「リップヴァンウィンクルの花嫁」(岩井俊二監督。2016年)
これはなかなか見ごたえのある作品でした。ただ、前半はコミックの原作でもあるドタバタ喜劇風の作品なのかな、と思っていたほど、スカスカな軽い印象でした。
ひとつにはヒロインの黒木華演じる七海が臨時教員として生徒の前で見せる気弱さ≒引っ込み思案の消極的性格≒行動に一歩踏み出すには慎重であるはずの性格と矛盾してネットで夫をみつけてさっさと挙式する軽薄さや、怪しいのがみえみえの「なんでも屋」の言うなりになったり、夫が浮気してると突然言いに来る男を簡単に家に入れたり、夫の浮気のことを信頼しているはずの「なんでも屋」に事前相談することもなく、夫の浮気を告げに来た男のマンションに自分から訪ねていったり、あんまり阿保すぎるのが一つの大きな要因です。こんなのあり得ないよ、とイライラを通り過ぎて、嘘くさくてちょっと白けてしまうところがあるのですね。
ほかにも、準主役の「なんでも屋」、綾野剛演じる安室の登場が怪しすぎたり、彼の雇用する結婚式のニセ親族や七海の新郎の母親などの誇張されて滑稽なありよう、さらには七海の結婚相手をネットでみつけてパッと挙式しちゃったり、浮気していると告げ口にきた男を一人の時に簡単に家に入れたり、相手のマンションにまで出かけたり、こういう設定そのものがありえないので、これはマンガやな、と思って観ていました。
でもまあそれらは、今の世の中がフェイクだらけで、なにもホントのことがないというより、ホントとウソの境も見えなくなって、なにがホントでなにがウソかもわからない、そんな状態をシンボリックに滑稽味たっぷり誇張して、あり得ない設定をあえてつくってみせたんだろうな、と寛容な気持ちで(笑)見つづけることにしたわけです。多くの観客はそうだったんじゃないでしょうか。ラブレターやリリイ・シュシュの岩井が、こんなアホなマンガで終えるわけないだろう、と思って(笑)。
そのとおり、後半、Cocco演じる「女優」真白(ましろ)が登場してから、俄然よくなります。彼女の演技はすばらしかった。AV女優にしては肉付きがどうの、歳がどうのと書いているひとがいたけれど、そんなことはない。あれでいいんです。ぴったりです。
つまりもう彼女のあれやこれやはすべて、自分がもうとうの昔に旬の時期を過ぎていつクビにされても仕方がない商品価値のない女になっていることも、また死に至る病をかかえて先の長くない身であることも熟知した女性の最期の必死の生き死にの境の行動なわけで、その必死さが、倒れても目覚めて何が何でも現場へ行くと言い張って、「無事」3Pの難行をこなして息も絶え絶え戻ってくるところに、実に見事に演じられていました。
そして、その前後の七海と真白の、猛毒をもった生物たちが遊泳する水槽を眺め、コップを耳にあてて海の音を聴くシーンや、花嫁衣裳を着てキスし合うようなシーンの美しいこと!その前のまだ真白が何ものともわからないときに、偽家族の面々で飲みあう場面の楽しそうなこと!こういう細部がこの映画をとても素晴らしいものにしています。
たしかにちょっと頭が弱いんじゃないか、と思われるような七海が、わけもわからず「なんでも屋」の安室にひっぱりまわされ、夫とその家族に追い出されて途方にくれて泣いて「なんでも屋」にたよるほかになすすべもなかったのが、真白に出会って、やがて彼女の真実を知ってその死に直面する過程を通じて、ひとりで生きていこう、と決意するところまでたどりつく、或る意味で一人のどうしようもない弱い女性が自立にいたるプロセスを描いた話とみることもできますが、ドラマの激しく炸裂するような焦点というのは真白がらみのシーンで、そこに生きていくというのはどういうことか、人と関わっていくということはどういうことか、私たちの胸につきささってくる問いを投げかけてくるのは、真白の必死の生きざまというか死にざまというのか、その姿をとらえたシーンにあることは間違いないでしょう。
コンビニへいくと店員が私なんかのために商品を丁寧に包んで袋に入れてくれるんだよね、私なんかのためにさ、その手を使って包んでくれて・・・と訥々と語る真白の言葉には私たちの胸に強く訴えかけてくるものがあります。
最大の泣き所はおそらく、誰にとっても、真白が亡くなったあと、引き取りを断られた遺骨をもって七海と安室が二人で真白の母親の住まいを訪れるシーンでしょう。
母親は日本酒をコップになみなみと注いで飲んだと思うと、突然着衣をすべてかなぐり捨てて、人前で裸になるなんて、とAV女優になった娘を非難しながら嗚咽し、驚く七海の前で今度は安室までが着衣を脱ぎ捨てて酒をがぶ飲みし・・・あのシーンと七海も含めて3人の演技はすばらしく、この作品のハイライトになっていて、それまでいろいろ感情の起伏はあっても平静に見ていた私たち観客も自分の中で感情が炸裂して一気の溢れ出すのを感じます。
綾野剛演じる安室は実に怪しい(笑)。
夫が浮気しているという設定であの告げ口男に七海と接触させてあんな行動をとらせたのは彼だし、動機を考えれば彼自身が自分のこととはもちろん言わずに夫の母親がやらせたのだろうと言いますが、それは自分が依頼されて仕事としてやったことなのは明らかでしょう。だいたいそれを疑わない七海もちょっと変ですが(笑)。
現実ならあぁいう役回りの男は、七海をうまくだましたら、きっとやくざにでも売り渡すでしょう。借金で縛って、クスリでも打って、あとはお決まりの地獄で稼がせる、そんな成り行きでしょう。しかしこの作品での「なんでも屋」安室は、そうできるくらい七海を信用させ、いいように掌にのせて操っているのに、自分個人の欲望を満たす対象にもせず、また商品として高値でその筋に落とすようなこともせずにいます。
そこは現実離れしているけれど、いちおうこの作品の世界では、それは真白にうんと高い報酬とひきかえに、彼女の究極の要望に応えることを仕事として引き受けていたからだ、というつじつま合わせは用意されています。
ただ、最後の最後に依頼主である真白自身が自分の要求を裏切るわけですが、そこにこの作品のヒューマンな性格があらわれていると思います。そこは変にひねこびた解釈は市内で、素直に受け取ればいいんだと思って観て、いい結末だな、と思いました。黒木華のためにつくった映画だと言われている(脚本を彼女にあてがきしたらしいから)けれど、そしてもちろん彼女は熱演していたけれど、わたしは綾野剛も素晴らしかったと思うし、またそれ以上にCoccoが下手するとヒロインを食ってしまうくらい、素晴らしい熱演というか、ほとんど自分の生き死ににかわかるかのような怪演(笑)だったと思います。
Blog 2018-6-23