ドルチェー優しく(アレクサンドル・ソクーロフ監督) 1999
これは作家島尾敏雄の妻で、自らも作家となったミホの語りを中心に編まれた作品です。最初は娘時代、島の学校の教員をしていた彼女が運命的な出会いをした、島に赴任してきた海軍神風隊の27歳の隊長さん、のち作家となる島尾敏雄とのなれそめ、彼が出撃したあとで自殺を決意していたこと、愛し合い息子と娘が生まれたこと、楽しい暮らし、そして偶然みた夫の日記で別の女の存在を知り、理性を失い、精神病院へ、娘は言葉を発することができなくなり、身体の成長もとまる・・・そうして一家で妻の故郷である南の島で暮らす、夫は妻とのいきさつを小説「死の棘」に書く、1986年死去・・・という二人の過去が写真と(おそらくはソクーロフ自身による)ナレーションで表現され、それから家の玄関を入る老いたミホが部屋の中でカメラを前に一人語りを始めます。
ドキュメンタリーというわけでもなく、ミホ本人を女優としたフィクショナルな作品というわけでもなく、あきらかに監督の演出によってミホはある意味で「演じ」、「語って」いるわけですが、そこで語られることは、ミホが生まれ育った島のこと、父(ジュウ)のこと、とりわけ母(アンマ)のこと、母の死とそれに伴う自らの深い悲しみであって、彼女の目を通したとらえた過去の事実であり、真実の一人語りであって、語られるコンテンツはソクーロフの創造したものではないわけです。
でも、ミホの語りは人々との自然な会話や、単なる折に触れての独り言などではなく、あきらかにこの映画のための演出された一人語りであり、ミホの表現であり、それをとらえるソクーロフの表現という二重性を帯びた表現になっているわけです。
撮影はミホの自宅らしい室内で行われていて、島尾敏雄が亡くなってからずっと喪服を着ていたというミホが喪服らしい黒い衣服を身に着け、首には真珠のネックレスというシンプルな姿で、暗い和室で語り続けます。ミホが障子窓をあけると海が見え、ずっと波の音が聞こえています。
ミホはゆっくりと話し続けます。ジュウウのこと、アンマのこと。その思いが亡き人の面影にまだべったりとねばりついているような思い入れの深い語り口で、この親子の情が尋常なものではない濃く強いものであることが自然に感じられます。
窓の外は次第に暴風雨となって雷鳴がとどろき、波音が高くなります。ミホは壁にもたれかかるように立ったまま、ゆっくりゆっくりと語っています。
後半、シーンが変わり、白っぽい和服姿のミホが家の中の階段を下りて、マヤ、マヤと呼ぶと、やがて娘のマヤが2階から降りてきます。幼いころから肉体の成長をとめてしまい、言語を話さなくなったまま数十年を経た娘です。階段の一番下の段のあたりにうずくまった彼女と、ミホが手を取り合い、抱き合うようにして、ミホがマヤに話しかけ、マヤもまたうなずいたり、手を母の背に回してやさしくたたいたりする様子をカメラはマヤの表情が分からない程度の高い位置からとらえています。
母子は何度も抱き合った後、ミホはお仕事をしなくちゃいけないから、とマヤに言い聞かせるようにして扉をくぐり、別室へ入っていきます。マヤはしばらく階段の手すりにもたれて座っており、別室い入ったミホは戸に耳をあてるようにしてマヤの気配をうかがっています。マヤは階段を上って2階へ帰っていきます。その気配を確かめると、ミホは仕事部屋に祀った霊の前でしゃがんで祈り、「アーメン」と呟き、願わくば父と精霊の・・・と祈りはじめ、「私は書かなくてはならないことがたくさんあります。私に力を与えてください」と祈り、十字架と掛け軸の和風の聖母子の絵が掛けられた祭壇に祈りを捧げます。
再び壁にもたれて語り始めるミホ。「マヤ・・・どんな罪を犯したのでしょう・・・」といったつぶやきが聞こえてきます。「マヤは10歳になって言葉まで失ってしまったわ。神様、私がどんな罪を犯したのでしょう?どうして神様はマヤに試練をお与えになったのでしょう?可哀想なマヤ。マヤはあの沈黙の世界に慣れたかしら。マヤの深い悲しみをどのくらい私は理解できているのかしら。或る時マヤに私はこう言ったわ。つらいでしょうね、マヤ。そしたらマヤはにっこり笑って、私はお母様のように強い人間だから強い人間です。文字に書いて渡したわ。私はいつもマヤに慰められる。私は・・広い心でマヤを受け止めなければ。マヤの試練・・・一生続く十字架の試練、でもマヤは強い。怒りの顔や悲しみの顔も見せたこともない。それに対して私はどうでしょう・・・私の愛が激しすぎて、夫には重荷だったのではないかしら。・・・」
こうしてひとり語るミホの仕事部屋に、そっと半分身を隠すようにして再びマヤの姿が現れます。
その表情はちょっと異様なものにみえ、暗い部屋の影にそっと現れるときは亡霊かと思うような怖さがあります。語っていたミホはそんな娘の影をとらえて一瞬緊張した顔をみせますが、やがてかあすかに微笑みがその表情に浮かびます。マヤはそのまま部屋には入らずに下がって消えます。
ミホのひとり語りはつづきます。「これから先、わたしはどうしたらよいのでしょう・・・」
腰を下ろし、背を壁にもたせかけ、足を前へ投げ出して畳の上に坐っているミホ。波の音が高く、強い雨の音が聴こえ、雷鳴もとどろきます。窓から見える外の雨風、雷雨、激しい雨風。戸を開く音。暴風雨に激しく揺れる樹々。窓辺に跳ねる水しぶき、その向こうにミホのアップ。
アーメンにつづく「主の祈り」のつぶやき。
63分ほどの、ほとんど一人の老女のひとりがたりに終始するじみな映画ですが、島尾敏雄の作品を読み、彼とミホのなれそめから破局、苦難のそれこそ十字架を背負って生きる地獄の日々などについて知っている者には興味深いミホの語りです。ただ、最初のソクーロフのナレーションによる紹介は別として、ミホのひとり語りは基本的に父と母の追憶であり、両親を失った嘆きであって、夫島尾敏雄のことではありません。とりわけ修羅場をくぐった夫とのやりとりや自分の気持ちといったものは、この一人語りには登場しません。
つまり、最初の10分かそこらのソクーロフのナレーションと写真による二人のなれそめ、ひとめを忍ぶ戦争さなかの恋愛、結婚、夫の浮気とそれを知った妻の嫉妬によって生じる修羅場等々、作家島尾敏雄の成り立ちの背景にあって読者の関心が集中する部分、そして妻のミホにとってもその生涯のありようを変えてしまうようなできごとについては触れられずに、ほとんどが懐かしい父や母の思い出なのです。
そこには明らかなズレがあり、ある種の倒錯があります。つまり現実に起きた島尾敏雄にとっても島尾ミホにとっても、娘のマヤや息子にとってもおそらくは決定的な出来事だったことは、ミホの喪服姿や疲れた顔に刻まれた皺、年輪、そしてマヤが言葉を失い、成長を失った現実のうちに現前しているけれども、それはミホの表現のうちには現れないのです。私たちが聞くのはミホの愛されて育った娘時代の父、母の懐かしい思い出であり、その黄金時代の喪失を悲しむ追憶と惜別の言葉であって、夫島尾敏雄や彼と共に過ごした自身の過去ではないのです。おそらくそれは回避ではなくて、彼女自身にとってなおそこに現前している現在そのものなのかもしれません。
Blog 2018-10-25