NTLive :ハムレット(リンゼイ・ターナー演出)
出町座で昨夜上映されたのを見てきました。イギリスのバービカン劇場で上演したのを、ハムレットを演じたベネディクト・カンバーバッチのちょっとした解説や彼が高校を訪れて高校生が演じるハムレットを見るシーンなどを前座において、客席のざわめきまで聞こえるライブで撮影したもの。ナショナル・シアターが世界の傑作舞台を各国の映画館で上映して舞台のすばらしさを伝えるプロジェクトで制作されたものだけに、よくある固定カメラでただ舞台を記録しただけの映像と違って、生きた芝居をとらえようとするカメラワークで、非常に迫力のある映像を創り出しています。
チラシによれば、チケットがオンラインで発売されるやいなや10万枚が即日完売してしまう記録的な大ヒットになった公演だそうです。演出はリンゼイ・ターナー、その斬新な「ハムレット」解釈は「賛否の嵐を巻き起こした」のだそうですが、私には賛否両論を巻き起こすほどラディカルな演出には思えず、むしろいい意味で非常にオーソドックスな、だけど悩める白面の貴公子といったハムレットよりはずいぶんエネルギッシュで復讐に燃える力強いハムレット、勢いのある演出だと感じられました。
ローレンス・オリヴィエの古典的なハムレットのほかは、ストラッドフォード・アポン・エイヴォンのシェイクスピア劇場の舞台で見た、野獣みたいに叫びながら舞台を徘徊するロック調のハムレットやら、ピーター・ブルックの多国籍キャストによるインド風というのか黒人のハムレット、それにいわゆる「ニナガワハムレット」の三、四人くらいは見たので、よほどラディカルなハムレットでないと、もう驚かないので、オリヴィエ・ハムレットを基準点にして、そこからどれくらい離れているか、というおおざっぱな直観で言うと、いま挙げた3人の異なる演出家のハムレットに比べても、スタイルは古典的で、オーソドックスなものに近いんじゃないか、という気がしました。
ストーリーはもちろん原作を大きくはずれたり、ブルック演出のように「抽出」したりといったものではなく、原作に忠実だったように思いますが、いまの感覚で見ていると、兄殺しの弟王クローディアスはともかくとして、王妃がもしも義弟の夫殺しを知らなかったとすれば、夫の死後、時を経ずして義弟の妻となったことは、いささか倫理的には問題かもしれないけれど、いまの目で見ると、さほど社会的に批判を浴びるようなことではないし、そのことでハムレットにああも責められなくてはならないほどのことか(笑)と思えてきます。
クローディアスが兄王を殺したこと、またそれに気づいたらしいハムレットを亡きものにしようとすることで、ハムレットの復讐が正当化されるものの、もし兄王殺しがハムレットの妄想に過ぎなければ、これはまったくハムレットの妄想の果ての狂気が巻き起こす悲劇ということになるでしょう。だから彼が母親の寝室で母親を責めるとき、彼はその前に弟王への復讐のために狂気を装っているということになっているけれど、あの母親を責める責めかたというのは狂気と紙一重、境界線上にいるんじゃないか、という気がしました。
シェイクスピアをすっかり離れて、クローディアスの兄王殺しをハムレットの妄想だとすれば、残るのは母親の弟王との早すぎる再婚だけですから、すべてはマザコンハムレットの妄想によって引き起こされた悲劇、ということになります。ちょっとそういうことを空想させるようなハムレットの演技だったように感じたものですから、そんな途方もないことを想ったのです。もちろんターナーさんの演出はそんなバカげた話にはなっていませんが(笑)。
ベネディクトにとっては舞台でのハムレットは初めての経験だったと思うのですが、熱演で、この役に賭ける意気込みがそのダイナミックな演技と発声から伝わってくるようでした。音響には迫力があり、ActⅠのラストの宮殿内に開け放たれた外から魔物が襲ってくるように暴風とともに吹き込んで室内に舞い上がる黒い塵のようなもの(まっくろくろすけみたいなの・・笑)も迫力がありました。
劇中劇の場面の舞台のしつらえがとても好きです。
観客席のざわめきや、ハムレットが狂ったふりをして、会話の中で、皮肉で可笑しい言葉を返すようなときに観客の笑い声が湧き上がるのも、ほんとうに劇場で見ているような臨場感を覚えました。
そういえば劇中劇のシーンで、こちらのほうに磁力が・・・とオフィーリアに膝枕を求めてやりとりする言葉、Do you think I meant country matters? というハムレットのセリフは、「なにかいやらしいことでも考えた?」みたいに字幕では訳されていたと思います。この部分はオリヴィエも皮肉な調子ではあってもさらっと言っていたし、ピーター・ブルックの演出でも含み笑いをしながらではあったけれど、セリフ自体はサラッと流していました。でも、ベネディクトは、このCOUNTRY を、はっきりと、CUNT-RY と区切って強調した発音をしていたので、このセリフに込められた意味合いを十全に表現していました。
実はこの部分は、このハムレットという劇にこういう面白い言葉のやりとりがいっぱいあるってことを言うのに、つい教室でとりあげたまでは良かったけれど、ポカーンとしている女子大生の前で、どう説明すればいいのか、あとでママに訴えられたりしないように(笑)どう分かってもらえばいいのか、立往生して適当にごまかしてしまったところなので、よく覚えていたのです。
出町座の観客は昨夜は老若男女多様な人たちが結構いっぱい見に来ていました。こんなすばらしい公演を映像にしろ京都で見られるなんて思いもよらなかったけれど、出町座のおかげで心に残る公演が見られました。
Blog 2018-12-22