思ったら、フランツがその現場から逃げ出そうとし、なんとか引き留めたものの、自分は悪事に加担するつもりはなかった、巻き込まれた、などとほざき、自分が車から突き落としてやって、片腕までなくしたのに、そこで死にもせず、精神的に潰れてしまうこともなく、いわば立ち直ろうとしていること自体が、弱い小人であるラインホルトには腹立たしくてならないのでしょう。
当初の出会いから、ラインホルトが自分の女性に対する性癖をフランツに打ち明け、それを解決するために自分の女をフランツに回して処理させる(捨てさせる)というシステムをつくったときも、ラインホルトとしては非常にうまくやった、と思っていたはずです。これで自分は次々新しい女を引き込めるし、お古の女はフランツに回してやれば彼が処分してくれる、と。女性を蔑視したひどい男性であることは二人に共通していますが、自分はひとのお古はごめんだと言いつつ、自分のお古はフランツにまわすという、完全にフランツを馬鹿にした都合のいいやり方なわけです。それもフランツはラインホルトなら感じるはずの屈辱感もおぼえず、むしろラインホルトの助けになるなら、と喜んで受け容れています。
ただ、実際に回されてきた女性と親しくなって、彼女がいい女性だからと捨てるのを思いとどまる情の深さがフランツのいいところでもあります。そして、ラインホルトにそう言うものだから、ラインホルトの方は不都合だし、さっさと捨てろ、と迫る。そして結局はラインホルトの言うとおり、フランツはいい関係だったフィレンツェという女性に、美味しいコーヒーを淹れさせながら、それが下水のようだとイチャモンをつけて追い出してしまうのです。
そういうことはラインホルトにとって好都合だから、しめしめ、と思っているでしょうが、そういうフランツの或る意味の寛容さというか、馬鹿にされていても、そのこと自体を感じない鈍感さともいえるような無頓着さ、自分を車から突き落として片腕を失わせた調本人であるラインホルトに対しても、なんら恨むでも憎むでも愚痴るでもなく、腕はもう戻ってこないんだから、と「そのことはもういい」と言う、この底なしの鈍感さというのか寛容というのか無頓着さというのか、お人よしの、しかしそれゆえにこうした不運の連続にもめげてしまわない強靭な精神というのか、そういうものが本当は弱い小人のラインホルトには羨ましくもあり、腹立たしくてたまらないのだろうと思います。
それはフランツが時折しめすような、激情にかられてキレて振う暴力的な発散などとはまるで異質な、陰湿な妬み、どんなに拭っても爆発しても相手を痛めつけても自分自身がそれで気が晴れたり癒されたりすることのない陰険な憎悪といったものでしょう。つまりそれは自分の弱さ、卑小さへの憎悪、自己否定の衝動とひとつであって、フランツにどんな意地の悪いことをしても癒されないラインホルトの宿業とでもいうべきものではないでしょうか。
だから、フランツが無邪気に愛人のことを語れば、語るほど、メックのように或いはエヴァのように、友人として喜んであげるのではなくて、見せびらかしやがってと感じて、たちまちそれは根深い嫉妬の青い炎に転化し、深い憎悪と化して、ついにはフランツを天使のように愛したフランツ最愛の女性ミーツェを奪い取り、殺害するところまで行くほかはないのです。
でもそれはもう少し回が進んだ先の話です。
この第9話では、ミーツェとフランツの、とてもいい場面があります。ミーツェが部屋で床に座って、フランツの靴を磨いています。ときどき唾をかけて湿らせながら、布でせっせと革靴を磨いています。かたわらで片腕のフランツが楽し気に見守っています。
フランツはいまではすっかりミーツェのヒモとして暮らしています。ミーツェがパトロンからせしめてくる生活費で暮らしているわけでしょう。それはミーツェが、片腕一本でなんとかミーツェを養いたいと過剰に頑張ることをいやがり、彼には働いてほしくない、生活は自分がちゃんと支えるから、というのがミーツェの考え方です。娼婦としての自分にはもともと何のこだわりもない、単にそれは稼ぐための手段、他の仕事と同様の「仕事」にすぎないのです。ミーツェは本当に天使のように優しい子で、エヴァが連れて来た当初からフランツにぞっこんで、もう好きで好きでたまらず、彼のためならどんなことでもするわ、という女性です。(なんでこのブスでデブの中年男がそんなにモテルんや?)
フランツはヴィリーとヤバイ仕事に手を出していることは彼女に打ち明けていないようです。それは上に書いたように、彼女が彼が無理して頑張ることを嫌がり、彼が自分のために悪に手を染めるのをいやがるからでしょう。彼女はうすうす感じてはいて、真実を知りたがっていますが、彼は一切そのことは言いません。そのことがのちに彼のことをもっと知りたい、というミーツェの希望を悪用して彼女を掌中に納めるラインホルトの悪巧みに寄与することになってしまうのですが・・・
でも不安な予感はすぐあとにも用意されています。二人で出かけるとき、出口で泥棒で協業中のヴィリーと出会い、フランツはミーツェを紹介します。
酒場でいつものようにビールとキュンメル酒を注文するフランツ。酒場の店主マックスはもうフランツがヴィリーと何をしているかも知っているようです。「フランツ、いったいどうしたんだ。堅気になるんじゃなかったのか?イーダがミーツェになっただけだ・・・このままだと刑務所に逆戻りか、腹を刺されるだけだ・・・」と。
この第9話では、共産主義者の政治集会に顔を出したり、彼らの思想に対してフランツが、世界の秩序が一握りの金持ちのためにあるという点では共感するものの、彼らの語る連帯が変化をもたらすとは信じることができず、秩序からの脱落者、社会的不適応者としての立ち位置からその種の政治思想に違和感を覚えていることが示されています。また社会主義者を攻撃するような演説を聞きながら夢想し、講演者と議論するフランツの姿があります。
第10話 孤独は壁にも狂気の裂け目を入れる
エヴァはミーツェを自邸へ連れていき、そこで子供を廻って奇妙な約束が交わされます。それはエヴァが旦那との間に子どもがほしいとは思わないし、愛人のヘルバートは子供が出来ない体なんだと、だから子供を産むならフランツの子がいい、と話のなりゆきで言ったことから始まり、ミーツェは怒るどころか喜んでエヴァに抱きつき、そんなエヴァが大好きだと言います。あんた、どうかしてるよ、と戸惑うエヴァに、ミーツェは「エヴァと私とフランツの子をつくって」と切望します。
エヴァはミーツェにフランツのことで忠告します。「フランツが本当に好きならヴィリーには気をつけて。フランツはヴィリーに唆されている。今度は腕一本では済まないわ。」と。そして「フランツが陰で何をしているかが問題。彼は共産主義者や無政府主義者の仲間とつるんでる。このまだとフランツはまた破滅するわ。・・・ブムスにも用心なさい。腕をなくしたのは彼のせいよ。」・・・
酒場でまた酒浸りのフランツ。酒場には「まともな人間はニーチェだけを信じる・・・」と叫びながら徘徊する男。女房が子宮肥大の病だという男。貧しく、娘の脚が悪くて・・・と愚痴る男。etc.etc. そんなのを耳にしながらキュンメル酒をあおるフランツ。「マルクスなんかこの時代に役に立たない・・・」と呟いて、酒場を鼻歌うたいながら出ていくフランツ。
酔っ払ってタクシーに乗り、なぜか自分が4年間服役したテーゲル刑務所の前へ行きます。そしてそこで降りて眠くなって路上に寝てしまい、警官に起こされ、再びタクシーに乗って帰ってきます。酔っ払ったフランツを、家主のバースト夫人とミーツェが二人で介抱します。ソファで寝込んでしまうフランツ。
翌朝、ミーツェはご機嫌ななめです。どうしたんだ?なにを怒っている?と訊くフランツに、ミーツェは言います。「あなたが自分を不幸にしているからよ。よくない人と付き合ってる。政治はだめよ!」
「政治は飽きた」とフランツ。「他人の不幸は聞き飽きた・・・」
ミーツェは何か自分のことで言い淀んでいましたが、やがて打ち明けます。「或る人と知り合って、私を愛人にしたいというのよ。奥さんもいてお金持ちだから好都合よ!その人が部屋を借りてくれたから見に行く・・」と。
フランツにはミーツェがこういうことを言うのを聞くのはたまらなくつらいのです。しかし彼はミーツェにこういうこと(娼婦)をさせてヒモとして暮らしているわけで、彼女を非難することはできないわけです。それが彼を酒浸りにしている少なくとも一因でしょう。
そんなフランツを励ますかのように、ミーツェはエヴァと話し合ったことをフランツに告げます。「私とエヴァで決めたのよ。エヴァがあなたの子を産むって」
これを聴いたフランツは「そんなことを言って俺を厄介払いする気だな!」と怒り、俺を家畜扱いする!と自分を豚小屋の豚になぞらえた話をします。こういうところは、同じ怒るのでも突然キレて暴力を振うときの彼とは違って、ひどく理屈っぽいのです。
「あなたは誤解しているわ。私は一生あなたから離れない。愛しているから。私は医者に診てもらったら不妊症だと言われたの。エヴァがあなたの子を産んでくれる。私もあなたの子が持てるのよ!」と嬉しそうなミーツェ。
そこへエヴァがやってきて、二人の様子を見て「どうやら彼女が話したのね」
笑うフランツ。「なぜ笑うの?長いつきあいだけど、こんなの初めてじゃない?いいの?」とエヴァ。うなずくフランツ。
階下でエヴァの愛人ヘルバートがクラクションを鳴らして待っています。フランツとエヴァは車に乗り込んでいきます。「君にはミーツェが居るのに、なぜ酒を飲む?」とヘルバート。「退屈だからだ。酒のせいでぼけちまった・・・こんな片輪で何ができる・・・」相変わらずヒモの生活に鬱屈し、捨て鉢になっている様子のフランツ。「イーダの二の舞だ」とヘルバート。
家に帰ってミーツェと酒を飲むフランツ。二人酔っ払って乱痴気騒ぎ。そこへミーツェのために部屋を借りてくれたというゲオルグという紳士がやってきます。ミーツェは数日間、ゲオルグと旅行に出ると告げます。聞いてなかったフランツ・・・言いそびれて、とミーツェ。自分を憐れむフランツ。
フランツはずいぶんマッチョな男で、女を生活のために働かせるなんて、それも体を売って自分を養わせるなんて、一番いやだった男なんですね。ずっと自分が稼ぐ、お前は働かなくていい(身を売らなくていい)、と言ってきたわけです。しかし色々経緯あって、結局、いまは彼自身の理想とは正反対のヒモです。
ミーツェという彼に首ったけの、本当に気のいい、やさしい娘(娼婦ではあるけれど)が、彼のためにパトロンに身を売ることで生計を立てているわけで、男に寄生する女にさらに寄生していきているのがフランツです。片腕になっても、腕一本で頑張ろうとしたけれど、現実は甘くはなく、ヤバいことに手を染めずに自立することはできそうにもない。この腕で何ができる?片輪になった俺に何ができる?という自嘲的な言葉が弱気になったときの彼の口からしばしば飛び出します。
彼がヤバイ仕事仲間に加わることを心配するミーツェが、自分が稼いで支えるのに何が不満なの?自分で稼ごうとするのは私を捨てる気だから?とまで言って彼に仕事をさせまいとすることもあって、とりあえず彼はミーツェがパトロンとどこかへ行って何日も家をあけて一人で置き去りにされることも我慢しているけれど、内心はひどい自己嫌悪に陥っているはずです。
いわば彼はこの時点で去勢された状態にあるわけです。男一匹独り立ちし、その腕で女の一人くらいゆうゆう養うだけの甲斐性をもっていてこそ男というふうな男性観の持ち主にとって、働くための片腕を文字通り奪われ、実際にまっとうな仕事などない失業者たることを強いられ、しかも自分はもう悪いことはしない、と立てた誓いを守って堅気で居る限り、女のヒモとして生きるしかなく、こうしてパトロンのところへいく女の留守を一人でまっていなくてはならない、彼女の買ってきた籠の鳥のカナリアのような存在というのは、まさに去勢された男のように感じられるに違いありません。
そもそもこのドラマの最初、4年間の服役を終えて出所したフランツが最初にすることは街娼を一人拾ってきて寝ることですが、そこで彼はできないのですね(笑)。刑務所にいた4年間の間、その種の欲望というのはあまり感じないで済んだようなことを言うシーンもたしかありましたが、とにかくそういう時を経て、この社会で役立つ(それを下品だけど、男性として役立つ~立つ~と読み替えてみてください)男ではなくなっている。少なくともギリギリの線状に追いやられているわけです。
それであわてて彼はかつて関係があったらしい、イーダの妹の所を訪ねて、強引に彼女と関係を結び、昔取った杵柄(笑)を思い出して、インポテンツな状態から辛うじて抜け出すわけです。
けれども、考えてみれば、フランツは彼が生きている1928年のドイツ、ベルリンの世の中で、ほとんど去勢された状態で生きていくほかないわけです。特別な技能を持つわけでもないしインテリでもない、刑務所帰りのもと殺人者に、まともな仕事を与えてくれるような社会ではないし、まともな女が寄り添ってくれる社会でもないわけで、与えられる仕事は、世の中の屑、役立たずに辛うじて投げ与えられるような仕事か、そうでなければヤバイ仕事しかない。寄ってくる女は娼婦以外にはない・・・
でもそこにわずかな救いがあるとすれば、フランツが新聞売りやネクタイピン売り、あるいは靴紐売りのようなつまらないクズの仕事であっても全然そんなことに偏見を持たず、仕事があればいい、と一所懸命その仕事に取り組むことであり、また自分の愛人がほかの男とも寝る娼婦出会っても、そのこと自体には何の偏見も蔑みもなく、ただ愛し、愛されることを純粋無垢な少年のように望んでいる、というようなことなのです。
彼が片腕を失うのは象徴的な出来事で、そのことでいっそう彼が「去勢され男」であることがはっきりするでしょう。この第10話あたりでは、もう「立ち」あがる気力も失って、閉じこもり、酒に溺れる彼の姿が描かれています。でも考えてみれば、彼は最初から最後まで、去勢された、あるいは去勢されようとして、そのことに必死で抗っている男であって、去勢に抵抗する男の物語、というふうに見て見れないことはないように思います。
そういう意味では彼のことを一番よく知っている古くからの友人メックなどは、ほんとうに性格的に「いいやつ」だし、フランツの良さもよくよく分かっているわけです。ところがこのメックは、言って見れば簡単に去勢されてしまう男で、いつの間にかブムス一味に加わっており、またフランツをどん底へ突き落す企みと知りながら、ラインホルトに弱みを握られていて、商品か何かをちょろまかしていたことをブムスに垂れ込むぞと脅されるとたちまちフランツを裏切って彼の天使たるミーツェを死神ラインホルトの手に引き渡す役割を果たします。
そのラインホルトもまた、フランツのように去勢されることに抗う強さを持たないがゆえに、フランツを根源的に、人間として嫉妬し、彼を陥れ、フランツが去勢されてしまうことに加担しようとするわけでしょう。
なにがフランツのような一見何のとりえもないブスでデブの生活無能力者である殺人者の酔っ払いに、去勢に抗う力を与えているのか。そこがたぶんファスビンダーがこの物語全体を通して探りたかった問題の核心なんじゃないか、と思ったりします。
それはドレスケみたいな共産主義思想でもなければもちろんナチスの思想でもない、彼やラインホルトが顔を出すキリスト教(教会)でもない。そして、ミーツェとの純愛だとか、あるいは彼が「もう悪いことはしないと誓った」と言って実は彼が簡単に破ってしまうような個人倫理としての正義感だということもできないでしょう。
ミーツェとの純愛という人はあるかもしれないけれど、彼女が殺されていたと事後に知ったとき、彼が声を出して笑い、「彼女は私を捨てたんじゃなかったんだ」と繰り返し叫んで嬉々とする、エヴァが不審がるシーンでわかるように、あれは私たちが普通に考える男女の恋愛でも純愛でもありませんよね。
彼がほんとうに一人の女性としてミーツェを愛していたら、やはり悲しみ、憤ることでしょう。なぜなら、これは私の個人的な考えに過ぎないけれど、愛するというのは一方的に相手の愛を要求し、望むことではなくて、相手のことを思いやり、相手の幸せを願い、ともに幸せであることを求めるということではないかと思うので、フランツの、自分が愛されていること(だけ)が至上の価値であるというエゴイスティックな感情とは別のものだろうからです。
ミーツェに対する感情だけではなく、フランツの女性に対するいわゆる「愛」は、私たちがふつう考える「愛」とは別の感情だと思います。彼は現代風にいえば女性差別主義者で、トランプのような女性蔑視の思想というか感性を持ち、平気で女性をひっぱたいたり殴ったり蹴ったり、あげくは衝動的にではあれ、殺すこともできる人間です。
一方で、ころりと変わって無垢な少年のように純愛を捧げるようにみえる行動をとるのは、現実の相手の女性とはかかわりのない、彼自身の一方的な、いわば恋を恋するかのような夢想の中のできごとであり、そこではどんな女性も天使あるいはマリア様のように理想化され、聖化され、崇拝の対象になります。彼に寄り添うのがみな娼婦であることは、聖と俗の反転する弁証法にかなう精神のメカニズムで、ミーツェは彼にとって犯すべからざる天使でもあり得るでしょう。
ではその天使なりマリア様が、彼の本当の救い手なのでしょうか。彼が去勢に抗う力の源はそれらの天使やマリアなのでしょうか。私にはどうもそうは思えないのです。この物語全体を、サークの「メロドラマ」のエッセンスに影響された「純愛物語」だと考える人はそう思うのかもしれませんが、フランツの女性に対する姿勢、関係を見ていて、私はそうことは単純ではないように思います。実際、最も強力な天使でありマリアであったミーツェは何ら彼を救済することなく、無惨な死を強いられます。
第11話 知は力、早起きは三文の得
ラインホルトのところを訪れるフランツ。ラインホルトは入口で拳銃を持って警戒します。当然ですよね、彼はフランツを一度殺そうとした、少なくとも後続の車に轢かれるなら轢かれてしまえ、とばかりに未必の故意でトラックの後ろから突き落としたのですから、いつフランツが内心の恨みをはらしにくるかわからん、と思うのは当然です。
「このへんで片をつけようじゃないか」とラインホルト。ところがフランツはまるでそんなことは頭になかったのです。これにはラインホルトだけじゃなく、私たちも驚いてしまいます。
「そのことはもういい。腕は戻らんからな」とフランツはまったくそのことは気にもしていない様子で中へ入ってきます。あとは古い友人との普通の会話です。
「ヒモをやっているだけか?退屈じゃないか?」とラインホルト。「いや、ミーツェは結構稼いでくれるし・・・」とフランツ。
どうやらフランツはラインホルトに、また彼と彼が属するブムスの組織で一緒にヤバイ仕事をしたいとブムスへの仲介を頼みに来たようで、次のシーンは、ラインホルトがブムスのところで話している場面です。彼はフランツのことを話しています。
「あいつはイカレてる。また我々と働きたいらしい」とラインホルト。フランツは信用できない、役に立たない、と否定的な手下たちもいます。でも、ボスのブムスは「足手まといだとは思うが、ラインホルトに任せる」とブムス。
場面変わって再びフランツの部屋。ブムスの手下のブルーノが、ブムスから、お前の取り分だ、とお金を届けにきます。フランツが受け取った金をミーツェに渡し、やると言ってもミーツェは喜びません。「私を捨てる気なのね?」と泣きじゃくります。フランツが否定すると、「じゃなぜ仕事なんかするの?私の稼ぎじゃ不足?仕事なんかしないで!」と言うミーツェ。
こういう会話を聞いていると、この普通なら考えられないとんでもないミーツェの論理が、ここではあまりにも自然で、なんだかこちらの感覚のほうが変なのかと、不思議な気がしてきます。
考えてみればこれは自分の好きな男をヒモとして養い、ひたすら貢ぐ、ヒモ男にとってまことに好都合な女の言い草で、ここではミーツェがフランツを好きで好きでたまらないのですから、ごく自然なのですが、本当はフランツは女に働かせてヒモとして暮らすなんてことは、絶対にしたくないはずなのです。というのは、ここでは「女に働かせて」というのは女に娼婦をさせて体で稼がせる、ということなのですから。
それがもともと人殺しの前科者の酔っ払いの上に片腕になって、そんな男を雇ってくれるところなどないので、そうせざるを得ない立場に置かれ、女がパトロンのところへ出掛けて一緒に旅行に行ったりして何日もアパートの部屋にひとり待っているような自分を本当に死んだほうがましだったと思い、捨て鉢な気持ちになっているわけです。
ミーツェの話を聞いたエヴァとヘルバートは、フランツがまたブムスらと仕事をしはじめたことを知り、彼のためによくないことだと思いはするのですが、しばらく様子をみるしかない、と考えます。
ミーツェが帰宅すると、ラインホルトが待っていて、彼女にフランツのことでさぐりを入れます。フランツが働く必要があるのかどうかを知りたいんだ、と。そして、自分とフランツとの過去の女をたらい回しにした経験をミーツェに話します。ラインホルトはミーツェにひそかに会ったことをフランツには言いません。
それで、フランツはラインホルトにミーツェを初めて紹介しようという意気込みで、酒場からラインホルトを自分のアパートへ連れて行き、ミーツェにサプライズの出会いを演出しようと、ベッドにラインホルトを寝かせて毛布で覆って姿を隠させます。
そこへミーツェが帰ってきますが、帰ってくるなり、悪いことに彼女は行った先のパトロンゲオルグのところに彼の甥がいて、パトロン自身は不在で明日戻ってくると言われ、その甥と二人でいるうちに、その甥が若くて・・・と自分が甥に惹かれて、彼が迫るのを拒めなかった、ということをあまりにも正直に打ち明けるのです。
これを聴いたフランツはラインホルトのことなど忘れて怒り狂い、ミーツェに出ていけ!尻軽女!と罵ったあげく、怒りに駆られてミーツェを殴り、大声で泣き叫ぶミーツェを、止めようとしてつかみかかって殺しかねない勢いのフランツ。まさにイーダを殺した場面の再現です。
ただ、ベッドに隠れて様子を窺っていたラインホルトが、フランツを引き離します。ミーツェはなぐられて目に隈をつくり、鼻血を流しながらも、フランツについて一緒に行く、とあとを追おうとしますが、ラインホルトに止められます。
家主のバースト夫人とエヴァが傷を負ったミーツェの手当てをします。バーストさんは、「イーダのときみたいに殺すかと思った」と言い、ラインホルトが助けたと証言しますが、エヴァは、なぜラインホルトがその場にいたのか、と不審をいだきます。
フランツとミーツェは仲直りし、二人で車で出かけて「愛人たちの森」へやってきます。フランツは、ラインホルトにまともな女を見せてやろうと思ったのだ、と言います。フランツとミーツェが目隠し鬼をして、片腕のフランツが倒れてけがをしたことのある林の中、霧がかかり、とても美しい風景の中でミーツェは幸せいっぱいではしゃいでいます。
第12話 蛇の心の中にいる蛇
ミーツェがフランツの身体を洗ってやりながら二人がふざけ合う仲のよい光景から始まります。フランツの部屋はいつも外の明滅する光が、カーテン越しに赤いフィルターがかかったような全体に赤みを帯びた光を暗い部屋に届け、その明かりの明滅がなにかいつも不安を感じさせるようなところがありますが、こんな幸せそうな二人の過ごす空間もいつもと同様赤い光が明滅しています。そんな不安な感じがミーツェの心に影を落とすかのようにこんな会話も。
「あなたはまだブムスとつきあってるの?」
「まぁな」
そしてミーツェは、酒浸りのフランツに、「今度飲みにいくとき、私も連れてって」と言います。そうして二人はフランツいきつけのマックスの酒場へ行くのですが、その前にフランツとミーツェがさらにイチャイチャと仲のよいところを私たちにこれでもかこれでもか、と見せつけるようなシーンがあります。
殊勝に床掃除をするミーツェを見守るフランツがちょっかいを出したくて仕方なくて、パイみたいなものを食べていて、長い奴の半分を自分が加えてミーツェに近づき、顔を寄せるので、ミーツェも応えてパイの突き出ている半分をくわえて二人で食べます。ちょっとフロイト的には赤面するようなシーンですが(笑)。歌をくちずさむ二人。せっせとまた床を拭くミーツェ。なにかとかまいたくて近づくフランツ。
さてこれだけ熱々の純愛の二人を見せておいて、一転酒場です。はじめてミーツェをいきつけの酒場へ連れて来たフランツは、店主のマックスに紹介します。酒場には古くからの友人で、いまはブムスのもとでヤバイ仕事をしているメックもラインホルトも来ています。ラインホルトはフランツを相変わらず意地悪で攻撃的な目でみています。ブルームやブムスもいるようです。
ラインホルトが何食わぬ顔でフランツをゲームに誘いに来て、フランツは応じ、ミーツェにはメックに相手をしてもらえと言って、自分はゲームのテーブルへラインホルトと行ってしまいます。ミーツェがメックのところへフランツがあなたに相手をしてもらえと言ったと近づくと、メックは、俺とは絶交しているのになぜ寄越したんだ、と訝ります。このへんが普通の常識人メックと、常識の次元で推し量れないところのあるフランツの違いです。
ラインホルトはフランツとゲームをしながら、ブムスが近々新しい仕事をする、と告げます。
ゲームをやめると、ラインホルトはメックのそばへいき、「ミーツェと自分と二人だけで会わせろ、お前は信用されているだろう」と言います。
メックが「悪巧みには手を貸さない」と拒むと、ラインホルトは、どうやらメックがボスのブムスに内緒で盗んだ衣料品か何かを売る際になにかごまかして儲けているのをラインホルトが知っているらしく、ブムスに言ってもいいのか?と弱みを握っているぞと脅すと、メックはあっけなくラインホルトの言いなりになり、ミーツェの傍へ行って、フランツのことをもっと知りたいなら、二人で会おう、と誘い、月曜の2時に通りに車をとめておく、と約束します。
フランツのことをもっと知りたいから、メックと会って話を聞くとミーツェから聞きながら、フランツは、あいつのことは信用しても大丈夫だ、とミーツェに言います。
こうして月曜日の午後、ミーツェはメックと車で出かけるのですが、その日フランツはミーツェがパトロンのところへ行くと思っていたようで、黙りこくっていて機嫌が悪いので、ミーツェが怒っています。フランツは、ミーツェが出かけてしまうと一人でお留守番になり、ほかの人間に会いたいとも思わないし淋しい、というので不満げです。ミーツェは仕方がないじゃないの、と言いたげで、「じゃほかの女と遊んだら?」と突き放すような物言いです。
こうしてミーツェは出かけていきます。所在なげに歌を口ずさむフランツ。カナリアのピーピー啼く声。
メックの運転する車で、ミーツェは郊外へ連れ出されます。ミーツェは、フランツと来たことのある森だと嬉々としています。フランツがどんな人間か知りたいの、と。
森にあるカフェレストランに入っていくとラインホルトの姿が見え、彼が好きではないミーツェはメックに「あなたはフランツの友達だと思ったのに」と言いますが、メックは「フランツと君のためだ」と言い、ミーツェは「信じるわ」と言ってラインホルトのところへ行きます。そして、みずから進んで「あとで森を歩いて話しましょう」と言うのです。もっとも、この時は同じテーブルにメックも座っていて、3人で森を歩きましょう、という提案でもあったとみることができます。しかしそのすぐあとでミーツェが「何を話しても話すことなんて無意味だわ。人生を楽しむことだけが大切よ」みたいなことを言うのはなぜでしょうか。
自分はラインホルトの信用する古い友人であるメックから、自分の知らないフランツの人となりを聞きたいと望んで来たのではなかったのか。それなのにラインホルトから、何が訊きたい?と言われたのだったか、何の話をするんだ?と言われたのだったか、とにかく問われたときに、「話の中身なんてどうでもいいの、享楽に身を任せて人生を楽しめばいいんだから」と言って、男を誘っているようなものではないでしょうか?
こういうところは、ミーツェの持って生まれた無垢な天使としての無防備さと考えるべきか、或いは彼女が生来というのかその職業柄というのか、身に備えている娼婦性のしからしむるところなのか、はたまた彼女個人を超えた宿命の導くところであるのか、映像自体が答えを明示しているようには思えないので、私には分かりませんが、はじめの二つが表裏一体でないまぜになっている結果としての彼女の発言であり、それは総じて三番目の超越的な作用のなせるわざである、ということになるのかな(笑)。
ちょうどそこへメックに電話だとウェイトレスが告げに来て、メックが席を外します。しばらくして戻って来たメックは「ここへ電話がかかってくるから、俺は森へは行けなくなった。この店に残るよ。だから森へは二人で言って来いよ」と当然ラインホルトと示し合わせた筋書き通りのセリフを言います。
こうしてラインホルトとミーツェは森へ。ミーツェはラインホルトの手首に入れ墨があることを知っていて、それが何をあらわした図案だというような話から、それは胸にもあるの?と問い、ラインホルトが見るか?と胸を開いて鉄床を象った入れ墨を見せます。
「もういいわ」と警戒するミーツェの手をラインホルトがとらえて、「よく見ろ」と強要し、「わたし、行くわ!」と駆け出すミーツェですが、もともとラインホルトからでもフランツのことが聞きたい彼女は、ラインホルトに止められると、無理に逃げようとはしません。
「刺青が鉄床なのは、なぜか分かるか?誰もが乗っかるからだ」とラインホルト。
「いやらしい、それならベッドにしたら?」とミーツェ。
「俺に近づくな、火傷するぞ、という意味さ」とラインホルト。
フランツの何が知りたいんだ、というラインホルトに、
「ブムスたちが何をしているのか・・・仕事が知りたいの」というミーツェ。
「キスしようぜ」といきなりラインホルト。
「教えてくれたら・・・」とミーツェ。
抱きつこうとするラインホルトを拒み、急に何なの?
「ここだとズボンが汚れちまう。上着を敷こう」と妙に現実的で下世話なラインホルト。それに「ありがとう」なんて言うミーツェ。2人、上着の上に寝そべり、ミーツェ、ラインホルトの胸の刺青に舌を這わせる・・・このあたりは娼婦としてのミーツェまるだし。
しかし、あくまでも「フランツのことが聞きたいからあなたといたいのよ」とミーツェ。「話す見返りは?・・・何でも・・・いいか」とキスしながらラインホルト。
「やつが新聞を売っていたときに知り合った。例の女のこと(ラインホルトの女をたらい回しにする)があった。あいつは俺に贖罪させようとしたんだ。だが失敗だ。あんたのフランツはいつも失敗ばかりだ。」とラインホルト。
「フランツの悪口はやめて!」とミーツェ。
「やつの腕のことは聴いたか?」
「いいえ」
「やつの女なんだろ?それとももう違うのか?来いよ、あんなやつと別れて楽しめ。」
「楽しめるわけないわ」
「別れたらやつは泣く」
迫るラインホルトに、「甘くみないで!」と逃げるミーツェ。でもまたラインホルトにつかまります。しかしラインホルトもすぐに押し倒してものにしようというところまで一気に盛り上がりはしないようです。いったんはミーツェを離し、そのまま立ち去らせようとしたのです。
「行け!俺は今まで女には暴力は振るわなかった。だが俺を怒らせたらただではおかん。」
でも一言彼は言いすぎます。「片輪の女のくせに・・・」と。
これにミーツェが激しく言い返します。「思った通りだわ!ゲス野郎!」
するとラインホルトも「横になれ!二度と叫ぶな!」
そして言わずもがなの過去のフランツとの決定的なあのことを口走ります。
「車に乗ったとき、フランツは俺は堅気だと言いやがった。だからあとをついてくる車があったから落としてやったんだ!」
これを聴いたミーツェは激高します。「彼が片腕になったのはあんたのせいだ!」とラインホルトにつかみかかるのです。
こうして長いどうでもいいようなやりとりのあげく、逃げるチャンスもあったのに、ミーツェは自ら機会を逸して、ラインホルトに絞め殺されます。いや私にはラインホルトが怒りにまかせて首を絞め、そのまま絞め殺したように見えたけれど、あとで死体発見の折には、殴り殺されたとみんなが言っていたようですから、死因は殴打であったかもしれません。
ちょうどこの森のこのあたりで、フランツとミーツェは目隠し鬼などして至福の時を過ごし、片腕のフランツがバランスを崩して倒れて傷ついた、まさにその場所で、ミーツェは無惨な死をとげます。
折から森に霧がたちこめ、このシーンはあの至福の二人の光景と同様に、言いようもなく美しく、そして残酷な場面でした。
ラインホルトが口走った、フランツを車から突き落としたときのいきさつ、「フランツは俺は堅気だと言いやがった」というのは重要な証言です。
もちろんフランツは盗みなどヤバイ仕事に加担するつもりはなく、成り行きで巻き込まれ、何も知らされないまま加担させられたので、もともと悪いことはしない、と誓った彼としては、まだ堅気のままである、と当然考えていたでしょうし、そのことは観客も知っています。しかし、そのフランツにとっては当然のその言葉が、ラインホルトの癇に障ったのです。なぜでしょう?
これ以外の場面でも、ラインホルツは、フランツのことを、「いいかっこしやがって」みたいな言い方で陰で罵りの言葉を吐いていたと思います。きっと彼は「友達」であるフランツにも、自分と同じように毒に染まってほしい、汚れてほしいと思っているのですね。
人殺しまでして、なんの取柄もなく、売春婦くらいしか近寄る女もなく、飲んだくれている、社会への不適合者、能なしの役立たずで、自分が助けてヤバイ仕事でも世話してやらなければ生きていけないはずのフランツが、なぜいつまでも堅気づらしてやっていけるんだ?どうせ「こんな世の中」なのに、早く汚れてしまえばいいのに、なぜ汚れずにあんなにあっけらかんと、言って見れば幼児のように無垢で無邪気で無欲に笑って生きていられるのだ?おかしいじゃないか・・・
ラインホルトはそう感じていると推測しても当らずといえども遠からずではないでしょうか。ラインホルトは自分がフランツと変わるところのない社会の不適合者だというのは重々わかっているでしょうし、中でもとりわけ小心な小悪党にすぎず、一人で経済的にも精神的にも自立してまっとうな社会人として生きていく強さを持っていないことはよく分かっているでしょう。一人では生きられない弱い人間なのだと思います。
けれども、というのか、だから、というべきか、そういう弱い卑屈な人間ゆえにより研ぎ澄まされる弱者の武器としての、執念深く、過剰過敏な猜疑心や嫉妬心、内に隠れこもった憎悪といった負の資質を備えていて、それをこの物語では、ことごとくフランツに敵対的に行使していくわけです。
ラインホルトがフランツを気にせずにはおれない、という意味では、「つねに相手を意識せざるを得ない」状態が対幻想に陥った二人なのだとすれば、彼はたしかにフランツに世間でいう「友情」という対幻想で結ばれた存在であることは確かで、ミーツェなどフランツに関わる女性たちは、ラインホルトと本質的に三角関係に入ってしまうことになります。
しかし、フランツの女性に対する関係をみると、必ずしもフランツと女性たちの関係自体が対幻想ではなくて、フランツはフランツの夢想(個人幻想)の世界で女性を跪拝しているだけで、女性がフランツに懐く愛情とは完全にすれちがっているように思えてなりません。そうするとラインホルトとの関係にも、女性は関係なくて、むしろ二人の関係から女性は最初からはじき出されているようなところがあります。
ではフランツのラインホルトに対する気持ちはどうかといえば、これが最初から最後まで一貫して「友達」として友情を持っているんですね。殺されそうになって片腕を奪われても、その災いの原因であり執行人であるラインホルトをいっこうに恨むでもなく、なくした腕は戻ってはこないのだから、あのことはもういい、ってなことを言うわけです。ふつうはありえませんよね。
ここのところの関係を解きほぐすことが、おそらくこの長い長い話の核心に近づくことになるのだろうと思いますが、創り手のファスビンダーさん自身は、実はこの二人は愛し合っているのであって、ただ、そのことに二人共最初から最後まで気づいていないし、気づけないことがこの物語の悲劇性を作り出しているんだみたいな、正直言ってあんまりよくわからん(笑)ことをお話になっていたようです。
この物語の登場人物たちが遭遇する出来事が、現実に起きるあれこれのことと同時に、それがまるで「夢を見ている」ようなのだけれども、「何の夢なのかわからない」というフランツの言葉のように、私たちにも何の夢なのか分からない夢の中の出来事でもあるらしい、という二重性については前に書いたように、見ていて何となく私たちにも分かります。
そして、ラインホルトのフランツに対する嫉妬や憎悪の原因が、フランツのあのどうしようもない人の良さや、激しい女性蔑視や暴力性とは裏腹な天使のような無垢のやさしさ、あるいはまた人を殺して服役しようが失業しようが、片腕を失おうが、人に裏切られようが、時に潰れてしまうようにみえて、決してつぶれしまわずに、また立ち上がろうとし、自分の立てた誓いを頑固に守ろうとしたり、自分を裏切った友人を簡単に許して相変わらず友人とみなす鈍感さのか寛容さなのかわからないような大らかさや・・・といったふつうでは理解しにくい性質、去勢されそうになりながら、それに抗いつづけ、たとえ去勢されてももう一本の脚でいや腕で独り立ちしようと頑張るフランツ・・・そんなところにあることも、そういうフランツの中の何かが、誰もが自嘲的に言う「こんな時代」「こんな世の中」で圏外に押し出されそうになりながらその中に踏みとどまり、踏ん張っているためのかけがえのない武器だということも、薄々察しがつきます。
でも、それはただフランツという人物造形において明示されるだけで、言葉の解答が与えられるわけではないので、見た人がそれぞれに考えることができるだけです。
第13話 外側と内側、そして秘密に対する不安の秘密
フランツの部屋。大きなアームと大きなラッパを持つレコードプレヤーから音楽が聞こえ、カナリアがさえずる部屋です。酒をラッパ飲みするフランツ。エヴァが訪ねてきます。
「何があったの?」
「ミーツェが戻らない・・・」
「あの子はあなたを捨てたりはしない」
「あいつは戻ってくるーだが何か変だ」
「フランツ、見てよ、私のおなか。ミーツェがあんなにほしがっていたあんたの子よ」
「すごいじゃないか!」
「彼女が帰ってきたら大騒ぎよ!」
興奮するエヴァですが、
「やっぱりおかしいわ。あの子らしくないもの。やっぱりわからない」
そしてエヴァは「ヘルバートがなにを言おうとこの子は産むわ。彼の子だと思わせとくから」
「名前はおれが・・・」と上機嫌のフランツ。
「機嫌がなおったわね。」
「一人でいたからだ・・・」
「じゃいくわ」
こういう何でもないシーンが、このテレビドラマを見ていると、すごく好きになってきます。とくにエヴァはいいですね。
森を歩くフランツ。ミーツェが消えて3週間。森の樹々を透かして湖が見えます。いつかミーツェを乗せて、片腕で張り切って彼が漕いだ湖。・・・ミーツェにひとり語り掛けるフランツ。
次の場面は、なんとフランツが何も知らずにラインホルトを訪ねる場面です。
ラインホルトは何食わぬ顔で別の話をします。
「いま俺たちはブムスと対立している。俺たちにつくだろ?」
「従うよ。俺が自分で考えるより、お前の方が頭がいいから」とフランツ。
ブムスと手下のブルムたちと、ラインホルト、メック、ルディらが「ビジネス」をめぐって意見を対立させています。「一人に従うよりそれぞれのために働くほうがいい」とラインホルトら。盗みは品物がいいか、現金がいいかで割れています。ブムスは品物を盗む方がリスクが少ないと主張し、ラインホルトらは逆だと。
ルディが包帯工場の金庫から現金を奪う計画を提案し、同数にフランツの一票の「多数決」で可決。金庫を焼き切る計画だったらしいのですが、どうもうまくやれずに撤退するとき、焼き払おうと油を撒いて火をつけたメックは左手に大やけどをします。フランツはメックを夜中に自分の部屋につれてきて介抱して返します。世話になったメックは帰るときに「言いそびれたことがある。ラインホルトは悪人だ。だがフランツは彼の悪口は聞きたくないだろう。」そう独り言を言って、結局フランツには何も言えずに立ち去ります。
酒場を訪れたメックは、助言役の店主マックスに訊きます。「死人を埋めるのを手伝ったら、どんな罪になる?」と。死んでいるのをみつけて、埋めるのを手伝えと言われた。殺人にはかかわっていないから罪は軽いだろうが・・・とマックス。
結局メックは耐えられなくなって、警察に喋ります。森の中で警官が地面を掘っています。ピンクのリボンがみつかり、やがてミーツェの死体が発見されます。
次のシーンはエヴァがフランツの部屋を訪れる場面です。新聞をフランツに渡すエヴァ。そして、既に知っている家主のバースト夫人とエヴァは抱き合ってほとんどもう泣き始めている様子です。二人はこんなにも連続して不運ばかりに見まわれるフランツが可哀想でならなくて泣いているのです。
「ミーツェが殺された・・・俺とラインホルトが殺した?なぜこんなことが新聞に載っている?」とさっぱり分からない様子のフランツ。しかし、突然陽気な声で「ミーツェは俺を捨てたんじゃないー殺されたんだ」・・・そう言ってベッドで笑いつづけるフランツ。
今度はエヴァのほうが唖然としています。フランツはたしかに衝撃のあまりどうかしてしまったようです。「刈り手が・・・・死神だ・・・」と意味不明の言葉をつぶやき、鳥籠に手を入れ、カナリヤをその手で握りつぶしてしまいます。
たしか夢の中の世界のある場面で示唆されるように、それは籠の鳥ミーツェをフランツ自身とラインホルトが一緒になって殺すことを象徴しているのかもしれません。
もちろん現実にはフランツはミーツェ殺しには加担しておらず、いきなり新聞紙上で共犯とされて訳がわからないわけですが。・・・でも夢の中の別の場面でエヴァが叫びます。あなたがラインホルトにミーツェをみせびらかして彼のミーツェへの欲望を煽ってけしかけたのだ、と(そういう言葉ではなかったけれど、意味はそういうことでしょう)。あなたがミーツェを殺したのよ、と。
ミーツェならぬ籠の鳥カナリアを握り殺してエヴァを愕然とさせるフランツですが、しかしまだ正気は失っていないフランツ。メックが彼女を呼び出し、ラインホルトが殺したんだ、と覚ります。俺を潰せないから、ミーツェを俺から引き離したんだ、とラインホルトの気持ちも正確に指摘します。
ヘルバートがラインホルトを探すと言っているとエヴァが言いますが、手を出すな、とフランツは止めます。「あいつは俺のものだ・・・」とつぶやくと、フランツは笑いつづけます。
ここで「フランツの地上の生は終わった」云々という文字が入ります。第13話まで、ふつうの物語はこれで終了です。
第14話 [エピローグ] ライナー・ふぇるナー・ファスビンダー:フランツ・ビーバーコップの夢についての私の夢
13話までの延長で、普通の物語の筋書きとしてたどれる部分を拾い出せば、第13話でミーツェの遺体発掘で彼女が殺されたことがはっきりした後のことですが、どうやらフランツは犯人の一人として逮捕され、支離滅裂なことを言うので精神病を装っていると思われたようですが、実際に精神に異常を来していることが分かり、患者として精神病院に収容されたようです。
そこの医師たちがフランツを診察して、彼について議論する場面が出てきます。担当らしいやや若い、精神科医としてはまだ新米扱いされているらしい医師は、フランツが治癒可能だと考え、自分の考えにもとづいてあれこれ治療法を試しているようです。その過程では食事を食べようとしないフランツの口に強引に液状のものを流し込もうとしてフランツが苦痛の表情をあらわして吐き出すようなシーンもあります。年配の医者たちは、それを冷ややかに眺めて、それ以上患者を苦しめるな、見込みはないんだ、というふうなことを言い、若い医者がフロイトの説を信じているらしいことを揶揄したりしています。
他方、逃亡していたラインホルトは1000マルクの懸賞金がかけられ、捕らえられて警察い引き渡され、警官に連行される彼が署内の階段でフランツとすれちがう場面があります。
フランツは精神病が治癒したと認められて訊問を受けます。裁判が開かれ、ラインホルトは被告としてミーツェ殺害容疑で、結局「衝動的な殺人」とみなされ、懲役10年の判決が言い渡されます。判決のとき、エヴァ(だったと思います)が「10年だなんて(短かすぎる)!人を殺したのよ!」と傍聴席で激しくくってかかる場面もあります。
こうしたことは、断片的な映像やナレーションで語られて分かりますが、あとは前に先走って書いてきたように、「フィネガンズ・ウェイク」のような夢の世界です。フランツが精神に異常を来して見た夢、と考えてもいいでしょうし、いちおうそういう設定なのでしょうが、タイトルはフランツの夢についての監督自身の夢、となっています。ほとんど悪夢、阿鼻叫喚の地獄絵といった印象ですが、それはそういう場面の印象が強いからかもしれません。
なにしろアウシュビッツの写真でしか見たことがないような全裸の男女が折り重なって捨てられながらまだ息がある女の顔面へ、手斧をもった小悪魔か何かが力任せにその斧の刃を振り下ろして顔面を裂き、ギャーッ!という女の断末魔が継続的に響き渡る中をフランツが彷徨うようなシーンがあって、これをゴールデンタイムのテレビで放映して、「世代を超えて楽しんでもらおうと考えた」なんてブラックジョークとしか思えないですから(笑)。
この地獄めぐりを案内するのはウェルギリウスならぬ、テラーとザークという「天使」ですが、このヒッピーみたいな金髪にテカテカの鎧をつけた「天使」は天使というよりは悪魔の子分のように見えますが(笑)・・・いちおうフランツを「守って」彼についてまわっています。ただし天国じゃなくてどうみても地獄めぐりですが。
ミーツェが現れたと思ったら消えてしまったり、最初にフランツを裏切ったリュ―ダースが登場してフランツが糾弾したり、ヘルバートとエヴァが自動車事故を起こして、轢いた人間をもう一回轢いて殺してしまおうと言ってるところへなぜかラインホルトが拳銃をもって現れて二人を射殺してしまったり、13話までの登場人物が繰り返しここに登場しながら、私たちの夢がまさにそうであるように、その文脈は断ち切られて断片化され、まったく異なる背景、異なる文脈のうちに、人物が入れ替わるなどして、一瞬現れては消えて行きます。
ちょうど私たちの夢が、まるで現実の夢の意味を解き明かすかのように思えることがあるように、それらの断片化された夢の中には、フランツが現実の世界で、「夢を見ているようだが、何の夢かわからない」とつぶやいたその夢の意味を解き明かすかに見えるような場面が含まれていて、私たち観客にも、あぁ、あれはそういうことだったのか、と思い当たるようなことがあります。
このエピローグは、13話までに語られてきた物語的現実を、夢の側から、夢の話法で、もういちど語りなおす作業だったということでしょうか。
さきほど13話までの物語の筋書きの延長上で拾い出せること、というのをいくつか挙げましたが、実はその中で最も重要で見逃せないのは、10年の懲役刑を受けたラインホルトが入った刑務所で、別の男性の囚人とみかけはホモセクシャルな関係を示唆するような場面が登場することです。「みかけは」というのは、たしかにラインホルトは相手の男と肉体的にはそういう関係を結ぶのでしょうけれど、彼自身は自分がゲイだとは認めていないというか、否定していて、それほど単純ではないようなのです。
次々に新しい女を見つけてきては同棲し、けれどもすぐに飽きて、今度は一刻もそばにいられるのがたまらなく嫌になってフランツに回す、例の奇妙な取り決めに見るように、ラインホルトは女性とも性的交渉を持つけれども、本当に女性を愛することができる男ではなさそうです。しかし彼はミーツェを殺す直前に、「俺は女に暴力を振ったことはない」というように、女性を暴力で支配しようというタイプではないし、サディストというわけでもなさそうです。
ですから、彼はフランツのように暴力を振って女性を追い出すこともできず、女を次々に拾ってくるのはいいけれど「どうやったら別れられるのか分からない」、と大真面目に悩み、フランツに「助けて」もらうわけです。そのことでラインホルトはフランツを内心馬鹿にしている(自分はほかの男のお古なんてまっぴらだと言いながら、フランツには自分の女を下げ渡しているわけですから)かもしれませんが、本当に「助けて」もらってありがたい、とも感じているはずで、ラインホルトには普通の感覚ではちょっと理解しがたいようなところがあります。
ラインホルトが本質的にゲイであるにも関わらず、そのことを例えば時代性ゆえにカミングアウトすることなどできず、他者に対しても自身に対しても否認し、自分の欲望を抑圧しているために、ゲイとして深く愛しているフランツに対して(そのフランツはゲイではなくラインホルトを男性の友人として信頼しきっているので)抑圧された無意識が攻撃的にさせるのだ、というふうに解釈すれば、フロイト的にとても単純明快な話になってしまいます。でも、果たしてそうでしょうか?
フランツのほうはふつうに女性に対して性愛をもって関わる男性のように見えますが、前から書いているように、これまたそれが女性への愛と言えるのかどうか、単に独りよがりな幻想にすぎず、むしろ自己愛にすぎないのではない、と思えるところがあり、あまり簡単に割り切ることはできそうにもありません。
もっとも自己愛もまた対幻想ではあるので、そういう入り組んだ対幻想の構成するいびつな三角関係がフランツとラインホルトとミーツェら女性との間に想定できるのかもしれません。
ただ、本当の問題は、そういう関係の有無というのか、幾つかのノードをリンクでつないで、こんな形と示すことではなくて、そんなリンケージがなぜ成立しているのか、言ってみればなぜそれらの個々のノードが互いに惹かれ合うのか、そのことをこの物語の世界に即して読み解くことなのかもしれません。
その中で最も興味深いのはやっぱりラインホルトがなぜフランツに惹かれるのか、惹かれるというのが不適切なら、なぜラインホルトはフランツという存在を意識せざるを得ないのか、ということでしょう。それは言い換えれば、フランツというこれもよく分からないところのある男が、いったいどういう人間なのか、端的に言ってどこといって取柄のないこの男のどこに、ラインホルトが嫉妬の炎を燃やし、蛇のように執念深くその弱みを攻撃して息の根をとめようとさえするほどの、打倒しがたい強さがあるのか。
もし私たちがこの長い長い物語を聴くうちにいつか、それを見つけることができるなら、ひょっとしたらそれはフランツたちが生きた「こんな時代」「こんな世の中」を生きのびる小さな希望でありえたかもしれない、とファスビンダーさんは考えたのではないでしょうか。
でも彼自身、それが見いだせなかったのかもしれません(笑)。作品外のところで、監督は、フランツは以前の彼はそうではなかったのだが、結局はナチの時代を目をふさぎ口をつぐんで通り過ぎた、あるいは「こんな時代」「こんな世の中」を通り過ぎさせた人々と同様の人間になり、きっとナチスの党員になっただろう、と言っていたようです。
この第14話エピローグのラストで、たしかナレーションでだったと思いますが、「フランツはサラリーマンになった。ずいぶん高くついた・・・」というふうな文言を私たちは聴かされることになります。
2019-3-22 blog