「恋や恋なすな恋」内田吐夢監督
昨日、第10回京都ヒストリカ国際映画祭のオープニングを飾るヒストリカ・スペシャルとして上映された、内田吐夢監督の「恋や恋なすな恋」(1962, 109分)の4Kデジタル復元版を見ることができました。
大画面で美しく復元されたこの作品は、まだ日本映画が産業として盛んだった時代を象徴するように華麗きわまりなく、昔ながらの変身譚・異類婚の流れを汲む物語りの単純さにもかかわらず、総合芸術としての映画の華を堪能させてくれました。
物語は、日本霊異記などにも出てくる(「狐を妻として子を生ましめし縁」)古くからある異類婚・変身譚の流れを汲む話が底流にあって、直接には竹田出雲の人形浄瑠璃の名作「芦屋道満大内鑑」或いは歌舞伎の同演目の葛の葉子別れの段や清元の「保名」を下敷きにしています。
平安時代朱雀帝時代が背景で、月を白雲が貫く異様な天文現象を不吉なことと恐れた朝廷が、当時は朝廷の命運をも左右する自然現象を読み解く能力をもつ天文博士加茂保憲に加茂家秘伝の書による解決を求めたのをきっかけに、加茂家の後継をめぐって二人の弟子、保名と芦屋道満が競い合う中、道満に想いを寄せる保憲の妻が結託した陰謀によって無実の罪を着せられた安倍保名(あべのやすな)が、博士ばかりか、博士の養女で許婚の榊の前を殺され、自分は命長らえたものの正気を失い、榊の前の形見である朱の錦の着物を半身に纏い、菜の花が一面に咲く春の野に出て榊の姿を求めて彷徨い、一人舞います。
この場面は実に美しい幻想的な場面で、清元「保名」による大川橋蔵の舞が一面の菜の花の黄を背景にたっぷり披露してくれます。この曲に縁の深い六代目菊五郎の養子大川橋蔵のことでもあり、当時たしか30代前半の非常に美形の橋蔵がツユクサ模様の白地の着物に半身は榊の前の形見の朱の錦の小袖をまとって舞うこのシーンは素晴らしかった。
大川橋蔵という人は本当に化粧の映える人で、わたしは一度或る病院の待合室で彼が座っているのは間近に見たことがあるのですが(もちろん素顔の写真を見ればわかりますが)、率直に言って素顔はなんてことない、どっちかというと日本人としてどこにでもいそうな平均的な、丸い小さくてぺちゃんこの顔(笑)した役者さんでした。
でもこのあまり西洋人的に彫りの深くない、癖のない小顔が、時代劇や歌舞伎の伝統的な化粧をすると、絶世の美男顔になってしまいます。この映画の彼もまさにそういう絶世の美男子だし、新吾十番勝負の橋蔵など、パートナーは半世紀たってもうっとりした表情で思い返しています(笑)。
恋よ恋
われ中空になすな恋
恋風が来ては
袂にかいもつれ
思ふ中をば吹きわくる
花に嵐の狂ひてし
心そぞろに何処とも
道行く人に言問へど
岩堰く水と我が胸と
砕けて落る涙には
片敷く袖の片思ひ
姿もいつか乱れ髪
誰が取上ていふことも
菜種の畑に狂ふ蝶
翼交して羨し、
野辺の陽炎春草を
素袍袴に踏みしだき
狂ひ狂ひて来りける
そこへ榊の双子の妹・葛の葉とその両親庄司夫婦が通りかかり、保名は榊と瓜二つの葛の葉を保名と思い込んで近づきます。戸惑いながらも庄司は保名を邸に連れ帰り、葛の葉もまた自分を姉と思い込んでいる保名をそのままに受け容れてくれて、保名は穏やかな日々を過ごします。
先の天文現象の怪異が告げた不吉な預言を解決するためには白狐の血が必要と知った朝廷では、信太の野でキツネ狩りを行います。ちょうどその場に来合わせた保名、葛の葉たちは、矢で背中を射られて苦しむ老婆に出逢い、いたわって東屋まで送り届けてやります。
実は老婆とその一家は白狐の爺婆と孫娘だったのですね。このとき家の中の爺婆孫娘に向けたカメラが、突然狐の仮面をつけた顔をとらえます。これには私たち観客も意表を突かれ、一瞬驚いてしまいますが、古典的な変身譚には十分幼いころから馴染み、また歌舞伎や文楽といった舞台に多かれ少なかれ触れて来た日本人としては、感覚的に少しも違和感がなく、ものすごく納得してこの演出を受け入れていることに気づきます。
孫娘のコンは爺狐に、婆の命の恩人である保名を追って見守り、危機のときには保名を守るように言われて後を追います。保名は庄司邸へ戻る途中、兵士たちに囲まれて襲われますが、孫狐コンの報せで駆け付けた大勢の狐たちのおかげで、葛の葉たちから離れ離れになるものの、命だけは助かります。
斬られて意識を失って倒れている保名を、コンは自分の術で作った家に運び、葛の葉の姿に変身して献身的に介護します。ここでのコン≒葛の葉を演じる嵯峨美智子の妖艶な美しさはたとえようもなく、たぶんこういう女優さんは空前絶後だろうなと思います。もちろん当初、榊として登場するときから綺麗ではありますが、この狐の化けた葛の葉のときは本当に妖怪じみた美しさです。
彼女は斬られて意識を失っている保名の深い刀傷を、狐の本性そのままに、自分の舌で直接舐めて直そうとします。手負いの獣が自分の傷を繰り返し舐めるように、彼女が葛の葉そのままの美しい顔を保名の肩口の切り傷にうずめて繰り返し繰り返し丁寧に舐めているシーンは、濡れ場でもないのに或る意味で濡れ場以上にエロティックでさえあります。
そして、傷が癒え、正気に戻った保名が、彼に心を奪われた白狐コンの化身である目の前の葛の葉を抱きしめ、接吻するシーンがすごい。唇が離れたときのコン≒葛の葉の表情を見せるのですが、その口がまだ半ば開かれて、いま舌を絡ませたディープキスをしたばかり、という唇を重ねたときそのままに、濡れた舌が覗いている。これがもうものすごくエロティックで、男性観客は瑳峨美智子という女優さんにこのシーンだけでコロッと参ってしまうに違いないという・・・(笑)
彼女は爺狐から、人間に恋してはならぬ、と固く言われていたのに、保名に恋してしまい、傷が癒えて目覚めた保名が葛葉だと思い込むままに、彼と契りを結んで子までなしてしまいます。そうして葛葉の姿かたちをしたコンは機を織り、保名には危険ゆえ決して庄司のもとへ帰ってはならぬと言い含めて、ことが露見するのをひそかに恐れながらも楽しく平穏な日々を過ごしていました。
ところがそこへ庄司夫妻とほんものの葛葉が訪ねてきて、保名と出会います。その会話を機を織りながら障子の向こうで聴いていた孫狐コンは、とうとう恐れていた日が来たことを悟り、自分の素性を打ち明け、子供を置いていくので葛葉の子として育ててほしいと言い、口にくわえた筆で障子に;
恋しくば たずね来てみよ和泉なる
信太の森の うらみ葛の葉
とさらさらと書くと、保名が障子を開いたとたんたちこめる白煙の中を、白狐の姿にもどって飛び去っていきます。
そのとたんに、これまで保名と狐の葛葉がくらしていた家が一挙に崩れ落ちてなにもない草の野辺と化し、赤子と秘伝書だけが後に残されています。映画の中では明かされないけれど、浄瑠璃ではこの赤子がのちの安倍晴明、今昔物語や宇治拾遺物語ではお馴染みの平安時代に活躍した陰陽師ということになっているので、この話は安倍晴明の両親の話であり安倍晴明の誕生秘話でもあるわけです。
この孫狐コンが保名を運んできた家のところから、画面は歌舞伎の舞台を撮る映像となって、回り舞台の上にしつらえられた家の中で二人が演じることになります。そして、最後に家が消えて野原に変わるところは、まさに歌舞伎の大道具による転換で、まことに見事なものです。回り舞台も、家の中の空間を角度を変えて撮るのに活用されていて、映画的にカメラの移動に頼らない歌舞伎的な方法が採用されています。赤ん坊の人形なども舞台のもので、最後に飛び去る白狐はアニメです。
おそらく平安時代かそれ以前から伝わる昔話の流れを汲む変身譚・異類婚を核とする浄瑠璃、清元をベースに、その手法を舞台のしつらえから浄瑠璃語りや舞い、舞台美術や役者の演技にまで、大胆に映画という舶来の近代的な表現の中に取り込み、きわめて日本的でいて普遍性のあるクロスジャンル的な映像表現を生み出した作品で、私は以前のバージョンをみていませんが、おそらくは今回の4Kデジタル復元という高度な技術によってそのすばらしい色彩とともに臨場感が甦ったのだろうと思います。何もしらずに予約してこの作品を見ることができて本当にラッキーでした。早くこのデジタル復元版がブルーレイにでもなって、若い人たちに広くみられるようになることを願っています。
blog 2018-10-28