浅田次郎

「歸 郷」

浅田次郎「歸郷」

 『帰郷』というタイトルの単行本の最初に収められた短編が「歸郷」です。
 まだこの一篇を読んだばかりなのですが、弱くなった涙腺をまたしてもひどくやられてしまいました。

 実は私が20歳のころから書こうとしては力量乏しく中断しては、また書き始め、また挫折して長年放置して、もうあきらめた、と思っていたのが、昨年からまたぞろあの世へ行く前になんとか、なんて思って書いてきたのが「帰郷」という帰還兵の話なので、大宅壮一賞だったかを受賞したと新聞で紹介されているタイトルをみて、読んでみたくなりました。

 ぽっぽや(「鉄道員」)の作家だから、泣かせのプロだぞ、と分かってはいたのですが、語り口が圧倒的にうまい。話はほんとうに平凡極まりなく、そこに使われる要素もみな散々使い古されたもので、流行歌やら演歌やらの雨に涙に酒に別れと何もかもお定まりなのに、してやられてしまう。

 だって帰還兵と戦後いたるところで駅の周辺やらに立っていた夜の女です。それぞれ心ならずも今の境遇に至って偶然の、しかし出会ってしまえば宿命としか思えないような出合いをして、一夜を共にし、語り明かす男の話に出て来るのはまさに帰還兵の遭遇する悲劇の中でも最悪の悲劇、戦士公報が留守家族のもとに行って、残された家族は周囲の善意にせかされるようにして・・・・もう何度も何度も物語られ、聞かされてきたあの悲劇、兵士が死線をさまよいながら毎日再会を夢見て、それだけを支えにしてきた妻や子が・・・というあの悲劇。

 これはもう詰将棋のようなものじゃねえか、と思わないでもないけれど、やっぱり語り口のたくみさに読まされ、泣かされてしまいます。もちろんラストにこの短編のすべてが掛かっているので、そこにだけはこの作者の「巧みさ」とは別の思いを感じるから、さんざん泣かせのテクニックでひっぱってこられて、そいつを聴かされるから、こんなもんで泣かされてたまるか、と思いながら、つい泣かされてしまうのですね。

 こういう人生の悲劇を泣かせのエンターテインメントとしてこうも巧みに語ってしまっていいのかい、と思うし、こういうのを読まされると、自分がやっていることは本当にぶきっちょな泥臭い自己慰安のとりとめない言葉い思えて来て少々いやになるところがあります。さて、気をとりなおして、あとの短編もよんでしまいましょう。

2016-12-25