バルタザールどこへ行く(ロベール・ブレッソン監督) 1966
バルタザールというのは、この物語の主人公であるフランスの田舎に住む少女マリーが育ててきた大好きな驢馬の名で、この映画のもう一人(もう一頭?)の主人公なのです。時々すごい声で啼く以外は、モノを言うわけではありませんが・・・
物語は最初、マリーがまだ幼い少女の時期、同じ村の農家の息子ジャックと仲良く遊んでいて子供らしく将来を約束するようなことを言い合ったり、まだ生まれたばかりだったバルタザールを飼ったり、やがてジャック一家が引っ越して村を出て行ってしまうような少女時代の風景が手短かに語られます。
バルタザールも売られていき、足にジューッと焼き鏝みたいに熱せられた蹄鉄が驢馬の足裏にはめられたりする場面があって、これからのバルタザールの運命を暗示するようなシーンになっています。10年の歳月を経て、バルタザールは鞭を充てられて重労働に酷使される姿になっています。マリーもまた17-18の娘になっています。
このマリーを演じている女優が、ブレッソンに見いだされてこの作品で初めて映画に出演し、その顛末を後に自伝的小説「少女」に書いた作家、のちにゴダールの妻ともなったアンヌ・ヴィアゼムスキーです。彼女は有名なノーベル賞作家クロード・モーリャックの孫で、亡命ロシア貴族の娘でもあります。
農家で飼われて重労働の畑仕事にこき使われ、鞭うたれながら働くバルタザール。膨大な干し草を運ぶ途中、下り坂でスピードがつきすぎて暴走して荷車を人ごと倒してしまって、馬車の枠が外れたのを幸いバルタザールが逃げ出し、戻ってきた先がマリーの所。戸口でものすごい声で啼くシーンがあります。
マリーは自分のところに帰ってきたこの驢馬バルタザールを可愛がります。彼女に関心を示す不良グループの若者たち5人ほどが自転車に乗って、彼女につきまとい、なにかとちょっかいを出す中で、彼らはマリーを覗き見て、「マリーと驢馬は両想いだ」「信じられない」「まるで神話だ」などと言い合っています。そのマリーは草の花を摘んで、バルタザールの頭に挿して飾ってやったりしています。それはとてもいい場面です。
若者たちの中でもリーダー格は黒い革ジャンを着たジェラールで、マリーは故郷へ戻ってきた幼馴染のジャックとつきあいながらも、幼いころの気持ちには戻れず、他方でこの不良のジェラールにも惹かれていくようです。
マリーの父親は学校の教師をしていましたが、なにか不正に儲けているような噂を立てられ、ジャックの父親も彼に騙されたと思っているらしい。けれどもマリーの父親は、自分は潔白だから弁解等する必要はない、と頑なで、ますます世間からは孤立していき、裁判でも負けてしまいます。
そんな中でマリとジャックの間も微妙になっていき、マリー一家は家を手放し、バルタザールもパン屋へ買われていきます。不良グループのリーダーであるジェラールがこのパン屋の息子で、バルタザールをこき使います。
ジェラールがバルタザールを扱いかねている印象的なシーンがあります。頑として言うことを訊かず、動いてくれないバルタザールに業を煮やしたジェラールは、バルタザールの尻尾に新聞紙かなにかを結わえて、火をつけます。火がつき、煙をあげる尻尾を振ってバルタザールは走り出します。
とても残酷であり、滑稽でもあり、バルタザールの遭遇する運命の悲惨さを物語るようなエピソードですが、同時に、ジェラールの人となりを示し、彼に惹かれているマリーの行く末をも暗示してもいるようなシーンです。
その後、いろいろなことが起こります。なにか殺人事件が起きて警察が来て、ジェラールが逃げ出したり、ジェラールの仲間で普段は大人しいけれど酒が入ると狂暴になるアノルドという男が実はやっていたとか、仲間内でゴタゴタがあったりしますが、そのアノルドという男にバルタザールは引き取られていきます。
彼に乱暴に扱われて、バルタザールはいったん逃げ出してサーカスに拾われもしますが(猛獣たちのアップで見せるこのシーンも、そこへ連れて来られたおっかなびっくりのバルタザールの目で檻の中の猛獣たちを眺めていて面白い)、再び引き取りにきたアノルドの手に渡ります。
そのアノルドは亡くなった叔父の遺産相続で大金を手にしますが、酔っ払ってバルタザールの背から落ちてあっけなく死んでしまい、バルタザールは引き取りてもなく競売で売られていきます。
一方、マリーの父親は自分は何も悪い事はしていないと弁解もせずにいたのですが、訴訟に敗けて苦境に立ちます。この状況の中でもなおマリーへの愛情を失わなかったジャックはマリーにプロポーズします。
そこでマリーはジャックがとめるのもきかず、「話をつけにいく」とジェラールのところへ行くのですが、ジェラールら不良仲間に閉じ込められ、衣服を剥ぎ取られて凌辱され、どこへともなく消えてしまいます。マリーの父はあまりのことに死んでしまいます。
バルタザールは再びジェラールの手にわたり、密輸品を運ばされていました。しかしジェラールは密輸品運搬途中の山中で密輸取締官に見つかって撃たれ、バルタザールも銃弾を受けて斃れます。折から山へ上がってきた羊の群れがバルタザールを囲み、その羊たちの輪の中で、バルタザールは死んでいきます。
・・・とまぁ、ひどく暗い話です。少女の暗い人生と驢馬のバルタザールの悲惨な人生・・・じゃぁない驢馬の一生とを並行して、ときに交錯させながら描く単純な対照で像喩を展開してみせただけの作品といえばいえるようなもので、たいした起伏もなく淡々とした運びです。
しかも例えば驢馬がいったいどういういきさつで、どのようにして誰から誰の手に渡ったのか、というようなことは、一切説明的映像抜きの省略的な進め方で、画面が切り替わると別の人間がバルタザールをこき使ったりしていて、いったいどうつながったのかはわかりません。だから、ふつうの継起的なものごとの展開を追ってストーリーが理解できるような物語とは違って、わかりにくい映画です。
それに、驢馬バルタザールの悲惨と少女マリーの悲惨とは違うでしょう!と言いたくなるようなところはあります。バルタザールのは自分の意志(というものがあるとして)ではどうにもならない、根性悪の人間の強制力によって自分の運命を左右されることを繰り返して悲惨の極致まで落ちていくわけで、そこにはまったくバルタザール自身の責任はありません。彼にできることは、せいぜい機会を見て残酷な飼い主の元から逃げだすことだけです。でも、結局は連れ戻され、さらに悲惨な運命に陥っていくわけですが、そこに彼の落ち度はありません。
でもマリーはそうではない。彼女は幼いころのジャックとの子供らしい愛情の交換をジャックのように大切に心の奥に秘めつづけていることができず、見た目カッコイイと思われたかもしれない黒い皮ジャンをまとった、女を誘惑し欲望を満たして棄て去るだけの不良、そしてバルタザールのような生きものなどは生きながら焼こうが煮ようが平気という残忍な犯罪者にすぎないジェラールなような男のちょっかいに靡くような過ちを犯しているわけで、これは本来宿命でも何でもない、彼女の中の潜在的な欲望、悪魔の誘いにどうしようもなく惹かれていく魂の弱さなり不純さなりがあるわけで、彼女の悲惨な人生は7-8割がた(なんの根拠もない数字ですが・・笑)彼女自身の責任であって、自分ではどうすることもできない宿命などではないはずです。
従って、この作品は、バルタザールの死にいたる悲惨な運命にいわば人間の力ではどうにもならない宿命というべき絶対的な人生の悲惨を託して、それを驢馬の生と死に託したところに監督の人生に対する皮肉な眼差しをみるべきかというと、ちょっと違っていて、マリーという本来は純粋無垢な田舎娘が思春期を迎えて自分の内側に芽生えてきた欲望に忠実に、それ自身が招き寄せた悪魔ジェラールの誘惑の罠に落ちて悲惨な人生を迎えるありさまに、人間のありようの中に一種の原罪的なものを見て、それがもたらす結果を、結局は驢馬の人生と同じではないか、と重ね合わせる皮肉でペシミスティックな目で眺めているんじゃないかな、という気がしました。
それにしても、面白い映画ではなかった(笑)。女優さんも亡命貴族の娘とかノーベル賞作家の孫とか、ハイソなおうちのお嬢さんで教養を積んだ女性なんでしょうけれど、女優さんとしてちっとも綺麗でもなければ、17歳のマリーとして初々しい印象もないし、なんでこんな少女にいい歳をしたブレッソン爺がセクハラまがいの囲い込みをしながらこんな映画を撮ったのか、実感的にはさっぱりわからんなぁ、という感じでした。
しかし、マリーを演じたアンヌ・ヴィアゼムスキーがこの作品の撮影前後のことを詳細に書いた自伝的小説「少女」(原題は「若い女」)を読むと、このハイティーン娘は相当したたかなお嬢さんだったようで、絶対君主たるブレッソンから接触を(激しい嫉妬心から)事実上禁じられていた撮影隊のスタッフの青年を、処女の身で、ブレッソンの目を盗んで自分から誘惑し、彼の胸に飛び込んでいって、初めてだなんて言わなかったじゃないか!と相手をむしろ驚かせ、びびらせるようなお嬢さん(笑)。
「少女」にも登場するゴダールをてんで自信のないひよっこ扱いしているのでも分かりますが、ブレッソン爺をものちにゴダールをも軽々と手玉にとり、その関係をあからさまな自伝小説(暴露小説的な)に書くような作家であり女優ですから、この作品で描かれたマリーという少女のうちに隠れていた、悪の誘惑に積極的に身を投じていくようなしたたかさ、淫らさ、ドライさといったものは17-18のころから備えていたようだし、ぴったりの役柄だったのかもしれません。それを17-18歳の小娘のうちに見出し、せいいっぱい開花させたブレッソンは、単なる好色爺ではなく、さすが、というべきか(笑)。
Blog2018-10-18