格子なき牢獄(レオニード・モギ―監督)
1938年のフランス映画 'Prisons sans barreaux' (格子なき牢獄)のヒロイン、コリンヌ・リュシエール。
この映画は母が大好きで、たしか私が中学生かひょっとしたら高校になったころに、母の強い薦めで、母と一緒にテレビ放映されたときに見たおぼえがあります。
たった一度しか見ていないのですが、母が熱心に見ろ見ろというので見たせいか、いまでも「格子なき牢獄」(矯正院のような学校だったか)から外出許可を得た彼女が楽しそうに野原をいく途中、いつも自分が監視されている警官2人をみつけてからかい、わざと逃げてつかまって、外出許可証を見せるシーンは鮮明におぼえています。
でもずっとこの古い映画のことなど忘れていたのですが、最近になってふっと思い出したのです。
記憶というのは不思議なものです。この映画の中でヒロインが演じた役柄のまとっていた雰囲気に似たものを身近なところで感じた瞬間に、なつかしい香りのようにかすかな記憶が甦ってきました。ヒロインと顔が似た人がいたとか、性格が似ているとか、境遇が似ているとか、そんなことではないので、よけいに不思議でした。
雰囲気といっても、ほんとうにかすかな香りのようなものなのに、それが灰色の脳細胞の底にひそんでいて、ほんとうなら死ぬまで出てこなかったはずなのに、ふとしたきっかけで、深い海底からゆっくりと浮き上がってくるように意識の表面にまで呼び出されてきたのでした。
ところで、前に書いたもう一つのシーン、彼女が用を言いつけられて行った先の男性(言いつけた院長の恋人で医者だったと思います。そのうちにヒロインと恋仲になってしまうのですが・・・)のところで、彼の帽子をポーンと帽子掛けに放り投げる、ちょっとお転婆なシーンがあって、それが男性とのやりとりのきっかけになるような記憶があったのですが、You tube に残っている断片映像を見ると、そういう場面はなくて、どうやら私の勘違いのようです。
そのかわりに、彼女が部屋に置いてあった弓を手にして、的を射ようとして、彼の帽子掛けにかかった帽子に穴をあけてしまう、というシーンがありました。そういえば・・・かすかな記憶がよみがえってきました。
この映画を私がおぼえている理由、そして母が気に入っていた理由をもう一歩踏み込んで推測すると、母は若い頃にこのヒロインに(雰囲気が?)似ている、と言われたことがあったのだと思います。それは何となく息子である私にも、薄々わかります。
母は若いころわがままで、お転婆で(歳をとってからも、若い頃のままのいわゆる「嬢ちゃん婆ちゃん」なところがありましたが)、あるとき宝塚少女歌劇に凝って、どうしても宝塚へいくといって父親に猛反対され、ひどく叱責されて2階からダダッと駆け下りて家を飛び出したことがある、と彼女の妹である叔母から聞いたことがありました。
当時としては少し器量自慢で、男勝りで、かねて父親から「おまえが男だったらよかったのに」と言われ、10人姉妹(上の兄が学生のときに亡くなり、一番下に弟ができて12人きょうだいでした)の中で一番父親に可愛がられた娘だったようです。
身体も丈夫で健康優良児、走ればいつも一番で、勉強は全然努力しなくてもできた、なんて自分でへんな自慢をしていました(笑)。父親の好きな山登りのお供もいつも彼女だったようです。
そんな彼女が父親にだけは頭が上がらず、父親の薦める男性と写真だけを相手に式を挙げて結婚し、戦争の気配の濃くなっていた時代に、単身、見たこともない男性のいる上海(もちろん中国の、です)へ行って、そこで家庭を持ち、私を産み、のちに長年の療養へ尾をひくことになる胸の病にかかり、敗戦になって3人、なにもかも失って帰国することになったのですから、お嬢さん育ちの彼女にはその後の人生はつらいものだったでしょう。
この映画のヒロインの雰囲気は、私も想像でしか思い浮かべられない、母の女学生時代(京都の府立女専の寮ぐらしでした)の雰囲気に似ているのだろうと勝手に想像しています。
Blog 2011-12-31