『犬と鴉』(田中慎弥)
この2日ほどあたりがよくて、通勤車中に読むために偶々書棚から手にとってかばんに入れた本が、ぞくっとするほどいい作品なのです。 田中真弥の「犬と鴉」。つべこべ言うより、作品の中の「祖母」の次のようなせりふを読んでもらうほうが早いかも。
・・・人間はなんといったって、悲しむために戦争するんだ。悲しみほど甘い食べ物はないんだからね。あたしだってそうだった。お骨と万年筆を見た時、不思議だったよ、冷たくなるかと思った体がじわじわ温まってきてね、食べ物がなくてお腹がすいてることなんかすっかり忘れてしまった。反対に悲しみの味は忘れられなくなったんだよ。そりゃそうだよね、自分の亭主が死んでしまったことは忘れようがないからね。戦争のやつ、知ってやがるんだ、人間が幸せよりも不幸の足許に跪いてしまうことをね。そうなってしまったらもう手遅れだ。悲しみを求めてどこまでも突き進んでいってしまう。時には止ることだってないわけじゃないよ。愛とか喜びとか感謝とかを詰め込んで幸せが通りかかれば、誰だって足を止めるくらいのことはする。ひょっとしたらこっちの方がずっとおいしいんじゃないかと思ってとりあえずぱくついてはみる。でもすぐに気がつくんだ、旨みが足りない、量も少ない、こんなもんじゃとても腹は太らないってことに。幸せの方がいいに決ってるって頭では分かってるのに、おかしなもんだね。悲しみの方が好きだなんておおっぴらには言えないから深刻ぶってはいるけど、戦争が始まるのをみんなで息を殺して待ってたんだよ。そうだよ、誰かが始める筈なのに、自然に始まってしまったって思いたいんだよ。そうじゃないと悲しみを思い切り味わえないんだろうねきっと。・・・
こういう婆さんもすごいが、戦争が終わって、ヘリコプターらしき「鯨」たちから桃色の管が降りてきて黒い玉を放出し、そいつが真っ黒い犬になって、次々に人を殺していくシーンもなかなか迫力がある。
戻ってきた父が図書館を占拠している、と「水道管から落ちてくる噂話」によって知った「私」が訪ねていく・・ 父が軍刀で女性の首を切り落とすシーンや黒犬が自在に人々を追っかけて牙をむき、噛み砕くあたりは生々しい。
夢とうつつ、死者の世界とこちら側の世界と、いろいろな境界が相対化されて、自在の境界を踏み越えていく。その自在さ、生々しさが、高度にシンボライズされた抽象度の高い文体を小説の文体としてささえている。
blog 2010年05月29日