カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』
『日の名残り』で現存する第一級の作家であることを証明したカズオ・イシグロの長編『わたしを離さないで』を読んだ。
ずいぶん前に買っていたのだけれど、彼の小説は難しい言葉で書かれているわけではないのだけれど、決して読みやすくなくて、少し読み始めてはほかのことに目移りして、そのまま書棚に立てたまま何年もたってしまっていた。
今度これが映画化されて映画評が新聞に載り、それを見ると、どこにでもありそうな幸せな少年少女時代を過ごしているかに見えた子供たちのその後の人生は初めから運命づけられていた・・・というような、そのときには意味不明のことが書いてあって、おや?、と思い、映画への評価も高いようだったので、あらためて手にとった。
読み進めていくと、これは『日の名残り』を読んで漠然と抱いていた作品のイメージとはまるで違うものであることが分かった。たしかに文体はこの作家ならではの、登場人物の繊細な心理を含む緻密な文体で、どのページをとってもすばやく読み飛ばしていくことのできない作品だけれど、イギリスの伝統、イギリス人の生活の根っこにあるもの、イギリス人の心の奥底に宿るものを感じさせた、広い意味でリアリズム小説の範疇に属する『日の名残り』とは違って、この作品は通常のジャンル区分では近未来SFとでもいうべきものだろう。
『浮世の画家』と『日の名残り』を読んだだけの私には、カズオ・イシグロがこんな作品を書くとは想像できなかった。しかし、もちろんこれはいわゆるジャンル小説としてのSFなどではない。
近未来SF風の設定は、すぐれた作家がすぐれた作品ならそのすべてにおいて、作品自体によって創り上げていく仮構線の一つとしての意味しか持っていない。
その仮構線の上に展開される世界は徹底したリアリズムで、そのような世界に解き放たれた登場人物がまさにそう振る舞い、そう思い、そう言うに違いないありようで、その世界を生きるさまを、実に繊細な筆づかいで掬い取っている。
作品の中で読者が読み進めるにつれて、登場人物たちが置かれている世界の異様さが少しずつ、少しずつ明かされ、やがてその全体の骨格が見えてくるとき、戦慄を覚えない読者はいないだろう。
読者の目の前に次第に姿を現わすのは、考えられる限りのおぞましい、恐ろしい世界だが、作家の筆遣いはあくまで繊細で、抑制がきいていて、それだけよけいに、また描かれる対象があどけない少年や少女であるせいもあって、読者は強いせつなさを感じざるをえないだろう。
(書きかけで中断したまま、書き継がずにいたようです。いつ諸いたかもわからなくなていますが、この作家への言及が少ないので残しておきます。:後日註)