「鰐」(キム・ギドク監督)
この映画も前に見たなぁ、と気づきましたが、もう一度最後まで観ました。1996年の、ギドク監督の処女作にあたる作品だったようです。
「悪い男」を見た目で見ると、これは「悪い男」の前身であり、その原型になるような作品であることは明らかですね。
第一、主役のチョ・ジェヒョンが両作品に共通で、物語の中での人物の生態学的地位ならぬ行動学的地位みたいな位置もまったく同じで、まっとうな社会から完全に疎外された社会の最底辺で水死体から金目のものを剥ぎ取る鰐というより死肉を啄むハイエナみたいに生きるゴミのような存在、無知無教養で暴力的、極度に切れやすく、いつも内面に噴火火山をかかえていて、いつ爆発して周囲の人々を傷つける溶岩を噴き出すかわからないような粗暴な男。
それが、そんな汚辱の世界にもまったく汚されることのない、まるで天使のようにまっさらな部分を心のどこかに潜ませていて、それがたまたま自分が助けた(かつ暴力的に犯した)入水した女との触れ合いであぶくのように表面に浮かんできて、つかの間真実の愛が交わされるかのような瞬間の後、その瞬間を永遠と化するために、自らの手で絶望と希望の淵に沈める、というような物語。
はじめて自ら男(ヨンペ=ワニ)に身を委ね、永遠の瞬間を共有したのち再び入水した女(ヒョンジョン)を追って飛込み、皆底に横たわる女を抱いて助け上げるのではなく、優雅なバロック調?の長椅子に座らせ、自分と彼女の手首を手錠でつないで腰かけて並び、一度は逃れようとしながら、そのまま女と共に死んでいく男。このラストシーンは汚れた漢江の水が青い光と影のゆらめく美しい映像をつくりだしています。
ヨンベのような男は本当に反社会的な人間として嫌われ疎外される人間でしょうが、一方でイケメンで社会の秩序の中で成功をおさめ、権力を手にしている、女が愛してその男のために入水することになったジュノのような偽善的存在に対しては、ものすごい敵愾心を持って戦います。周囲はみなジュノのような男を崇め、同調し、その意向に従う社会だから、ヨンベのような男は陰で生きるしかないし、表に出てくればゴミのような扱いを受け、排除されます。その他人を傷つける粗暴は弁解のしようもないけれど、或る意味でなにものにも侵されない純粋な魂でもあります。
私は大変な悪そのものを体現して多くの人々を死にいたらしめた新興「宗教」集団の、最も戦闘的だったという若者を連想しました。
(blog 2017.7.12)