「大人は判ってくれない」(フランソワ・トリュフォー監督)1959
あとは時間切れで簡単に(笑)。以前にも見たことがあるけれど、先日「操行ゼロ」をみてまた思い出したので、古い録画を取り出して観ましたが、やっぱりいい映画でした。
でも、こういう映画を撮る人というのは、よっぽど学校嫌いだったんだろうなぁ、家でもあんまり幸せじゃなかったんだろうなぁ、なんて思ってしまいました(笑)。
今のフランスはさすがにそんなことはないと思いますが、学校の教師という教師が軒並み厳格すぎ、すべてが強圧的に子供を自分の思い通りに「矯正」することしか考えていないような、どうしようもない教師ですよね。日本も昔はこうだったんかな、と思いますけれど。
前に見た時は印象に残っていなかったけれど、冒頭は車窓から撮ったパリの町の風景なのかな、ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」の冒頭の街を舐めていくような映像を逆に思い出しましたが、映画の中のこういう映像というのは、ストーリーのある映画のストーリーそのものと強いかかわりがあってもなくても、映像としての良さがありますね。
主人公の少年が友達に誘われて学校さぼってゲームセンターみたいなところへ行って、円筒形の大きな器みたいなところへ入ってその内壁にへばりついて、円筒形が次第に速度をあげて回転する、あれはなんていう大型遊具なのか知らないけど、あれはそういえば印象的だったことを思い出し手、今回も楽しんで観ました。
学校で詩の朗読とか詩のレッスンをやっているのはフランスらしいな、とも思いました。少年が家でバルザックの写真を神棚みたいなのに貼ったりするのも。
人形劇を見ている主人公らよりは幼い子供たちの生きた表情、それから少年鑑別所へ送られた主人公を正面からとらえて少年の供述をそのまま撮ったような映像もとても面白い。
話としては酷い話で、まったくひでえ親たちです。これじゃ主人公の子供がほんとに可哀想だと思います。父親は実際上この子に関心がないし、母親は浮気しているのを子に目撃されるわで、親が勝手すぎて・・・そんな親のもとで、どっちからも当たり前のようにゴミを捨てておけよと言われて、はい、と素直に捨てに行く少年が天使に見えます。私だったらふくれてゴミ袋をぶちまけるところだ(笑)。
いたずらもする、うそもつく、わるさもする、ぬすみもする、だけど素直なごく普通の少年がそんな教師や親に厄介払いされて少年鑑別所に送られて、孤独の中で当然鑑別所の仲間たちにろくな影響は受けないわけだけれども、そこからも逃亡して、あてもなく海辺を彷徨う少年の哀れさ。教師や親に代表される大人の世界、社会に対する深い不信と指弾の志がみなぎる秀作。少年の目がとてもいい。
Blog 2018-9-28