村田沙耶香
「ガマズミ航海」
「ガマズミ航海」(村田沙耶香 著)
これも『ダブル・ファンタジー』や『オン・エア』と同様、周囲が女子大生ばかりの車中で読むのが辛い小説だったけれど、同時にそれらとは違って、既存の性に依拠して、あるいはその延長上に、性愛に溺れあるいは性愛を突き抜けていこうとする女性、あるいは性を利用し、性に傷つきといった女性を描こうという作品ではなくて、性そのものの概念を変容させてしまうような、文字通りラディカルな作品だ。
その意味で、この作品のハイライトである美紀子との行為で結真が「漆黒の闇」に触れる瞬間は、これまで無数の作家が性を描いても描かれたことのなかった新しい世界がここに拓かれていくような予感をおぼえる圧巻のシーンだ。
でも、その世界の変容は一瞬の幻であったかのように、結真の身体は女性がアダムとイヴの時代から繰り返してきた性的な反応を示して、消えてしまう。その名残のような藍色の空に手を伸ばし、指先が闇に紛れる末尾まで、凝縮した作品を読めた満足感に浸る。
それにしても、この性の変容を促す背景となっている、結真の日常的な既存の性のありよう、彼女の感じ方、ものの考え方、男性観等々は、この作品のハイライトが予言のように指し示す根源的な性の変容にまで至らない風俗的な次元でさえも、私などの世代にとってはまことに恐るべきもので(笑)、まったく異星人のごとき存在に思える。
いや、それはあながち私が過去の価値観に縛られた老人であるから、というわけではなくて、おそらくは現代の若い男性にとってさえも、多かれ少なかれそうなのではないか、と思えてくる。それは理屈の問題ではなくて、分かるとか分からないといった感覚や理解を担う一方の心身そのものがまるごと別の次元へ変容していくときに、もはや他方の感覚や理解の届きようが無いといった意味で、ほとんど絶望的なことのように思える。
私たち男性が「狩られ」ながら「狩った」つもりになってやに下がっている間に、女性はわれわれの想像を絶するほどにまで進化して、もはや男性の想像力をもっては到達できないところまで行ってしまったのではないか。
いやいや、この歳で、女性について、実に多くのことを啓蒙していただきました!あな恐ろしや・・・
(blog 2009-12-8)