「靖国」(李纓監督)
たくらみのある鋭利なドキュメンタリー。監督が中国人かどうかも、インタビューの日本語を聞けばネイティブでないとは分かるけれど、インタビューをし、カメラの前で起きる出来事を写し撮る「ものの見方」に、大多数の日本人に反感を抱かせるような「反日的な」特定の色を感じるということもない。
むしろ、「中国へ帰れ」「われわれ日本人は」とがなりたてる、画面の中の自称「日本人」のほうに強い違和感を覚える。「おなじ日本人」としては耳をおおいたくなるような、倣岸無知で暴力的なそれらの声も、ナショナリズムに訴える民族主義者の主張も、素朴な遺族感情から首相の靖国参拝への異論を「おかしい」と語る遺族の会話も、「われわれは日本人ではないのだから肉親の魂を返せ」と靖国神社に詰め寄る台湾の遺族の叫びも、李纓監督は映画編集上の小細工無しに、等しく伝えている。
様々な背景を持ち、時間性を担い、多様で入り組んだ、異なる立場の人々の異なる意見を、いや具体的な異なる言葉、異なる振る舞いを、李纓監督は七色を七色にモンタージュの手法で示す。ここで彼は自らを偏光プリズムのように一定方向の光だけ通そうという意志を放棄している。少なくともラストに至る直前までは。
そして最後に、戦争中の日本軍の残虐行為を示すものとして悪名高い、日本軍人による中国人の斬首シーンを撮った写真を、解説も注釈なしに、事実を突きつけて見るものを追い詰めるかのように、次々に差し出す。
ここで彼は一気に偏光プリズムと化して、この作品のモチーフを集中的に表現している。
このラストに至る伏線は、冒頭から繰り返し繰り返しそこに回帰して、この作品全体をつらぬく経糸となっている、靖国神社最後の刀鍛冶へのインタビューだ。
刀工は言葉としてはほとんど何も語らぬに等しい。多くの日本人とかわらない、はにかみを含んだ微笑と、考え考え訥々と語る、一見なんでもない言葉しか、そこにはないようにみえる。
けれども、おそらく私も含めてこの作品を見る日本人の大多数が知らなかったであろうこの刀工の存在、靖国の片隅で連綿と受け継がれてきたこの秘儀のような日本刀づくりが、彼が「ふだんどんな音楽をお聞きになりますか」という監督の問いかけに対して、天皇の言葉の録音を聞かせるとき、彼の職人としての秘儀が、古代国家の成立以来連綿と受け継がれてきた国家の最も奥深く秘された儀式と重なるように見える。
また、刀で藁の束を重ねた中に竹を入れて試し切りをする、という話の中で、「竹は骨の代わりですよ」と、人の肉体を斬ることの衝撃をやわらげるかのような、はにかんだような笑みとともに言う。
そのさりげない言葉によって、しかし私たちは否応なく、刀が人の肉を切り、骨を断つ道具であることを、一瞬のうちに喚起させられる。
李監督はこの老人のさりげない言葉が観客の胸のうちに呼び起こす波紋をはっきり自覚している。
そして、この伏線がラストと響きあうとき、美学的な対象にもみえ、純化された精神性の象徴にも見えた日本刀が、国家の内奥の深い時間の闇から生まれ、血塗られた殺戮の道具として大陸に散開していく像が、観客の脳裡に鮮やかに浮かぶ。
多様な意見を述べる登場人物たちの中で、僧職でありながら徴兵に応じて戦死した父の軍服の遺影をいまも掲げる浄土真宗(だったと思う)の僧が、「叙勲のような制度で国家は遺族の悲しみや怒りをも吸収してしまい、その行き場を失わせてしまう」と語るのは、説得力がある。
また、靖国を訪れて、肉親の魂を返せと詰め寄る台湾の女性の言葉は、反論のしようのない見事な靖国への矢であった。
ただ、私自身が一番気にかかるのは、彼らのことではなく、靖国の休憩所?のベンチで会話する二人の中高年女性(少なくとも片方は遺族)のような人たちのことだ。
彼女たちは、「あんな戦争はもう二度とあってはいけない」と語る一方で、「国のために戦争に行って亡くなった人の霊を祀ってある靖国に、その国の首相が参拝してはいけないなんて言う人があるけれど、それはおかしいと思う」という意味のことを言う。
私は首相であった小泉が、「これは個人の内面の問題だから、他人がとやかく言うのはおかしい、ましてや他国が口をはさむのはおかしい」というような「論理」をかざして参拝を正当化するのを快くは思わなかったが、一庶民遺族であるこの中高年女性が語る言葉を、上の僧侶や台湾の女性のような言葉で一刀両断にできるとは思わない。
先の僧侶の言葉を援用して、あなたの亡くした家族への想いや悲しみが、そうやって国家に吸い上げられてしまうのですよ、と言ったとて、かの女性は納得しないだろう。
戦後60年を経て、「われわれ日本人」は、本当にあの女性を納得させるような言葉を持つことができたのだろうか。
ひとつ気になったのは、客の入りは満席で、立ち見も出ていたけれど、ほとんどが「シニア」(若いみなさんスンマセン、1000円で見せてもらってます)だったこと。
やっぱりわれわれの世代、つまり戦後生まれで高度成長期以前に思春期までの自己形成を遂げた世代というのは特殊な世代なんだろうな、と思わずにいられなかった。
たぶんいまの若い人の多くは、こういう映画を見ようとはしないのかもしれない。できれば偏見なく見て、率直な感想を聞かせてくれたらな、とは思うけれど、なんとなく敬遠する気分が分からなくもないから、無理に行け行けと薦めるつもりもない。彼らは彼らにとって関心を惹かれるものを見ればいいと思う。私たちもそうしてきたのだから。
ただ、こういう映画をみて、なにか共感したり違和感をおぼえたりして、若い人と話をして通じ合えるような気が(彼らのほうにはもちろんしないだろうし)こちらにもしなくなっていることのほうが問題なのだろう。
共通の言葉を捜そうとする姿勢そのものが時代錯誤なのだとすれば、バベルの塔を築いた人々のように互いに通じない異なる言葉をもって、右往左往するしかないのだろうか。
Blog 2008/06/15