イ・チャンドン「オアシス」
間質性肺炎とやらで遠出をしたり坂を歩いたり階段を上がったりはしんどくてできないので、コミュニティの範囲の平地を散歩したり、良いチャンスだとたまりたまったファイルの類を整理し、処分したり、そんなことばかりしている中で、偶然借りてきたDVDで見たこの韓流映画「オアシス」。度肝を抜かれました。
途中まで・・・つまり前科者の本能の赴くままに生きているような、どうしようもない主人公が、自分が轢き殺した(実はそうではないことがあとでわかるのですが、観客はここまでの場面ではそう思わされます)人の娘で重度脳性麻痺の女性が「気になって」その住まいを訪ね、果ては隣人が無防備に入れた鍵の隠し場所から勝手に鍵をとってあけて忍び込み、女性のことを「いけてるほうだ」などと言って、普通で言えば強姦未遂と言ってもいいような行為に及ぶあたりまでくると、見ているこちらの不快さが頂点にまで達して「こんな映画作ってもええのかい!」と言いたくなるのを我慢して見ていく、ということになります。
そうすると驚いたことに、いつの間にか見ている私たちのほうが、この極めつけのテンネン男の強引なやり方に導かれて、女性が自分を少しずつ開いていき、いつの間にか二人の間に対等の交感が生まれていることが実感的に納得できるようになります。
そして、ラスト近く、女性の求めで二人が抱き合うシーンのあたりまで来ると、もうわたしたち見ている者にとっては、女性が重度脳性麻痺だとかなんだとかいうのは遠景に退いて、愛し合う男女の姿しか目に入らず、愛し合う二人の気持ちに寄り添って観ている自分に気づかされるのです。
したがって、この行為の最中に飛び込んできて、天地がひっくり返ったような大騒ぎを演じる、女性の家族(まさに女性を一人打ち捨てて、その身体障碍者の女性に支給される住宅の恩恵を自分たちだけで不正に享受している家族なのですが)や近所の人たち、それに警察官等々が、そこまで見てきた私たちの目には、そのほうこそが欺瞞に満ちた人々であることがもう火を見るよりも明らかに見えてしまいます。
同時に、私たちはそのことによって、私たちが映画の前半を見ていた私たち自身が、この醜い家族やご近所や警察官のような「世間」の人々とまったく同じ偏見を持っていたことを否応なく気づかずにはいられなくなります。今の世の中では、大抵の人が、いや私はそんな偏見は持っていない、というでしょう。でも、この映画を見れば、そして観客としてこの映画を体験するだけで、私たちは言葉はともあれ、感覚的偏見とでもいうべきものに囚われている自分の姿を、この作品を見ている前半の自分のうちに見出さざるをえないでしょう。
この映画で重度脳性麻痺の女性を演じた女優は、よく体当たりの演技とか言いますが、もうそんな修辞ではおさまらない、まさにこの女性そのものに成りきった、すさまじい演技です。つまり模倣しようという意識を払拭して、そのものに成りきることなしにはできないような演技です。
この作品はまた、たとえようもなく美しいシーンをいくつも見せてくれます。オアシスというタイトルは、女性が家族に捨て置かれる安アパートの上階の狭い部屋の壁に掛かる絵がオアシスの絵で、その絵に窓の外の高い樹の枝の影が映って揺れ動くのを女性が怖がり、男に消してくれ、と言います。男は魔法で消す、と呪文を唱え、本当にその影が消える・・・そんなエピソードが埋め込まれているのですが、その部屋に閉じこもる中で、女性は鏡に映る光を天井や部屋の壁に移し、それが動くのを楽しんでいる。最初はその白い影が白鳩になって羽ばたき、女性が鏡を割るとその駒かな破片が映す白い影がみな白い蝶になって部屋の中を舞うのです。その美しさは例えようもありません。
男が彼女を部屋の中では息がつまるだろう、と車いすに載せて外に連れ出します。食堂で追い出されたりするけれど、街の中を二人は楽しそうに行く。その中で、インドの女性と少年、それに小象までが登場して男と女性と4人で踊り回る実に楽しい、美しい場面があります。このとき、いつの間にか女性は障害のない健常者の姿で一緒ににこやかに踊っています。
さらにまた、男が女性を電車にのせて遠出をする場面があります。男は立って吊革につかまって座席の女性を見ている。女性は座席に座って、向かいの席でいちゃついている若い男女を見ています。向かいの男女はふざけて、女性が空っぽのペットボトルで男の頭をポカポカたたいている。それを見ていたこちらの女性はいつか男の横に寄り添って立ち、挑みふざけかかるように男をつついて、向かいの女がしたように、空のペットボトルで男の頭を楽し気に叩くのです。このシーンの素晴らしいこと!
結末もとても素敵です。
この映画一本で、私が比較的近年見て来たような日本映画は全部ぶっとんでしまう。それが正直な感想です。私はもともと主題(テーマ)主義的な本の読み方や映画の見方はしない人間で、いわゆる社会問題的なテーマを扱ったような作品は進んでみたいとは思わないし、みても心を動かされることは稀です。世界には戦争もあり災害もあり不慮の事故もあり、飢えも差別もあり、悲惨さに満ちています。でもそういうテーマを取り上げた作品を藝術としての価値判断として優位に置くような考え方は違う、と思っていて、世界の映画祭でそういう作品に偏った授賞傾向が報じられたリすると、いやだな、と思うことが多かった。
でも、どんなテーマを描こうと、いい作品はいいので、このオアシスという作品は文句なしに第一級の作品だと思いました。韓国は映画に関しては底知れない創造力を見せてくれる国です。
(blog 2017.8.24)